9月20日、東京地裁立川支部で、酒井政修氏に対して言い渡された「青梅談合事件」の無罪判決に対して、控訴期限の昨日、検察官は控訴を行った。
マスコミから得ていた情報でも、無罪判決を覆すのは困難だとして、事件を担当していた地検立川支部を含め、現場の判断は控訴に消極とのことであり、よもや、控訴はあり得ないだろうと考えていた。検察の最終判断は、事件の内容、証拠関係、一審での公判経過を無視し、単に、一審無罪判決を確定させたくないからの控訴としか思えない。
警視庁捜査2課が、青梅市役所への捜索を含む大々的な強制捜査を行った事件で、一審で全面無罪の判決というのは、記憶にない。しかも、この事件は、第1回公判で、被告人が公訴事実を全面的に認め、検察官請求証拠が全て採用され、被告人が保釈された後に、全面無罪を主張したもので、そのような経過で全面無罪になったケースは過去には殆ど例がない。まさに「前代未聞の無罪判決」である(【青梅談合事件20日判決、”人質司法”の常識を覆せるか】。
しかし、もともと、全く「無理筋」の談合事件を、警視庁捜査二課が酒井氏を逮捕し、検察官が起訴し、「人質司法」のプレッシャーで、被告人の無罪主張を封じ込もうとした事件だったのである。
酒井氏は、採算が悪い工事で受注しようとする業者がなく、入札不調の可能性があったことから、工事遅延で発注者の青梅市に迷惑をかけることを懸念し、仕方なく工事を受注することにしたものであり、「複数の業者の受注希望を話合いで調整して絞り込んで、叩き合いで受注価格が下がらないようにする」という「犯罪としての談合」とは全く異なるものだった。
刑法は、「公正な価格を害する目的」と「不正の利益を得る目的」で談合した場合のみを談合罪として処罰の対象としている。このいずれかの目的があることが、まさに「犯罪性を根拠づける要素」であるのに、本件では、それがないのである。談合罪の刑事事件としては、全くの「無理筋」であることは明らかな事件だった。
そのような事件であったが、一審裁判所は、検察官に十分過ぎるほどの主張・立証の機会を与え、慎重な審理の末、無罪という正当な判断に至ったものである。
この事件を判決前から取材していたジャーナリストの江川紹子氏も、【無罪・青梅談合事件から見える日本の刑事司法の今】で、この事件に表れた刑事司法に関する問題を指摘するとともに、法廷で直に証言を聞いて判断しようとした今回の裁判所の姿勢を評価している。
一審無罪判決に対する検察官控訴は、日本の刑事裁判では認められているが、米国のように禁止する国も多い。憲法39条の「何人も、既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない」との規定に反し違憲だとする学説も有力であり、日本弁護士連合会も、刑事裁判の第一審で無罪判決が出た場合に「検察官の控訴」を禁止する刑事訴訟法の改正を求めている。検察の実務においても、検察官控訴は、一審判決に明らかな事実誤認がある場合など、控訴審で覆せる可能性が高い場合に限って行うという抑制的な運用が行われてきた。
本件での検察官控訴は、そのような一般的な実務からもかけ離れたものであり、検察や警察の面子を維持することを目的とする控訴権の「私物化」であり、到底許されるものではないことは、以下に述べる、警察捜査の経過、検察官の「公正な価格を害する目的」についての主張・立証の経過などから、明らかだ。
「警察の無理筋逮捕」を容認し、酒井氏を勾留・起訴した検察
昨年5月、この事件の捜査に着手したのは警視庁捜査二課である。汚職・経済犯罪の捜査部門としての捜査二課では、全国の都道府県警察の最上位に位置する組織だ。当初の狙いは、地元建設業者と青梅市幹部との汚職や入札不正の摘発だった。酒井氏を任意聴取して、その情報を引き出そうとしていた。捜査官は、酒井氏には「協力してくれれば悪いようにはしない」と繰り返し言っていた。
ところが、1か月以上任意聴取を続けたものの、狙い通りのネタは何も出てこなかった。酒井氏の任意聴取は中断し、何事もなく終わったものと思っていた昨年7月5日、酒井氏の自宅は、早朝から、夥しい数の報道陣に取り囲まれた。酒井氏は、一体何が起きているのかわからず、取調べ担当だった捜査官に電話した。「とにかく、車でそこから抜け出して来てくれ」と言われたので、妹の運転する車で立川署に向かい、捜査官と合流、その後、警視庁立川分室に連れていかれ、そこで逮捕された。「どうして俺が逮捕なんだ」と捜査官に食い下がると、「裁判所で令状が出た」とのこと。あたかも裁判所が逮捕すべきと判断して命令したかのような言い方だった。
そのような経過からしても、捜査の現場の判断ではなく、警察組織の上位者の判断で、酒井氏逮捕の判断が行われたものと考えられる。コストをかけて捜査した以上、当初の目論見が「見込み違い」だったとわかっても、潔く撤退しようとしないということなのであれば、「警察の独善」以外の何物でもない。
それ以上に問題なのは、無理筋の事件の捜査で逮捕された酒井氏の身柄送致を受けた東京地検立川支部の対応だ。このような事件では、逮捕前に検察に事前相談があり、東京地検の上位者まで了解した上で、警察にゴーサインを出したはずだ。
この事件は、談合罪の主観的要件であり、犯罪性の根拠と言える「公正な価格を害する目的」がない典型事例だ。その問題を指摘し、逮捕を思いとどまらせるのが検察官の役割だ。
ところが、東京地検は、酒井氏の逮捕を了承し、全面否認のまま勾留し、他の指名業者に対して、逮捕・起訴のプレッシャーをかけ、都合のよいストーリーどおりの供述調書をとって形だけ証拠を整え、酒井氏を起訴した。
「公正な価格を害する目的」についての検察立証の迷走
第1回公判で、被告人の酒井氏が公訴事実を全面的に認め、検察官請求証拠がすべて同意証拠として採用された後、私が弁護人を受任した。「公正な価格を害する目的」について、検察官は、冒頭陳述では、「青梅市が発注した同種工事の平均落札率(入札価格を予定価格で割った数値)は約89.79パーセントであり、本件工事の入札適正価格は約8744万6481円となるところ、酒井組による本件工事の落札率は96.6パーセントであった。」と主張していたが、その根拠となる証拠は全くなかった。
弁護人となって最初の10月10日の第2回公判で、酒井氏は、罪状認否を変更、全面無罪主張に転じた。その後、指名業者の証人尋問が行われるなどして弁護側立証に概ね目途がついたのが、12月10日の第5回公判だった。
公判後の裁判所、検察官、弁護人の3者打合せが行われ、裁判所から、「12月25日の第6回公判で検察官、弁護人双方の立証を終了し、1月の論告弁論で結審、3月中旬に判決」という予定が示された。
その時点で、検察官は、裁判所から、「公正な価格を害する目的」があったと主張する根拠と理論構成を次回期日までに明らかにするよう求められ、期日の直前に、以下のような主張を行う書面を提出した。
被告人は、本件工事の受注によって利益を得るとともに、酒井組の東京都における格付けを維持するなどの目的から、本件工事を受注したいという積極的な意思を有していた。酒井組が本件工事を受注する蓋然性を高めるためには、仮に談合をしなければ、より低い価格で応札せざるを得なかったはずであり、本件談合は、酒井組自身が高い価格で応札することを可能にするためになされたものであるから、公正な価格を害する目的があったものと思料する。
検察官は、被告人が本件工事に対して「積極的受注意思」があったことを立証することで、「談合がなかった場合の想定入札価格」が「実際の落札価格」を下回っていたことを立証しようとし、立証事項として、(1)本件工事の受注で利益を得ようしていた、(2)東京都の格付けを維持する目的があった、(3)酒井組の経営状況、工事受注状況、(4)本件工事と同種の擁壁工事の平均落札率の比較、の4項目を示してきた。そして、その立証準備のために3月末までの期間を要するというのである。
しかし、本件においては、受注の経緯からしても、入札価格決定の経緯からしても、被告人に「積極的受注意思」が立証できるとは考えられなかった。
(1)~(4)の事項の立証では、酒井氏の「積極的受注意思」も、「公正な価格を害する目的」も立証できないことは明らかであり、検察官の立証計画は、審理を不当に遅延させるものでしかなかった。
(1)については、酒井氏が本件工事で利益が見込めないことを覚悟の上で受注したことは、受注に反対した工事部長の証言等から明白だった。
また、(2)の東京都の格付けについては、確かに、酒井組は、東京都の格付けが数年前までCクラスだったのがBクラスに上がっており、大型工事の受注がなければ、Cクラスに下がる可能性があった。しかし、酒井組は、完成工事高3億円程度で小規模企業で、それまでの東京都の受注工事の殆どがD等級で、B,C等級の受注はほとんどなかった。Cクラスであれば、直近の等級のD等級の工事の受注可能だが、Cクラスの格付けのままではD等級が受注できず、かえって不利だった。
Bクラスを維持することは酒井にとって何らメリットがなく、東京都の格付け維持は本件工事の受注の動機にはなりえなかった。
(3)は、酒井組の業績が赤字だったことを、大型工事の本件工事の受注意欲に結び付けようということのようだが、酒井組の経営は概ね順調であり、本件工事を受注し赤字となったことで経営上大きなマイナスが生じたもので、検察官の主張とは真逆であった。
(4)は、擁壁工事というのが、手間のかかる困難な工事で利益が見込めない工事であることは、複数の指名業者が証言しており、その平均落札率をとってみても、本件工事の酒井組の落札率を大きく下回るものになるとは思えなかった。
酒井氏が談合罪で逮捕されたため、次女が酒井組の社長を引き継いで、事業を継続していたが、青梅市から1年間の指名停止、東京都からも9か月の指名停止となっているため、公共工事の受注は全くなかった。他の業者からの下請けや民間工事受注で何とか凌いでいたが、経営はぎりぎりだった。全面無罪を争っている刑事事件の結論が少しでも早く出ることに望みを託し、何とか会社を維持するため懸命の努力を続けていた。
弁護人からは、検察官の補充立証にそのような期間をかけることは全く無駄であることを指摘し、早期結審を求めた。しかし、裁判所も、検察官が立証の意思を示している以上、機会を与えざるを得なかった。
検察官の「無責任極まりない証拠請求」に唖然
公判担当検察官は、当初は、若手のN検事一人だったが、証人尋問が始まる頃から、先輩格のT検事が加わり、二人となった。検察官は、3月25日付けで「『公正な価格を害する目的』に関する検察官の主張・立証」と題する書面を提出し、証拠請求をしてきたが、その内容は唖然とするものだった。
(1)については、酒井組の会計帳簿の分析結果の警察官の報告書、(2)については、東京都の関係部局への格付け制度の照会結果、(3)については、酒井組の取引金融機関からの照会文書、(4)については、「建通新聞」という業界紙の記事を検索しただけだった。
弁護人からは、請求書証はすべて「関連性なし」で不同意にし、検察官の証拠請求に全く意味がないことを指摘する書面を提出した。
ところが、検察官は、弁護人の書面に対して何の反論もしないまま、4月9日付けで、(1)〜(4)の文書等の作成者(東京都職員、金融機関担当者、建通新聞を検索した警察官等)証人尋問請求をしてきた。
警察官以外で、検察官に証人尋問請求されている人達に、事前に検察官から話があったかどうかを確認してみたが、事情も聴かれておらず、証人尋問の話も全く聞いていないとのことだった。全く無責任極まりない証人尋問請求に抗議しようと地検立川支部に電話をかけたところ、2人の公判立会検事は4月10日付けで異動になっていた。異動先は、N検事は「弁護士職務経験」で大手法律事務所に、T検事は名古屋地検とのことだった。
通常、検察官が証人尋問を請求するのであれば、供述内容を確認し、それが立証事項にどのように関連するのかを検討した上で、請求する。ところが、「関連性がない」との弁護人の意見も無視し、何の確認も行わないまま、証人尋問請求をして、翌日には異動でいなくなったのである。まさに、「やり逃げ」である。納税者の負担で「公益の代表者」として職務を行う立場の検察官として凡そ考えられないやり方だ。
後任のK検事が公判を引き継いだが、記録を読んで事案の内容を理解するのにかなりの期間がかかる。結局、次の打合せが行われたのが4月末、公判期日が開かれたのは5月17日だった。その間も、酒井組に対しては青梅市や東京都の指名停止によって、公共工事は全く受注できず、酒井組の経営は深刻な状況が続いていた。
「当然の失敗」に終わった検察官立証と無罪判決
5月から6月にかけて、東京都職員、金融機関の担当者等の証人尋問が行われたが、酒井氏が「積極的受注意思」を持っていたことや「公正な価格を害する目的」など全く立証できないという結果に終わった。
しかも、一定期間で「擁壁工事」の入札状況について検索した結果は、16件中13件が「入札不調」だった。まさに酒井氏が本件で懸念していたとおりだった。残る3件のうち3件は、予定価格ぎりぎり、低落札率の2件は、一般的な「擁壁工事」とは異なるものだった。検察官の立証は、弁護人の主張を裏付けるものでしかなかった。
7月19日の論告弁論。検察官の求刑は罰金100万円だった。K検事が論告を作成するなかで、証拠関係全体を見直して、「公正な価格を害する目的」の立証ができていないことを再認識し、さすがに公訴取消というわけにもいかず、検察内部で検討した上で、求刑を罰金に変更したのであろう。
そして、9月20日、酒井氏に無罪判決が言い渡された(【青梅談合事件、「無罪判決」に涙】)。
本件では、酒井氏を逮捕した警視庁捜査二課も、勾留の上、起訴し、1年以上にもわたって公判を引き延ばし、有罪立証を断念しなかった検察も、全くデタラメだった。その数々の非道は、酒井氏とその家族に筆舌に尽くしがたい苦痛を与えた。
青梅の老舗の地元建設業者として、地域に貢献してきた酒井氏は、突然、逮捕され、がん手術後、体調も思わしくない状態で、昨年夏の異常な猛暑の中、冷房もない拘置所に80日にもわたって勾留された。家族とも面会も禁止されたままの身柄拘束で塗炭の苦しみに耐え切れず、初公判で、心にもなく、罪を認めるという屈辱を受けた。その酒井氏に代わり酒井組の社長を引継いだ次女は、他の地元業者からの工事下請や金融機関の支援を受け、社員一丸となり歯を食いしばって会社を守った。その酒井組にとって、検察官が、ほとんど意味もない補充立証と異動の引継ぎのために費やした半年もの期間は、どれだけ長い期間であったか。
起訴から1年2か月後、ようやく無罪判決が下された。罪状認否を変更した後の酒井氏の無罪主張にしっかりと向き合う一方、検察官にも、立証の機会を十分に与えて丁寧な審理をしてきた野口佳子裁判長は、判決言い渡し後、酒井氏に「長い間お疲れ様でした。」と声をかけた。その裁判長もよもや予想していなかったであろう控訴を、検察は行ったのである。
求刑を罰金に落とし、半分「白旗」を上げていながら、酒井氏をなおも「被告人」の立場に立たせ続けようというのである。
検察官は、一審無罪判決に対して、控訴審で何を主張しようというのだろうか。
被告人の「積極的受注意思」を立証することで、「公正な価格を害する目的」を立証しようとする試みが、無駄に半年以上もの期間をかけたにもかかわらず、全く箸にも棒にもかからなかった。検察官が、その前提としていた「公正な価格を害する目的」の法解釈について、全く異なった主張をするというのだろうか。弁護人は、その点の法解釈が争点になることに備えて、公共調達法制の第一人者上智大学の楠茂樹教授の意見書も提出していたが、検察官が法律論を争わず、弁護人と同じ見解を前提にして立証してきたので、裁判所も、意見書は不要と判断して証拠採用しなかったものだ。楠教授は、今回の判決について、【青梅談合事件無罪判決を読む 〜 なぜ検察は完敗したのか】で解説している。
検察が、捜査・起訴・公判の経過を全面的に検証し、反省すべき点を反省すべきであるにもかかわらず、単に、面子を守るだけでしかない無罪判決に対する控訴を行ったとすれば、「権力犯罪」そのものである。どう考えても、検察官の控訴申立ては、「検察内部での過誤」としか考えられない。
過ちて改めざる、是を過ちと謂ふ。
検察官は、ただちに控訴取下げをすべきである。
郷原 信郎 弁護士、元検事
郷原総合コンプライアンス法律事務所