先を読む

大事なのは予測能力。「読み」である。私に言わせると、「読み」は ①見る ②知る ③疑う ④決める ⑤謀る の五つの段階から成り立っている。この能力を身につけられるかどうかは、「他人よりいかに多く感じる力に優れているか」にかかっている--之は、ふた月程前にリツイートした「野村克也 名言集」(@NomuraBOT)よりの言葉です。

野村克也公式サイトより編集部引用

後段の「他人よりいかに多く感じる力に優れているか」は、「あらゆる本を読み、さまざまな人の話を聴きに行く」ことで磨かれるとは、正に言われる通りだと私も思います。本ブログでは以下、野村さんが五段階を想定されている「読み」に関し、私なりの手法を簡潔に申し上げて行きたいと思います。

先ず、先を読むべくは勿論、現況を把握するということが一つなくてはなりません。此の現実の状況把握とは、見る・知る・聞くといったことで成されます。そして次段階としては、その現状に何らかの問題がある場合、その原因を多面的かつ根本的に突き詰めて行き、結果その問題が将来どういうふうに発展して行く可能性があるかを見極めねばなりません。

あるいは逆に、その現状が非常に良好な場合、どのような方法でそれを維持・発展させて行くかを考えます。同時にまた、a.その現状を崩し得ることが起こり得るのか、b.起こり得るとしたら如何なることがあり得るのか、c.それらは何時ごろ何を契機に起こる可能性があるのか、等々そういった諸々の事柄を更に考えて行くのです。

何れにせよ、現実の状況把握から出発して得られる様々な知見を利用して先を読んで行くわけですが、その時私は取り分け次の3点に思いを致すようにしています。

第一に、物事の発展の仕方には、ある種の法則が働くケースが数多あるということです。例えばヘーゲルの弁証法に見られる通り、物事は螺旋階段上に進むのではないかと捉え、当該法則が当て嵌まるか否かを考えます。即ち、飛脚が郵便に、競り市がネットオークションに、幌馬車が電車等々に発展したといった端的な例が示すように、横から見た時に上に向かってちゃんと進歩して行っているという反面、昔から人間が欲していた役割・サービスが動力化・ネット化されたりするだけで、上から見たら不動の如き世界がそこにあるからです。

第二に、『論語』に「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」(為政第二の十一)という有名な一節がありますが、未来を予測する場合は時空を超え、温故知新が必ず参考になるということです。例えば私は年始の恒例で、年賀式に於いてその年の干支(十二支と十干)から年相を占うことを自ら掲げ、毎年表明しています。之は、長きに亘る人類の統計データから得られた一種の周期性・法則性に基づく知見をベースに、未来を予測するといったやり方です。過去、現在の積み重ねの上に未来は構築されて行くわけで、どうしても歴史に学ばなければなりません。

第三に、これまではどちらかと言うと過去をベースにした先の読み方ですが、過去に全く起こっていない事柄も常に新たなものとして未来に起こり得るということです。庶民的に言えば、之は「まさかの坂」であります。時代が変われば今常識とされている事柄が非常識になったり、逆に嘗ての非常識が常識といった形で塗り替えられたりし得るのです。例えば古代・中世の宇宙観である地球中心説「天動説」という一つの常識に対し、「地動説」という非常識的な太陽中心説を主張したガリレオ・ガリレイが、「宗教裁判でその説を撤回させられたときに、つぶやいた」とされる言葉、「それでも地球は動いている」とは正にコペルニクス的転回でありました。我々は常時、一人の天才がある種の閃きにより新しい世界を創ることもあり得ると意識し、未来を予測して行かねばなりません。

以上、思いつくままに述べてきましたが、私の場合は大きく言って上記のような手法で先を読んで行くということではないかと思います。

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