孔子が予言した資本主義経済の落日

行き詰まる資本主義経済

最近、「資本主義」という、数百年続いた経済・社会の基盤パッケージが行き詰まっているのではないかという状況証拠がいくつか見られます。

まず、マイナス金利です。 日本の政策金利は2016年1月以来3年半に渡り−0.1%で、今年の2月から長期国債の金利もマイナス圏に沈んでいます。欧州の政策金利も0%、米国も実質的にはゼロ金利です。詳細は池田信夫氏の論考「マイナス金利は「国債バブル」か資本主義の終わりか」をご覧ください。また、今週の日経新聞には、世界的に自社株買いが進み、株式市場が縮小しているという報道もありました。

写真AC:編集部

資本主義というものは、お金を持った資本家が、設備投資をして人を雇って収益を得るのが原理です。金利がマイナスということは、やや荒っぽく言うと、お金があっても儲けるビジネスがこの世に存在しないということを意味します。

市場拡張の歴史

資本主義の原理は「市場競争」です。多くの企業が、他の企業よりも商品を売ろうと常に競争しています。ですので、企業努力をやめると、すなわち止まっていると死んでしまいます。みんなで適度に働いて、適度に稼いで、適度に生きていくということは原理的に許されません。それは「談合」と言って競争を阻害する悪しきものとされます。絶え間ない競争を続け、勝った者だけが生き残る弱肉強食の世界です。

しかし、市場のパイが拡大している間はそれが上手く機能していました。勝者でなくても、それなりに分け前にあずかることができたからです。イギリスで始まった産業革命は欧州全土に伝播し、清教徒が米国東海岸に上陸、西へと市場は拡大。一方、欧米列強は、アジア・アフリカ・南米を植民地化して市場が拡大します。30年前にはその最終章とも言えるグローバル経済が立ち上がり、世界の隅々まで市場化が進み、もうフロンティアは無くなってしまいます。

フロンティアは地面だけではありません。たゆまぬ企業間競争で日進月歩で進む技術革新と商品開発は、テレビ・カメラ・通信の商品・サービスを高度化・精緻化していき、その完成形とも言えるスマホが世界中に出回ります。そうするともう作るべきものがなくなってしまいました。あとは着るもので言えばユニクロがそうです。安くて、質が良い規格商品が世界中に広まり、高くても個性的なブランドが次々と駆逐され、結果としてユニクロやスマホで商品単価が下がり、市場規模は縮んでいます。少子化高齢化の人口オーナスが拍車をかけます。

資本主義が生み出せないもの

企業は作るものも、売るものもなくて途方にくれているのがマイナス金利の正体です。この状況は、企業と運命を共にする社員にとっては、給料は下がりリストラされて、とても不幸ですが、消費者にとっては、構造的なデフレでモノの値段が下がり、安くてそこそこな暮らしができるので悪く無いわけです。企業の社員といっても消費者なので、給料が安くても、特に地方部で暮らすなら出費も少ないわけです。

じゃあ会社を中心とする資本主義が行き詰まっているなら、これからは社会主義の時代かというとそうとも言えないでしょう。なぜなら、社会主義も「もの作りをいかに効率的にするか」というシステムを資本主義と競うわけで、「ものづくりの呪縛」からは逃れられないからです。

では、世の中に売れるものがなくなったかというとそうではありません。食べ物とエネルギーと労働力は必ず必要です。ところがそれらは、スマホやユニクロのフリースのように、資金を投入して乗数的に拡大生産できるものではありません。資本主義がもっとも苦手な分野です。令和時代の三種の神器です。

孔子の予言

例えば、孔子は紀元前500年に、「商工業が栄えると、農民が土地から離れ都会に流入して、農業生産性が下がり国が滅ぶので、商工業への過度な依存は控えるべき」という趣旨の主張をしています。その本質は今も変わりません。

孔子(Wikipediaより:編集部)

都市に労働力が流入して等比級数的に再生産が繰り返されて経済が自己増殖する一方、都市はエネルギーも食べものも労働力(都市の出生率は江戸時代も今も、非婚化・少子化で顕著に低い)も再生産しないのです。

ですので、これからは、物の値段も下がって、収入も減るけれど、食べ物とエネルギーと労働力だけ突出して高くなる、部分的なコストプッシュインフレが起こると思われます。

では輸入すればいいじゃないかということですが、実は世界的にエネルギーと農作物の価格上昇トレンドがあります。今は米国がとうもろこしを売りつけていますが、10年後には米国も中国もインドも食物需給が逼迫するという予測もあります。日本はエネルギーと食料を外国からの輸入に依存していて、ただでさえギリギリな貿易収支が、エネルギーと食料の値段が1割も上がれば、慢性的な貿易赤字に陥ります。

そこで頼みの綱は毎年10〜20兆円の黒字の第一次所得収支なのです。これはグローバル化に伴う我が国企業の海外進出や海外の株式・債券などへの投資から得られる収益なのですが、当たり前ですが、世界で金余りと金利の低下、株式収益率の低下が起きているので、これも先行き不透明です。輸出立国のポジションもなかなか厳しくなっていきます。

持たざる若者の復権

これは、「良質の労働力を所有する」若者にとっては悪い話ではありません。金融資産が高齢富裕層に集中して、年金・介護など高齢者に手厚い社会保険制度ですが、簡単に再生産できないエネルギー・食べ物・労働力はプライスレスになり(価格弾力性が低まり)、高齢者から若者に所得移転が進むわけです。実際、介護の現場では若者が嫌気をさして辞めていき、高齢者が高齢者のケアをするという笑えない状況が現出しています。お金持ちが札束で若者のほっぺたをひっぱたいても、超売り手市場ではどうにもならないでしょう。

イデオロギー的な意味でなく、純粋に金勘定の意味で、これからは若者が会社の呪縛から地方に出て、農業や漁業に従事して、再生可能エネルギーを発電して自給自足で生きていくのが最強となるでしょう。

写真AC:編集部

中高年が、既得権を守るために会社にしがみついて逃げ切りをはかっている昨今、若者は会社組織で割りを食っているので、会社を捨て、都市を捨てても失うものはないはずです。ホリエモンも言っていますが、どうせ都会にいても家に帰ったら、一人でスマホでゲームやツイッターやって、ネットフリックス見ているのですから。

ついでに言えば、都市からの人口流出こそが根本的な少子化対策です。都会では、子育ては厳しいのです。色々な意味で。

終戦直後には、都会から金品や着物を担いで、満員の汽車にのって、農家から闇米を分けてもらっていた状況もあったわけです。これからは、都会の高齢者が金塊や現金を握りしめて、地方の若者から野菜と米を分けてもらいにいくなどという状況がまた訪れるかもしれません。

最後に昔懐かしい2ちゃんねるの「メキシコ人漁師とアメリカ人旅行者」の話を引用しておきます。

メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。

その魚はなんとも生きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。
すると漁師は「そんなに長い時間じゃないよ」と答えた。

旅行者が「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」と言うと、漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。

「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」
と旅行者が聞くと、漁師は、「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。
夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」
すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。

「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。
いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。 それであまった魚は売る。
お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。
その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。

そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。
自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。
その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。
きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」

漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「20年、いやおそらく25年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから?そのときは本当にすごいことになるよ」

と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。 どうだい。すばらしいだろう」

株式会社電力シェアリング代表 酒井直樹
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