2019年6月1日、米国は国交回復以来40年以上続いた「ワン・チャイナ・ポリシー」政策を見直した。
米国防総省は6月1日、「2019年インド太平洋戦略報告書」を発表した。このなかで、米国は台湾について、地域のパートナーシップを強化する4つの「民主主義の国家の一つ」として取り上げた。
(ロイター6月5日「台湾と関係強化へ 米国防省、2019年インド太平洋戦略報告を発表」より抜粋、太字は筆者)
米国による衝撃的なこの対中政策変更について、日本のメディアはあまり反応しなかった。多くの日本人にとってその関心が薄い理由は、「東シナ海を舞台とした水面下の覇権争いのメカニズムが良く解らない」からだろう。
そのような日本人にとって必読の良書が8月に出版された。『朝鮮戦争と日本・台湾「侵略」工作』(江崎道朗・著、PHP新書)である。同書は安全保障の意識が低い日本人が曝されているリスクについて、確かな根拠を伴う説明で明瞭に描き出す。日本人を70年に渡る「平和の眠り」から覚まさせてくれる警世の書である。また、話題のヴェノナ文書の研究も反映されているので、事情を熟知している方にもアップデートに利用できるだろう。
戦後の日本が最も不得意なインテリジェンス戦
同書の特徴は、「インテリジェンスの戦い」の観点から戦後も続いた日本の危機について説明している点にある。これは戦後の多くの日本人にとって欠落している視点である。
そこで本書では、当時の日本人の多くが理解していなかったが、敗戦後の日本を襲った「危機」がどのようにして起こり、その「危機」にどのように対応したのか、日本占領から朝鮮戦争に至る戦後史を、主としてインンテリジェンスに関わる歴史研究を踏まえて描いている。
(同書「はじめに」P12より)
前半では、共産主義勢力がどのように戦後日本の「革命」を狙ったか、そしてそれが実施される寸前だったことについて、豊富な資料に基づいて検証と論考を展開して行く。従来「コミンテルン」「工作員」「敗戦革命」などと言えば、「陰謀論」として一蹴され、相手にされなくなる風潮は確かにあった。しかしながら、「ヴェノナ文書」など公開された機密文書の研究によって、従来「陰謀論」と揶揄されてきた言説を裏付ける証拠が次々に発見されている。
なお、ヴェノナ文書についての書籍は、江崎氏らが紹介したことで既刊本の価格が高騰し、9月に入って『ヴェノナ解読されたソ連の暗号とスパイ活動』(ジョン・アール・ヘインズ著、ハーヴェイ・クレア著、中西輝政・監修、扶桑社)が販売されたがこれも瞬間的に売り切れて10月2日現在プレミアムがついている。
敵と味方を取り違える天才、アメリカ
ソ連からのスパイがルーズベルト政権からトルーマン政権まで深く浸透し、政策に強い影響を与えていたことにも裏付けがとれている。江崎道朗氏の持論である「アメリカは、敵と味方を取り違える天才である」という主張も、この両政権に対する共産主義勢力の関与を知れば、大いに納得できる。
これまで日米戦争については「日本が主敵を間違えた」とは確信していたが、なぜアメリカがよりにもよって共産主義勢力と手を組んだのかについては納得感が得られなかった。しかし同書を読めば腑に落ちる。
アメリカ側の奥深くにもスパイが浸透し、政策に影響を与えていたのである。結果、アメリカも戦う敵を間違えてしまったのである。
トルーマン政権は、中国共産党を支援することが中国の平和と安定につながると信じ込んでいたのだ。
(同書第四章「中国共産党に操られたトルーマン民主党政権」P141より)
そしてソ連が崩壊した後も、アメリカは対中政策を誤った。今のやっかいな中国は、米国とそれに従った日本が後押ししてしまった面もある。
余りにもスターリンが有能過ぎる
ただし、本書を読むと腑に落ちることも多い反面「それほどスターリンが有能だったならば、どうしてアメリカを打倒できなかったのか」という疑問もわいてくる。その点ジャーナリストの高山正之氏は『別冊正論35』において対談の中で次のように語っている。
「共産主義について言えば、なんでもコミンテルンという決め方はヘンだ。ロシア人にそんな能力はない。(略)スターリンが無能だったのは独ソ不可侵条約をもろ信じ込んだのをみても分かる」
(別冊正論「堕ちたメディア」P22-23より抜粋)
この点については今後も勉強して行きたい。
台湾を共産主義から防衛した根本中将(日本人)
同書の後半では、台湾と朝鮮に関する戦後の戦いに論点が移行する。1949年、金門島に人民解放軍が上陸を開始し、アメリカに見捨てられた台湾は中国による「開放」の危機に瀕する。これを迎え撃ち、中国の野望を阻止したのは、なんと戦後占領下にあった日本の、根本博中将だった。
そして1950年、アメリカの誤った政策を背景に、ソ連は北朝鮮に対して南朝鮮占領のための侵攻を許可する。それを受けて中国は台湾「開放」を一旦休止する。朝鮮戦争に注力するためだ。
このように、一見独立した争いに見える台湾と朝鮮半島は、中国共産党の意思でつながっていた。このつながりは現代においてもなお健在である。そのことに気が付いている日本人はどれほどいるのだろうか。
著者の江崎道朗氏について
著者の江崎道朗(えざき みちお)氏は、同書(P373)によれば1962年生まれの評論家であり、拓殖大学大学院客員教授でもある。国会議員政策スタッフなどを経て、安全保障、インテリジェンス、近現代史研究について2016年夏から本格的評論活動を開始した。
「永田町で十年近く政策スタッフとして仕事をしてきた経験」(P9)
とある通り、政治家の行動について、報道される部分だけではなく、報道されない部分についても熟知しており、そこから説き起こされる各種の論説は貴重である。また、江崎氏の論考に関しては、多くの場合根拠資料や引用元が詳細に明示されているので検証可能である。
そして事実に基づき飛躍の無い主張は信用できる上、変な比喩や侮蔑的感情表現が全くない文章は読みやすい。激烈な表現を控えながらも、江崎氏の研究には強い意思を感じたが、その理由も本書に説明されていた。
「日本のアカデミズムやマスコミの不作為、視野の狭さを批判することはたやすいが、批判をしているだけでは無責任だ。そう考えて二〇一六年夏、評論活動に専念することを決断し、インテリジェンス、共産主義という視点に基づいて本を出してきた。」(同書P31)
なるほど、志があるのだ。「エンターテイメント本」の類とは全く違うわけである。
いざとなったらアメリカは助けてくれるか?
さて、「敵と味方を取り違える天才」のアメリカは、間違い続けて1世紀近く経つが、これからは間違えないでくれるだろうか。中国・香港・台湾・朝鮮半島という複雑に思惑が絡み合う地域において、日本は望まぬ争いに巻き込まれ始めている。武力衝突に発展する事態を思考実験するならば、アメリカは日本を助けてくれるだろうか。また自国の安全保障を他国の保護に委ねる思考は、健全な独立国のそれであろうか。
なかったことにされた朝鮮戦争直後の「日本の戦い」は、現代日本にとって最高のケーススタディである。『朝鮮戦争と日本・台湾「侵略」工作』は、日本人が自らの安全保障を深く考える上で必読の教科書である。
田村 和広 算数数学の個別指導塾「アルファ算数教室」主宰
1968年生まれ。1992年東京大学卒。証券会社勤務の後、上場企業広報部長、CFOを経て独立。