昨日は久々に、有楽町「芳蘭」で札幌ラーメンを食べた。22年前、新人時代に教育担当の先輩に連れて行ってもらった店だ。仕事に悩んでいたときの先輩のフォローとラーメンは実に温かった。人類は麺類であり、何者かと言われると丼もので、要するに多様性があるわけだが、この黄色い麺は故郷のことを思い出させてくれる。今日から母が内地に孫の顔を見るために遊びにくるので、温かい気持ちになっていた。
そんな中、北海道民の心を踏みにじる暴言・妄言が、日本テレビ系読売テレビの「情報ライブ ミヤネ屋」という低俗極まりない番組で繰り返された。
ミヤネ屋に北海道民がブーイング 五輪マラソンめぐり「実況アナ泣かせ」「真っ青な空、緑の木々…を繰り返すしかない」(J-CASTニュース)
宮根誠司というアナウンサーは札幌について「何もない」「アナウンサー泣かせ」などの暴言、妄言を繰り返したのだ。北海道、札幌のことをまったくわかっていない勉強不足の発言であり、道民、札幌市民の気持ちなど歯牙にもかけない傲慢な言動である。私だけでなく、道民、市民の故郷を侮辱するだけでなく、北海道を札幌を愛する観光客の心をも踏みにじる蛮行である。
さらには、市民が明日の糧食もままならず日々、不安を抱えて生きるなか「マスゴミ」「オワコン」と言われつつも、高給取りであり続けるテレビ局のアナウンサーという仕事について、そのプロ意識をも放棄する、アナウンサーを即刻廃業するべき発言である。北海道の、札幌の魅力をまったくわかっていない珍妙極まりない情勢認識が開陳されている。
闘う市民諸君!ミヤネ屋を、宮根誠司を断じて許すな!満腔の怒りを叩きつけよ!怒りの火柱を断固として燃え上がらせよ!
ミヤネ屋は、宮根誠司は、北海道や、札幌の魅力を全くわかっていない。北海道の、札幌の、空を見て、空気を吸ったことがあるのか。札幌市民が以前は小学校で歌った「札幌の空」という曲を聞いたことがあるのか。The虎舞竜の「ロード」を聴いたことがあるのか。北海道には、札幌には、何もないようで、たしかにある魅力があるのだ。なんでもないようなことが幸せだったと思うのだ。この空気感、開放感も札幌の魅力だ。
観光名所などわかりやすいものに満ちている方が実況しやすいという考えそのものが、資本主義的汚濁そのものである。アナウンサーであれば、その選手のドラマ、そして、何もなさそうで確かにある札幌の空気感の魅力まで伝えるべきではないか。人気番組、冠番組のアナウンサーという座に傲慢に座り、エゴイズムをむき出しにしていないか。
そもそも、札幌市民も心からオリンピック、マラソン開催を喜んでいるわけではない。開催するなら、長い時間や、議論を重ねて準備をしたかったし、世界中の人に、そのままの札幌を、最高の状態で観てもらいたかった。札幌も十分暑いし、交通や宿泊などのインフラに不安がないわけではない。故郷で五輪は夢のような企画のようで、そのやり方、やる時期を考えなくてはならないのだ。
書いていて私の目からは涙が溢れてきた。動機も激しくなってきた。
母子家庭で育った私は、経済的にも、能力的にも「身の丈」に合っているとは思えなかったし、ライダーズジャケットにロックTシャツにブーツで高校に通い祖母からは「陽平は不良になった」と呆れられていた。ナイフのように尖っていて、いくつもの夜を走り抜けた。
内地の大学で学びたい、ジャーナリストか大学教員になりたいと思い、偏差値40台から追い上げ、第一志望の一橋大学社会学部に合格した。内地に出る日、親戚は集まってくれて、私は当時走っていた夜行列車、北斗星で内地に旅立った。
内地に出ると、何かが変わると思っていた。でも、最初は期待していたほどの変化はなかった。様々な想いを抱えつつ、最初の帰省をした。内地は、東京はたしかに、人、建物、モノにあふれていた。札幌は道内では最高に都会だけれども、それでも東京に比べるとたしかにビルなども少なかった。宮根誠司風に言うならば「なにもない」ということになるのだろう。
でも、そのとき、この何もない状態や、空や空気こそ、私が内地で忘れていたものであり、人生において大事にしたいものだと思ったのだ。帰省するたびに、故郷に戻ってきたと感じるのは、この内地の大都市に比べると何もない空間であり、空であり、空気である。
何もない空間にもその魅力を見出し、その空気感を伝えるのがアナウンサーの仕事ではないのか。冠番組を持つアナウンサーでありながら、その職業を放棄するというのか。廃業にも匹敵する発言だ。恥を知りなさい。
札幌も「何もない」わけではない。実はラーメンやスープカレーの名店は都心を少し離れたところの路地裏にあったりするし、観光客が増えており、新しい施設もできている。帰省するたびに故郷の変化に驚く。
そもそも、この五輪自体が、矛盾の糊塗、詭弁と詭弁の連鎖、日和見主義に満ちたものである。市民の怒りは燎原の火のように燃え広がっている。札幌開催について、道民が素直に喜べない背景にはこのような状況があるからだろう。そのような市民の気持ちをわかっているのだろうか。
この宮根誠司のウケ狙いのようで滑っている低俗極まりない発言も、番組の私物化、視聴率の目的化を繰り返してきたことの当然の帰結にほかならない。道民は、札幌市民は、いや番組の視聴者は怒らなくてはならない。いま、ここで立ち上がらなくては、地方創生などが叫ばれつつも、地方都市は、その表面的な印象で、この低俗な番組にバカにされ、そのイメージが定着してしまうという危機に直面しているのだ。
ミヤネ屋は、宮根誠司は、この現実を虚心に直視し、真摯に省み、経験な反省を持つべきだ。番組終了にも匹敵する暴挙である。宮根誠司を弾劾し、その発言の暴力性をも暴き出すべきである。この道民へ、札幌市民へ歴史的一大攻撃をその頭上に振り下ろした愚行は断じて許されるものではない。
この番組を、アナウンサーを断じて許すな。徹底的に批判し、宮根誠司を同番組のアナウンサーから引きずる下ろすのだ。道民、札幌市民は怒りを断固として突きつけるのだ。闘う隊列を打ち固めるのだ。
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2019年11月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。