時事通信が、『岸と金丸、対日政界工作=親台派取り込み-中国建国70年秘史』とか大げさな記事を流しているので、なんの新発見かと思ったが、Wikipediaにも載っているような話なのでがっかりした。
野田毅衆議院議員(日中協会会長)からの聞き取りで、中国が自民党親台湾派の大物である岸信介や金丸信を取り込もうとしていたという話だ。
岸信介元首相が訪中できないか、つないでほしい」。野田毅衆院議員(日中協会会長)は…(略)…廖承志中日友好会長(当時)からこう要請された。親台派大物への訪中打診は異例だ。野田は岸に面会し、中国の意向を伝えた。岸は「検討する」と応じたが、代わりに訪中したのは、岸ら戦後首相の黒幕とされ、「昭和の怪物」と呼ばれた矢次一夫(国策研究会代表常任理事)。80年5月、北京でトウ小平副首相、華国鋒首相らが会談に応じる「国賓級」のもてなしを受けた。
当時の台湾総統・蒋経国らにパイプを持った矢次を厚遇したのはなぜか。矢次らの訪中記録「北京会談」によると、台湾の平和統一を打ち出したトウ小平は会談で「私たちが生きている間にこの問題(台湾統一問題)を解決したいという希望をお伝えしていただきたいと思う」と、台湾側への仲介を依頼した。
野田氏は、「台湾問題を何とかしたい、台湾への影響力は自分たちより岸さんの方が強い。岸さんは(東京裁判の)A級戦犯であったが、中国は『岸けしからん』とは言わなかった」と解説したとかいうが、当たりまでのことだ。
ところで、この矢次一夫(1899-1983)について最近の人は知らないだろうから、簡単に紹介しておくと、佐賀県生まれで、北一輝の食客となり、労働運動に関与し、野田醤油、共同印刷、日本楽器など大争議の調停にあたった。
幅広い人脈をもち、1933年には統制派の池田純久少佐らと国策研究会を設立した。1953年に国策研究会を再建,1956年に台湾を訪問,1958年には岸信介首相の個人特使として李承晩韓国大統領と会談した。大宅壮一に昭和最大の怪物といわれた人物だ。
韓国との関係では、近著『ありがとう、「反日国家」韓国 – 文在寅は〝最高の大統領〟である!』(ワニブックス)で紹介している部分の一部を転載する。
1957年に岸内閣が発足したが、岸首相は日韓会談の成功に意欲的で、就任の当日にフィクサーの矢次一夫と一緒に韓国の次期事務次官に決まっていた金東祚(九州帝国大学出身で戦前の高等文官試験に合格し終戦までは厚生省で働いていた)と会い、「日本の過去の植民地支配を深く後悔し、早急な国交正常化をめざしたい」ということを願っていると李承晩大統領に伝えることを要請した。
「矢次氏の紹介の言葉に,終始、微実を浮かべていた岸首相」は、次のようにいったと金東祚の回顧録にはある。
帰国したら両国関係に対する私の意見を李承晩大統領に必ず申し上げて、冷却した韓日関係が打開できるよう頼む。私は西日本の山口県の出です。ご承知のとおり、山口県は昔から朝鮮半島と往来が多かったところですね。とくに山口県の萩港は徳川幕府時代の貿易船だった朱印船が朝鮮と頻繁に往来した寄港地でした。それだけに、当地人の血には韓国人のそれが少なからず混じっているのが事実で、私の血統にも韓国人の血が流れていると思うほどです。 いわば両国は兄弟国といえるわけです。
ですから、今日、面国が国交も結ばず、相互にいがみ合つているのはまことにやりきれないことです。私は、日本の過去における植民統治の過誤を深差省し、至急に関係を正常化するよう努力する覚悟です。なにとぞ私の意中を李大統領にお伝えください。
ちなみに、政治家を片端から在日朝鮮人だといいつのるフェイクのなかに、岸・佐藤・安倍一族が含まれることがあるが、それは上記の発言をもとに曲解したものだ。
このあと、矢次氏は首相特使として韓国に招かれ、李承晩大統領と会談し、「日韓併合は韓国にとって迷惑であったろう」という口上を伝え、さらに矢次は「長州出身の伊藤博文の後輩として、後始末を着けたがっているのでないか」といったこともいい、李承晩は岸首相となら交渉妥結も可能だと言って喜んだ。
ただし、この口上について、国会で社会党の今澄夫から追及された岸は「私の意見でなく矢次の意見」と答弁し、今議員は「日本と韓国との間をすべてのものを譲歩して取り持たなければならないということは日本の国民は望んでいない」と釘を刺した。何やら、令和の時代の論戦と立場が逆転しているのである。
いずれにせよ、この種のフィクサーが出てくると、「うさんくさい」ということばかりいう人もいるが、この時代の外交はこういう人物抜きには動かなかったのである。
もちろん、利権も動いただろうが、彼らも利権目当てだけで動いたわけでない。そんなことをいうなら、人権でも環境でもつねに利権は存在し、人権派・環境派の活動がなにがしか利権に結びついていないなんていうことだってありえない。だが、だからといってそれだけが目的であることもありえない。
絶対にいけないのは、その結果として、プロジェクトの採算性にまで影響を及ぼすようなケースだ。
八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授