新潮社は腰抜けである。いまさら、魂や良心があるとでも言うのか。
百田尚樹氏の新作を褒めちぎるキャンペーンを中止するというのだ。「多くのご意見を受け、中止とさせていただきます」とある。
新潮社、百田尚樹『夏の騎士』“ヨイショ感想文”キャンペーン中止 Twitterで批判相次具(ねとらぼ)
この企画自体、百田尚樹氏の許可をとったのかどうかも定かではない。そうでないとしたならば、彼のファンからも反対があってもおかしくない。これは、百田氏に対しても失礼じゃないか、と。
まっとうに考えると、この企画が頂けないものであることは明々白々である。「新潮文庫の100冊」など、読者を喚起する取り組みを行う出版社の姿勢からもはなれたものとも見ることができる。
ただ、ここ数年、例の『新潮45』騒動なども振り返ってみると、今の新潮社ならやってもおかしくないことであり、彼ららしい企画だとも言える。悪ノリしてやったのだろう。こんな新潮社らしい企画をあっさりやめるとはどういうことなんだろうか。
もう伝統や信頼などはどうでもいいのだろう。魂を売っている人たちに、今さら良心がある風に装われても困る。極めて今の新潮社らしい企画が終わって、逆に残念だ。謝罪も雑だ。何に対して謝っているのか分からない。
キャンペーンは終わった。しかし、新潮社、しょうもないなという記憶、記録だけは残ったのではないか。
ふと思い出した。ある年、就活生のモニター調査を読んでいたときのことだ。「評判の悪い面接」のワースト1にあるメガバンクが堂々とランクインしていた。学生のコメントを読んで大爆笑した。
「圧迫面接が下手だった」
と。
メガバンクの面接官も、この話を聞いたら「青く」なるに違いない。さて、どこの銀行だろう。ふふふ。
今回の新潮社も「炎上商法が下手だ」と言いたい。もはや、炎上商法の会社なのに。プロとしてどうなのか。
読解力のない方のために言うと、全部、皮肉だからな。まあ、新潮社ですら、しかも(好き嫌い、評価は別として事実として)売れている百田尚樹氏ですらこの状況だから、出版界も末期ということか。
私の最新作もよろしくね。出版界の戦闘的再生をかちとるために奮闘しようではないか。
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2019年10月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。