この記事は、
・先日亡くなられた緒方貞子さんへの追悼的文章
・緒方貞子さんの強みは「文系博士的多面的な世界観」ではないか?
・そういう「文系博士的な徹底的に多面的な理解」を現代社会はもっと活かすべき
というような話をします。
その流れで、私が提唱している
歴史問題や社会問題に対する「メタ正義的視点」での解決方法
…などについても述べる予定です。
目次は以下のとおりです。
1●「プロが必要だ、キャッチフレーズは役にたたない」と緒方さんは言った
2●緒方さんの博士論文は満州事変の政治分析
3●イデオロギーの対立は、多面的に多面的に現実を描くことでしか乗り越えられない
4●単に戦前の日本に単に「反省しろ」という視座からは、米中対立も北朝鮮問題も解決できない
では、以下本文です。
1●「プロが必要だ、キャッチフレーズは役にたたない」と緒方さんは言った
国際政治学者で、元国連難民高等弁務官の緒方貞子さんが亡くなったそうです。ご冥福をお祈りいたします。
アラフォーの私は妻と一緒に「一時代が終わった感あるなあ」とか話していたんですが、今の若い人にはあまり人物像がわからないかもしれません。
色々の記事を見たところ、この↓BBCの記事がコンパクトに業績と人柄が書かれていたように思います。
記事から引用すると・・・
緒方さんは、深刻な難民危機が相次いだ1991~2000年に難民高等弁務官を務めた。1991年の湾岸戦争後にイラクから逃げるクルド人難民、バルカン紛争の戦争被災者など、「何も持たず、身を守る手立てもない」人々を守るために情熱を捧げた。
緒方さんの並外れた交渉力や、紛争の敵対勢力と向き合う能力は、国連職員や各国首脳から尊敬され、「身長5フィート(約150センチ)の巨人」と称賛された。
緒方さんの凄いなあ…と思わされるところは、それぞれの小集団ごとの「イデオロギー」がぶつかりあい、ときに銃弾が飛び交っているようなところに防弾チョッキにヘルメット姿でホイホイ乗り込んでいって、とにかく現場の声を聞いて話す話す話す話す…みたいなスタイルの活動で。
生前の緒方さんと親しく働いておられた方のツイートがバズっていた↓ので紹介すると…(このツイート以降のツリーは凄く読ませます)
緒方貞子さんが亡くなった。
国連で最初の仕事を始めた時、冷戦構造が崩壊し、あちこちで内戦が勃発していた。そんな時に新米の挨拶に数分の時間をさいてくれた。
プロが必要だ、キャッチフレーズは役に立たないとよく仰っていた。
やがて彼女の講演会のパネルや対談や調査に呼ばれるようになったが、— yoshilog (@yoshilog) October 29, 2019
「プロが必要だ、キャッチフレーズは役にたたない」と口癖のようにおっしゃっていたそうです。
私は、個人的に生前の緒方さんを知っているような人間ではありません(し博士でもないです)が、緒方さんの「博士論文」を一時期熱中して読んでいたことがあるんですね。
で、その論文と緒方さんの難民問題での業績を重ね合わせて考えると、緒方さんが何度もおっしゃっていたという「キャッチフレーズではないプロ」としての「文系博士人材」の力・・・みたいなのを、非常に感じるところがあるんですね。
緒方さんの活動スタイルが他と違うなあ、と思うところは、現場レベルの色んな人の声をナマに聞いていくと同時に、どの立場にも過剰に思い入れてしまわずにフェアな全体像を描こうとされていた感じがあること・・・であって、そういうスタイルが今の時代本当に必要だと感じるわけですが、ひょっとするとそこに「文系博士人材」みたいなのの活躍の可能性があるのではないかと思います。
2●緒方さんの博士論文は満州事変の政治分析
緒方さんの博士論文は岩波文庫になっていて、これ↓なんですが。
さっき本棚から引っ張り出してきたんですけど、2011年に文庫化された頃に本屋さんで見つけて、当時はかなり熱中して読みました。
これはアメリカのカリフォルニア大学バークレー校での緒方さんの博士論文がベースになっているんですが、当時戦後すぐぐらいの時期で、関東軍の日誌みたいな秘密資料とか、実際に生きている関係者へのインタビューとか、そういう一次資料の積み上げて、いわゆる「満州事変を経て大戦へとなだれ込んで行く時代」の日本がなぜそういう決断をすることになったのか…についての多面的分析という感じの本でした。
この本がいいなと思って当時熱中して読んだ理由は、“犯人探し”をしているのではないところです。
政治家、軍人、農村の窮乏、メディア、大衆…といった国内の存在だけでなく、当時の欧米列強の進出や鍔迫り合い、中国側のナショナリズムやある種の「テロ」活動など…とにかく多面的に多面的に描かれているので、
「真空空間に突然大日本帝国軍というワルモノが突然出現し、何も悪いことをしていない無垢なる民草たちはそれに巻き込まれてヒドい目に会いました」
…風の単純化した紙芝居みたいなストーリーになっていない。
戦前の日本というのを描こうとすると、とにかく「突然出現する巨悪」と「無垢なる民」みたいな嘘くさいストーリーで無理やり押し切るようなものが多いわけですけど、
「ちゃんと研究してる人の書くものってスゴイんだなあ
…と私は思いました。
緒方さんがのちのち、アフガニスタンやコソボなどの紛争地に防弾チョッキとヘルメットででかけていって、あらゆる立場の人と直接対話をしながら話をまとめていった成果の背後には、こういう「とにかく物事を多面的に多面的に見る文系博士人材的バックグラウンド」があったように思います。
3●イデオロギーの対立は、多面的に多面的に現実を描くことでしか乗り越えられない
いわゆる「歴史問題」にしろ、あるいは国内での「政治的課題」にしろ、とにかく過剰にイデオロギー的になってお互いを罵り合うしかできなくなってしまっている時代には、こういう
「過激派政治活動家」
じゃなくて
「文系博士人材的プロフェッショナル」
みたいな人にもっと前面に出た活動をしてもらって、とにかくもっと「多面的に多面的に」描くようにしてもらう場面が世の中のアチコチに必要なのではないか、と、緒方さんの論部を読んでいたときに私は思いました。
グーグル社は、モチベーションだとかイノベーションだとか組織活性化だとかのために文化人類学者を雇って意見を取り入れたりしているそうです。単純な「ビジネス」の論理だけでなく、古代からの人間社会運営の知恵や未開社会の風習的なものまで多面的に多面的に見れる知性からのインサイトを経営に取り入れるようになっている。
ありとあらゆる分野で「単純で一面的な論理」が溢れかえっている時代に、「延々と多面的に多面的に多面的に」考える訓練をされた人が、もっとちゃんと行動的態度を持って世の中で差配してくれることの価値は実は大きいはずです。
とはいえ今の日本の「文系博士人材」さんは、彼らに冷たい日本社会に絶望するあまり、「自分たちから率先して自分たちの価値をアピールする」ことなくネットのSNSで怨念を撒き散らすだけに終わっていたり、むしろこの「イデオロギー的に単純化した政治活動家」になってしまったりしてしまいがちな感じがしますが・・・・
日本社会のためにあなたがたができることは大きいはずなので、なんとか活路を見出していただきたいと私はいつも思っています。
4●単に戦前の日本に単に「反省しろ」という視座からは、米中対立も北朝鮮問題も解決できない
ともあれ、例えば東アジア(特に日韓関係)で出口の見えない対立が続いている歴史問題ですが、これもとにかく「イデオロギー」を「多面的な現実理解」に置き換えることでしか解決できません。
なんか、こういうことを言うと、リベラルの人は「そうだそうだ、知的な私たちリベラルは常に”多面的理解”をしているが、あのアホなネトウヨどもは事実関係を全然理解してない独善的なカスどもでホント困るよねー!!」みたいな感じのことを言ってるように誤解されるんですけど…
個人的には「そういうリベラル側の態度」が持つ隠れた独善性の方が、今の時代見過ごされているぶん深刻な問題がある
と私は考えています。
これはブログ一回で述べられるような話じゃないし本能的反発も招くような内容なので慎重に聞いて欲しいんですが。
単純に言うと、
単に戦前の日本に「反省しろ」というだけの視座からは、米中対立も北朝鮮問題も解決できない
んですよね。
物事をアカデミックに徹底的に多面的に見ようとしていった先で、昔も今もちゃんと考えなくちゃいけない課題は、
「当時の国際社会の力学」が厳然と存在している中で、その中で欧米社会から周縁化されてしまう存在(当時の日本、今の北朝鮮やある意味で中国共産党)が暴走しないようにするにはどうしたらいいだろうか?
…という問いであるはずなんですよ。
緒方さんの論文は「そういう視点」が深いところにある感じがして感動したんですよね。
単なる「犯人探しと糾弾と懺悔の強要」が暴走するのとちゃんと抑止した上で、「その地域トータルで見て紛争が解決するにはどうすればいいか?」について考えている印象で。
そういう人だからこそできた難民問題へのアプローチというのもまたあったはずだと思われます。
「欧米社会側」からその「外側」をただ単純に断罪してハイ終わり・・・とかいう「よくわからない理由で世界征服を目指す悪の組織が出てくる子供向け漫画」レベルの世界観では結局自分の「逆側」にいる人間を糾弾したり罵りまくったりすることしかできない。
当時の日本について、国内のいろいろなプレイヤー…だけでなくさらに国外の国際列強の色んなプレイヤー同士の相互作用を多面的に分析していくこと。
それによって実現されるべきことは、「犯人探しと糾弾と懺悔の強要」みたいなのじゃなくて、「どうしたら国際社会から周縁化された存在が暴走しないで済むようにできるか」についての冷静な分析であるべきです。
そういう視点から見た「本当のフェアネス」に基づいて、韓国側の主張の中に含まれている「フェアな部分」と「韓国側の盲目的なナショナリズム」にあたる部分をちゃんと適切に分離して扱うことができれば、やっと日本の保守派側が「過激化する真因」の方から解決できるわけです。(→この話についての詳しい話はこちらのリンク先記事をどうぞ)
日韓歴史問題とか言うときにリベラル勢力は「韓国人の気持ち」の話はするけれども、「日本側の保守派の気持ち」は無視されて当然だと思っている感じなのは、真剣に良くないです。
なぜなら、そういう視点になっている時点で、今度は現代において、北朝鮮や中国共産党と”欧米側にいる社会”が対話することも不可能になるじゃないですか。
だから単純化して言うと、「日本のネトウヨさんをバカにする態度」を取ってる時点でダメなんですね。そういう世界観では、結局現代においては北朝鮮や中国共産党に対してどういう態度で望めばいいのか、どうすれば人類は戦争をせずに済むのか、が全然見えてこないからです。
これは別に旧日本軍が進出先で完全に品行方正で悪いことしてないとか、我が軍の持つアジア解放の大義の前に大東亜の人民は歓呼の声で迎え入れたのである…とかそういうことを言いたいんじゃないんですよ。
「単純化して誰かを糾弾」して「自分はその罪の外側にいる」と思っている時点で、そういう態度じゃあ「戦争の再発防止」は絶対できないってことです。
私の新刊「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」からの図を引用すると、
日本のネット右翼さんの発言に対して、単にその事実関係を指摘して云々するだけじゃ足りないんですね。
そういう感情的ムーブメントが厳然としてそこに存在することを理解して、相手側の立場を、自分たちの理想から見てもOKな世界観で代理的に解決する姿勢が必要なんですよ。
欧米社会が人類のGDPのほとんどを占めていた時代は終わり、中国人13億人と、多くの発展途上国が「中国モデル」での国の発展を目指し、「民主主義とかもう終わった制度じゃない?」とかいう声が地球に満ち満ちてきつつある時期には、むしろ「欧米文明が周縁化してしまったその外側」で起きている現象に対して、「断罪でない対話」をしていくことが必要になっているんですよね。
その中で、「欧米文明の外側で生きている人たち」でも「主体的に受け入れ可能な世界観」をいかに構築できるか…欧米文明が持つ独善性を中和しつつ、欧米文明が持つ本当の理想は捨て去らずにいられるか…そういうチャレンジが放置されていることが、今リベラル側から見ると「日本の右傾化」的な問題として生起しているわけです。
ちょっとブログ一回で述べられる話じゃなくなってきたので、もしこの話にご興味があれば以下の記事↓をお読みいただければと思います。
この視点にみんなが立つまでは決して解決しないで紛糾し続ける…東アジア問題に関する「メタ正義」的解決について
ある程度以上に「多面的に」ちゃんと物事が見れるはずの人には当たり前な視点だと思いますし、結構熱烈な反応もいただいております。
「この形」以外の形式は果てしなく感情的対立を激化させるだけに終わることが、最終的に「この形の理想」へと人類を導くと私は感じています。だからこれを読まれてる日本の保守派の方がいらしたら、妥協せずもう少し頑張っていただければと思っています(できれば関係ないヘイトとかは可能な限り減らしていただけると助かります)。「今のあり方」から「次の着地点」へとジャンプするためにも。
世界中の「意識高い系」の論理から断罪されても前に進もうとするあなたがたのチャレンジは、いずれ「あたらしい着地点」を人類にもたらすでしょう。
こういう「視点」から、資本主義 VS 共産主義みたいな極端から極端へのイデオロギー闘争を超えて、日本社会を「みんなで豊かになる」社会へ変えていくための提案については、以下の記事↓をお読みください。
倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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