河野洋平氏に聞いてみたかったこと:幻の「日韓フォーラム」取材

崔 碩栄

※この記事は、2013年に書いたもので初めて日本の某雑誌に寄稿したもの。しかし残念ながら「ボツ」になった。


幻の日韓フォーラム参加

韓国ソウルで2月14日に日韓フォーラムが開催されるという報道を目にしたのは1月中旬のことだった。日韓フォーラムは日本の中日新聞、東京新聞と韓国のソウル新聞が主催し、年一回、韓国と日本を交互に会場とし、開催される国際的イベントである。

このころの両国には李明博(イ・ミョンバク)大統領による2012年8月の竹島訪問をきっかけとして生じた険悪ムードが根強く残り、それぞれの国で誕生したばかりの新政権、安倍内閣そして朴槿惠(パク・クネ)政権が今後、どのような政策を打ち立てていくのか、状況を見極めなければならない時期であった。それだけでも、今回のフォーラムには格別の意味があったといえる。

河野洋平氏(Wikipedia)

それに加えて今回は、1993年に日本政府の高官という立場で初めて慰安婦動員の強制性を認める発言をした政治家、現在に至るまで、両国関係に大きな影響を及ぼしている「河野談話」を表明した張本人、河野洋平氏の参加が予定されているというのだから、注目すべきフォーラムであったといえる。

一般参加も可能であるという報道を見て、私は参加申請をしようと事務局へ電話をかけた。この時点で、電話を受けた事務局員から、参加できる人数が非常に少ないために参加することは難しいかもしれない、との説明を受けた。

一般人が参加できる枠はどの程度なのかという私の問いに対しては、「非常に少ない」と答えるばかりで、具体的な数字を教えてはくれなかった。会場の一番後ろに立って見るのでもいいから見学したいと言うと、名前と連絡先を教えてもらえれば、参加の可否について明日連絡すると言われた。

10日ほど時間が経ち、半ばあきらめかけていた頃に連絡が来た。ところが、参加の可否が決められる過程は思いのほか複雑なもので、電話をしてきた事務局員は、私という人間についての基本情報、すなわち、氏名、年齢、職業等についての情報収集からはじめ、「フォーラムの開催をどこで知ったのか」、「なぜ参加したいのか?」等々、次々と質問をしてきた。

フォーラムは新聞で知り、河野洋平氏の講演を聞いてみたいのだと話すと、彼女は「あ、やはり河野氏でしたか」と納得した様子で、「質疑応答時間に聞いてみたいと思っている内容とかはありますか?」と続けた。だが、講演を聴く前の段階で、具体的な質問など浮かぶわけがない。しばし、小首を傾げて考えてみたが、まだこれといって考えている質問は無いと答えた。すると彼女は、検討し参加者が決定したら後日また連絡します、と言って電話を切った。

つまり、この時点まで、一般参加枠はまだ確定していなかったということになるのだが、参加者の性向、意図、質問内容等を「事前調査」した後、参加者を決めるという事務局の行為からは、何かに対しひどく警戒し、あるいは、何かを守るべく動いているようだという印象を受けた。

残念なことにこの後、事務局からの連絡はなく、フォーラムについては新聞の紙面のみで確認した。参加者として選ばれなかったことは残念だが、マスコミや関連機関に籍を置かない一介の「フリーライター」である以上、受け入れなければならない現実だった。

私が聞きたかった内容

実は、私は、あの理解しがたい「事前調査」の電話を受けてから「日韓フォーラム」の性質について考えてみた。前述したように、このフォーラムは日本の中日新聞、東京新聞、韓国のソウル新聞が主催する。東京新聞は中日新聞の系列紙であるから、実質的には、フォーラムの主催は中日新聞とソウル新聞の二社によるイベントだと見ても良い。

一見「民間」によるイベントであるかのように見えるが、ソウル新聞は元来韓国政府が所有していた会社だ。2002年から民営化されたものの、未だに政府の持株比率は30%と高く、広告も政府に依存する傾向が強い。言い方を変えれば、韓国政府の意図が強く反映されるマスコミだということだ。ここに参加者の「事前調査」がなされるような閉鎖的なイベントであることを考え合わせるならば、イベントの内容や雰囲気は想像に難くない。

フォーラムでどのような内容の発言があったのかについては、新聞を通して知ることが出来たのだが、その内容も「想定内」のものであった。今回のフォーラムでもっとも注目を集めていた河野氏は日韓友好を訴え、安倍政権の右傾化を懸念し、日本が歴史について反省する必要があること、などについて述べた。いかにも韓国社会が「日本人の口から言ってほしい」内容のオンパレードだった。そして韓国のマスコミは、待ってましたといわんばかりに、河野氏の発言を伝え、その報道は韓国の一般市民に「安倍政権は右派、自民党の重鎮議員(河野氏)でさえ、憂慮している政権」という認識を植えつけるのに貢献した。

しかし、特別に新しい質問や発言はなかったという点に、私は落胆した。何故ならば、参加許可がおりた場合に備え、私は「斬新な」質問を用意していたからだ。もし、私がその会場に参席する幸運に恵まれていたのなら、私はこんな質問を投げかけていただろう。

河野さんは北朝鮮、そして朝鮮総連と、どのような接点を持っていますか?

私がこんな質問をしてみたいと思ったのにはもちろん理由がある。河野洋平氏には実際、朝鮮総連、そして北朝鮮と不可思議な接点があるからだ。

朝鮮総連の行事に参加し、総連と金日成を称賛

朝鮮総連の機関紙「朝鮮新報」

1945年に創刊された民衆新聞を前身とする「朝鮮新報」という朝鮮総連の機関紙がある。事実上、北朝鮮の代弁者としての役割を果たしている同紙の論調は、平壌で発行されている「労働新聞」と瓜二つである。

その「朝鮮新報」の1980年5月28日付の記事に、河野洋平(当時新自由クラブ議員)に関連する面白い内容が載っている。朝鮮総連25周年行事に参加した河野氏の祝辞内容が紹介されている記事だ。

尊敬する韓德銖(朝鮮総連議長)先生。この席にお集まりの幹部の皆様、私は皆様方が敬愛する金日成主席の指導の下、いくつもの難しい局面や困難を乗り越え、結成25周年を迎えられたことに、心からお祝いの言葉を述べさせていただきます。

この25年間、皆様は着実な歩みで、在日同胞をまとめあげ、日本の広範にわたる人々の理解を得るため努力をされてきており、今日、保守的だといわれる新自由クラブを代表する私が、この席にご招待いただいたことをみても、皆様方の運動の正当性の一端を窺うことができるでしょう。

朝鮮問題についてはさまざまな意見がございますが、今日、日本の近隣国家である朝鮮半島の自主的平和統一を積極的に支持するという意見が大多数であることは疑いの無い事実となっております。

このような良い状況というのは黙って座っていれば自然に整うというものではなく、皆様方が、苦難に満ちた道のりをご自身の力で開拓してきたことから勝ち得た結果です。私はこれについて深い敬意を表します。

皆様たちは、この25年間絶え間なく、着実に努力を重ね、固い団結を守り、運動を確固たる形へと発展させてきました。皆様の運動なくしては在日同胞の生活や安全、反映は考えられず、彼らを守り育ててきたことは、やはり、皆様方の努力によるものだと思います。

新自由クラブは立党以来、朝鮮民主主義人民共和国に正式代表団を送り、真剣な意見交換を行ってきたことを始めとし、世界平和のために、力を注いできました。

まだ未熟な点もございますが、私たちは、力で問題を解決できるなどとは、決して思っておりません。

平和を願う心と心の対話、そういった誠意を結集させた大きな政治的な判断が、朝鮮を自主的平和統一へと導くでしょう。

もう一度、新自由クラブを代表し、結成25周年を祝し、これからも皆様方が強い団結と、敬愛する金日成主席の指導の下、理想達成のため、続けて献身されるであることを願い、それらの運動に、私たちがともに、肩を並べて歩み、行動していくことを約束し、お祝いの言葉といたします。

(原文は朝鮮語。青文字の部分および括弧書きは筆者による)

河野氏はこの祝辞の中で自ら朝鮮総連の活動に正当性を与え、金日成の指導力を絶賛している。そして、朝鮮総連の運動に、自身がともに歩み行動することを約束したのだが、これほど発言をみれば、彼は朝鮮総連の「盟友」であるといっても十分に通じるだろう。

さらにいえば、この発言のあった1980年は、北朝鮮と朝鮮総連による、日本人拉致工作が頻繁に発生していた時期である(1977年、横田めぐみさん、1978年蓮池薫さん他)。このような時期に「皆様方の運動の正当性」云々する河野氏の発言は、どうにも腑に落ちない部分がある。

朝鮮新報はこのような河野氏の発言を「朝鮮総連の正当な活動は(日本の)保守系を含めて広範囲において支持を集めている」という見出しの記事で紹介し、この「河野発言」を朝鮮総連活動の正当性を主張する一つの根拠とした。つまり、朝鮮総連は河野氏を対外宣伝と、正当性宣伝のための好都合な「道具」の一つとして利用したのだ。

政治家が宗教団体、営利団体等の行事に参加したり、祝電を送ったりするのは、珍しいことではない。これらの行為の動機は、大きく3つ考えられる。一つは、その組織の持つ、集票力、すなわち「票」を意識したもの、あるいはその組織との個人的な付き合い、そして、「お金」すなわち、政治献金に対するお礼だ。

だが、朝鮮総連の場合「朝鮮籍の維持」を標榜する組織であり、相当数が朝鮮籍である。つまり、選挙権を持たないのだから、「票」を意識した参席であったとは考えにくい。そうであれば、個人的な付き合いか、政治献金を疑いたくなるところだが、外国人の政治献金が許容されないことを考えると、献金はあってはならない動機である(だからといってそれがなかったと断言することは出来ないが)。

それでは、保守派を標榜する河野氏が「敬愛する金日成主席」と手放しに褒め称えながら、朝鮮総連の行事に参加するというのは、どれほど親しい付き合いがそこにあるというのだろうか? 私が河野氏に聞きたかったのはそのことについてだった。

慰安婦問題に関わる「左派」

韓国で河野氏の名前が取り上げられるときに、いつもついてくるキーワードは「慰安婦」だ。1993年、当時官房長官であった河野氏が慰安婦連行における強制性について言及した、いわゆる「河野談話」以降、慰安婦問題が話題となるたびに韓国は主張する「根拠」の一つとして、河野氏の名前を挙げてきたために、韓国において河野氏と慰安婦問題は切っても切り離せない関係となっているのだ。

Wikipedia

ここでもう一つ考えてみたい問題がある。慰安婦を取り巻く問題は日韓の左翼、北朝鮮、朝鮮総連等、「左派」との関連することが多いということだ。まず、架空の慰安婦狩りの話を一冊の本としてまとめ上げ、一大センセーションを巻き起こした吉田清治は<日本共産党>出身である。韓国の<有力慰安婦関連団体>は北朝鮮の慰安婦関連団体と連携するという美名のもと北朝鮮との間を往来しているばかりか、金正日の死亡時には弔電を送り、また、韓国社会で「親北政党」と揶揄されている統合進歩党から支援を受けている。

また、去る2003年にソウルの日本大使館前で発生した慰安婦デモに参加していた牧師韓(ハン)相烈(サンニョル)は、2010年に韓国政府の許可無く北朝鮮を訪問し、北朝鮮と金正日を褒め称えるような発言をしたために拘束され、収監された。このように、慰安婦に関わる人、あるいは団体が「左派」あるいは「北朝鮮」に近い性向を持っているという例は枚挙に暇が無い。

この点に注目すると、慰安婦問題に大きな波紋を投げかけた「談話」を発表した河野氏が左翼の代表的存在である朝鮮総連と近い関係にあるということも、特別不思議な状況ではないように思えてくる。

もし、韓国で河野氏と同じくらいはっきりと北朝鮮に対する親近感を表明し、金日成を称賛する発言をした人がいたならば、間違いなく「親北勢力」だというレッテルを張られ、韓国の保守派、右翼の激しい非難を受けることになるだろう。韓国は朝鮮戦争を経験したため、「親北」に対する反感は今も強く、刻み込まれている。

しかし、河野氏が朝鮮総連で行ったこの「河野発言」が韓国に知られても。韓国の保守派、右翼はもちろん、マスコミすらも、河野氏を非難したりはしないだろう。何故ならば、河野氏は対日関係において韓国に有利な「談話」を発表してくれた「味方」というべき人物、つまり、韓国における免罪符を手にしている人物であるからだ。

いくら北朝鮮、左翼が嫌いな韓国人であっても、吉田清治や河野氏の発言を否定することで、慰安婦問題の信頼性を損ねるわけにはいかないのだ。外部の人間から見れば矛盾している行動に映るかもしれないが、これは、長い間繰り返されてきた「反日煽動」の副作用ともいうべき韓国社会における、暗黙のルールなのである。

ともあれ、私の「日韓フォーラム」参加は叶わず、河野氏に北朝鮮、朝鮮総連とどんな関係かという質問をする機会も残念ながら無くなってしまった。だが、もしも、今後どこかで、彼が一つの質問を私に許してくれるのならば、私は河野氏にこのように聞きたいと思う。

朝鮮総連との「親交」とあなたの「談話」の間にはなんの関係なく、いかなる影響も受けることなくなされたものですか、と。

(終わり)

崔 碩栄   フリーライター

1972年、韓国ソウル生まれ。高校時代より日本語を勉強し、大学で日本学を専攻。1999年来日し、関東地方の国立大学大学院で教育学修士号を取得。大学院修了後は劇団四季、ガンホー・オンライン・エンターテイメントなど日本の企業で、国際・開発業務に従事する。その後、ノンフィクション・ライターに転身。ツイッター「@Che_SYoung