「英、生鮮食品ピンチ 」が象わす都市化トレンドの大転換

酒井 直樹

英国が欧州連合(EU)から離脱する可能性が高まっていて各所で緊張感が高まっています。

英政府が9月に公開した6ページの内部文書「イエローハンマー作戦」には、合意なき離脱になった場合の「最悪シナリオ」が書かれていて、その筆頭に、「生鮮食品」と「電気料金」が並んでいます。

ロンドンの果物売り場(Marco Verch/flickr)

野菜や果物などの生鮮食品については、「EU諸国からの供給が減って物価が上昇し、低所得者層に打撃を与え、パニックになる」、電気料金についても、「EUからのエネルギーの供給が減少して上昇し、低所得者層に打撃を与える」としています。

「英EU離脱後生鮮食品ピンチ 」と題した9月29日の日経新聞記事は、次のように書いています。

「特に生鮮食品は深刻な流通網の断絶に直面するだろう」。英スーパー2位、セインズベリーのマイク・クーペ最高経営責任者(CEO)は地元テレビで語った。英国の小売業者は輸入前倒しや在庫積み増しを急ぐが、生鮮食品は備蓄できない。店頭から野菜が姿を消す懸念がある。

食卓に並ぶワインからレタスなどの葉野菜まで英国で消費される食材の約3割はEUからの輸入に頼る。多くはトラックでフランス北部カレーまで運ばれ、ドーバー海峡を越えて英国へ届く。もし10月末に合意なき離脱となって通関手続きが突然復活すれば、物流は滞りかねない。

電気と生鮮食品には貯めることができないという共通点があって、輸入に制限がかかると「兵糧攻め」の状況にあって、とりわけ大都市ロンドンでは、あっという間に都市機能が麻痺するリスクがあります。というのも、都市は、基本的には農作物や電力を生産しないので、農村部にそれを頼らざるを得ないからです。

産業革命以来、資本主義経済の下で都市は発展し続けました。そこには2つの前提条件があります。第一に「全てのものの価値をお金という物差しで測り、その価値に応じて市場で商品やサービスが交換できる」ということ、第二に、「都市の産み出す商品やサービスの価値の総体(GDP)は、農村部のそれより高いこと」です。

事実、資本主義経済は段階的に「高度化」し、農林水産業などの第一次産業のGDPよりも、第二次産業、すなわち都市部の工場で作られる製品の付加価値が上回り、さらに、第三次産業、サービスの付加価値が上回るようになりました。

しかし、「付加価値」というのは極めて主観的なもので、その時の市場のルールでいかようにも変わります。そもそも大前提として、都市部の人口を食べさせる農作物やエネルギーが地方部で生産されなければ、都市機能は麻痺するのは自明です。

例えば、東京です。そのルーツとなる江戸城は康正2年(1456年)に太田道灌によって建てられ、太田道灌は2000〜3000騎の武士を従えていたと伝えられています。その後、徐々に人口が増え、1600年には徳川家康の家臣団を中心に6万人が暮らすようになり、江戸幕府の誕生を経て、1608年には15万人となります。

さらに、寛永12年(1635年)に参勤交代が始まると、新たに大名のための武家屋敷が建設され、武家人口のみならず、それを支える町方人口も伴い、30万人にまで急増し、世界最大規模の都市へと急激に発展します。

江戸東京博物館のジオラマ(Wikipedia)

縄田康光氏の「歴史的に見た日本の人口と家族」は、江戸のおけるこのような人口爆発の背景に、豊臣秀吉が行なった太閤検地と刀狩りがあるとしています。太閤検地は一地一作人制を原則とし、農地一筆ごとに耕作する農民を確定しました。このことは小農の自立を促し、勤労意欲を増大させ、農業生産性が飛躍的に拡大して農村人口が爆発、江戸への農民の流入が起きたというわけです。

従って、江戸が1700年頃に世界最大の人口100万人のメガシティに変貌を遂げた背景には、100万人の胃袋を、満たす農村部の大量生産があったのです。

ところが、その後、日本の人口は1721年(享保6年)の2,607万人から、1840年(天保11年)に2,592万人と100年余り「人口停滞期」に入り、江戸の人口も停滞します。縄田氏は、その要因を、(1)農業生産性向上の頭打ち、(2)相次ぐ飢饉、(3)生活水準を維 持するための、農村部における産児制限を挙げています。つまり、江戸の発展は、全国で作られる米と野菜の量によって制約されていたわけです。

写真ACより

その次の東京の人口爆発は、明治維新から1940年までの100年弱で、人口は700万人にまで膨らみましたが、こちらも明治期に実施された疏水開削や水田開拓や先進的な農業機械の導入による農業生産性の向上が背景にあります。

そして、三番目の東京の人口爆発は戦後です。1945年の348万人から1963年(私の生まれた年です)の1043万人へとわずか18年で3倍になりました。ところが日本の農産物の生産高は同時期に1-2割程度しか増えていない一方、同時期の自由貿易体制の発展により外国からの農産物の輸入が大幅に伸びました。

つまり、もはや都市の発展の制約条件となっていた自国の農業生産高の呪縛が資本主義・自由貿易システムによって解放されたわけです。同じことはエネルギーに関しても言えます。

従って現在の東京やロンドンなどの資本主義体制の下で発展したメガシティは、グローバル経済下での、その胃袋を満たす諸外国の農産物やエネルギーを市場から調達できないと維持されないという当たり前の事実が、Brexitによって顕在化したわけです。

華やかに喧伝された「世界都市間競争に東京も乗り遅れないように、コスモポリタンシティを目指そう」というのは、グローバル経済という原理があってのことで、兵糧攻めリスクが向上すると都市間競争も余り意味をなさないわけです。

写真ACより

すると何が起きるでしょうか。おそらくこれから、貿易コストとリスクの高まりを背景として「市場による一次産品あるいはエネルギーと二次・三次産品の価格調整」が徐々に引き起こされていくと私は思います。特に都市部において農産物の価格や電気料金は増嵩し、コストプッシュインフレを巻き起こし、給与所得者の購買力が下がっていく可能性があります。一方で、地方部において農産物やエネルギーを生産する事業者の購買力は相対的に上がるでしょう。

それはとりもなおさず、江戸時代から400年余り続いた「都市の産み出す付加価値の上昇基調と地方の生み出す付加価値の下降基調」あるいは「所得の増加を希求した、地方部から都市部への人口流入」あるいは、「都市部での地価上昇と地方での地価下落」の大きなトレンド変換をもたらす可能性があります。

こう考えているのは私だけではありません。お金に目ざとい人たちはすでに動き始めています。例えば、ジム・ロジャーズ氏はこう述べています。

投資したい産業がある。農業だ。農業には、地域を問わず世界各地で明るい未来が開けていると私は思っているが、日本は特にそうだと言える。

いま、日本には農業をする人がいない。日本の農業従事者の平均年齢は、約66歳という高齢だ。担い手さえ見つければ、日本の農業には明るい未来が待っている。競争がない業界だからだ。いま、あなたが10歳の日本人の子どもだとしたら、農業をやることも考えたほうがいい。

環境省は、ポストグローバル経済の新しいパラダイムとして、「地域循環共生圏」を掲げ、「地方でお金が回るシステム、地産地消ビジネスの創生」を支援していて、私の会社も、農業と分散型再生可能エネルギー事業を支援して、しっかり収益が上がるクラウドファンディングやグリーンファイナンス の組成を行なっています。特に農地の上に太陽光パネルを敷いて発電する「ソーラーシェアリング」が今後増加することが期待されます。

「地方活性化」「ふるさと創生」「農業支援」などというスローガンや補助金政策を掲げても、市場原理には逆らえず、個人や企業はお金がある方向に流れるのは自然の摂理でしたが、今度は同じ市場原理によって、その逆流が始まるのかもしれません。

株式会社電力シェアリング代表 酒井直樹
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