台風19号:「CO2半減」をかつて唱えた安倍首相に求めたいこと

田原 総一朗

先週末の台風19号は、日本各地に大きな被害をもたらした。亡くなった方のご冥福と、被害を受けた方が1日も早く、日常の生活に戻れることをお祈りいたします。

それにしても、台風の被害がすごいことになっている。台風自体も大型化しているし、日本にくる頻度も増えている。今後、さらにひどくなるかもしれない。この現象は、地球温暖化の影響抜きでは語れないだろう。

2007年、ハイリゲンダムサミットに出席した安倍首相(官邸サイトより)

この地球温暖化問題について、国際会議の舞台でもっとも早く提言したのは、実は、第一次安倍政権当時の安倍晋三首相であった。ハイリゲンダムサミットで、「美しい星50」(クールアース50)を各国首脳に発表したのだ。国際的な「約束」である。2007年のことだ。

ここで安倍首相は、温室効果ガスを「2050年までに半減する」という長期目標を提案したのだ。そして、そのための国際枠組みの構築のために、「3原則」を提唱している。つまり、「すべての主要排出国の参加」「各国ごとの事情に配慮する柔軟性」、そして「成長と環境の両立」だ。これらの原則は、すべて宣言文に反映されている。

ところが、この宣言は、ホスト国だったドイツのメルケル首相の案のように報道された。骨子は安倍首相の提案によるものだったのに、安倍首相の発言としてほとんど報じられずに終わってしまったのだ。

折しも、安倍首相がハイリゲンダムに出発する前に、あの「消えた年金問題」が起きたのだ。約5000万件の年金が、宙に浮いていることが判明、国内は年金問題で大騒ぎになった。ハイリゲンダムに同行した記者も、年金問題で安倍首相を問い詰めるだけだった。これが、環境問題についての安倍首相の発言が、ほとんど報じられなかった理由である。

安倍内閣は、帰国後も「消えた年金」問題に加え、三閣僚の事務所経費の不正問題などの不祥事が続き、退陣に追い込まれることになる。

実は、首相辞任後の安倍さんに、僕の番組「サンデープロジェクト」へ出演してもらっていた。そこで僕は、ハイリゲンダムでの、「2050年までにCO2半減」という目標について、「なぜ、あの発言が可能だったのか」と問うたのだ。安倍さん答えは、「実は自民党は、当時、原発を増やそうとしていた」だった。CO2を排出する火力発電を、原子力発電に置き換えていくことで、温暖化を防ごうというのだ。

その後、政権が交代し、自民党から民主党政権に変わった。だが、民主党政権もまた、「CO2削減のために原発の割合を、50%以上にする」としたのだ。50%以上ということは、100基以上の原発が必要である。つまり、福島第一原発事故以前では、地球温暖化問題の解決のためには、原子力発電しかない、と自民党も民主党も考えていたのだ。

ところが、2011年にあの大震災が起きた。そして、福島第一原発であの事故が起きたのだ。一転、菅直人首相は、すべての原発を止め、「原発ゼロ」を目指した。

この原発事故以後、現在、日本で再稼働した原発は9基。それ以外は、ほぼ火力発電でまかなっているわけだから、日本が排出するCO2は、事故以前より大幅に増えている。

CO2削減は、ほんとうに難しい問題なのだ。CO2の排出量がもっとも多いのは、中国で28%だ。続いてアメリカが15%、インドが6.4%である。この3国で、世界の排出量のほぼ50%を占める。ほかの発展途上国でも、石炭火力はコストが安いため、どうしても頼らざるを得ない。

しかし、希望は捨てたくない。たとえば、日本などの先進国が研究しているが、火力発電の効率を高めるなど、可能性はまだまだある。再生可能エネルギーを増やす努力も大事だ。

福島第一原発事故の直後、さまざまなエネルギー関係者、研究者から話を聞いた。そして多くの人が、「再生可能エネルギーのネックは、太陽光や風といった自然現象。その不安定さを克服するためには、蓄電技術がカギである」と言った。

今回ノーベル賞を受賞した、旭化成の吉野彰さんの功績は、リチウムイオン電池を発明したことだ。こうした蓄電技術がさらに発展していけば、再生可能エネルギーが安定供給できるようになるのではないか。

甚大な自然災害を目の当たりにし、2007年「CO2半減」の提言者として、安倍首相もより真剣に環境問題に取り組んでもらいたい。


編集部より:このブログは「田原総一朗 公式ブログ」2019年10月24日の記事を転載させていただきました。転載を快諾いただいた田原氏、田原事務所に心より感謝いたします。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「田原総一朗 公式ブログ」をご覧ください。