天皇制の意義
22日、即位礼正殿の儀をTVで視た。やはりその厳かな雰囲気に伝統の継続性を感じた。
筆者は正直な所、皇室に対して格別の思い入れはない。古代に於いて初代天皇が立ち、天皇制が確立したのは、皇統に元々神性が在ったから戦に強く、民心を纏め、国を富ます事が出来たためなのか、逆に戦に強く、民心を纏められ、国を富ます事が出来たから神性が宿ったのか、等々はよく分からない。しかし同時に筆者は、多くの日本人と同様に皇室は日本にとって必要不可欠なものだと思っている。
日本を日本たらしめているのは、価値中立的に見て島国としての隔絶性、日本語の特殊性、精神的一体性を保つ天皇制、の3つだろう。その一脚である天皇制が崩れれば日本がバラバラになる。
日本がバラバラになって、日本の存在感が希薄になれば多くの日本人は「英語の下手な単なる東洋人」と成り果ててしまう。例え海外で働く国際ビジネスマンでも多くは日本と関係性を保ち、日本とへその緒が繋がっているから稼げるのであって、その紐帯が無くなれば大半は海外で働く普通のビジネスマンで収入もそれなりとなってしまうのではないか。
そのため筆者は、日本の存在感が希薄になっては困り、それを支える天皇制を守らねばならないと考えており、 コアな保守陣営からはプラグマティックと叱責されるかも知れないが、「天皇機関説」ならぬ、言わば「天皇機能説」とでもいう立場だ。
皇位継承問題
さて、天皇制に於いて現在最重要の具体的な問題は、皇室の継続と皇位継承問題であろう。
皇位継承問題を考えるに当たっての優先順位は、①皇室の継続、②継承時の紛糾回避、③伝統と開かれた皇室とのバランス、の順であると筆者は考える。
「愛子内親王待望論」とか「秋篠宮は器に在らず」とか週刊誌やNHK始めマスコミが煽るが、一時の風に翻弄されてはならない。皇位継承第一位の秋篠宮親王や親王妃紀子が叩かれる前は、現天皇と現皇后、愛子内親王が叩かれて秋篠宮家が持ち上げられていた訳で、マスコミの作り出す世論の風向き等、一瞬にして変わるものと考えるべきである。
例え秋篠宮親王が器に在らずとしても、御本人に自覚を持って頂くべきなのは言うまでもないし品位も重要ではあるが、存亡を直ちに分ける戦国大名の継承ではなく象徴天皇性に於ける継承問題であり、器云々を持ち出すなら客観的な基準など作れるはずもなく、そもそも血族間の世襲性から問われなくてはならなくなってしまう。開かれた皇室は良いが、急進的に開かれ過ぎた皇室、神秘性が失われ俗な言い方をすれば有難みのない皇室なら、そもそも皇室をわざわざ構える意味が無い。
上記を踏まえれば、具体的には筆者はエリザベス女王を戴く英国等の例もあり女性女系天皇を頭から完全否定する者ではないが、皇室の継続のためには女性女系天皇論は百年間凍結して旧宮家復帰を軸に考えるのが適当ではないかと考える。
皇室を巡って国論が割れる事は、日本の弱体化とそれに続く侵略を想定している某国の望む所である。既にマスコミその他に対し、相当に工作活動が行われていると考えるのが自然であろう。
国民にも、その事に想いを致して頂き、真摯かつ冷静な対処を望みたい。
佐藤 鴻全 政治外交ウォッチャー、ブロガー、会社員
HP:佐藤総研
Twitter:佐藤鴻全