命を全うする

ダイヤモンド・オンラインに今年7月、「死の直前、人が最も多く後悔する5つのこと」という記事がありました。その5つの後悔とは、①自分に正直な人生を生きればよかった、②働きすぎなければよかった、③思い切って自分の気持ちを伝えればよかった、④友人と連絡を取り続ければよかった、⑤幸せをあきらめなければよかった、とのことです。これらは私にとってクエスチョンマークが付くものばかりですが、皆様は如何に思われたでしょうか。

私自身は、人間常にいつ死んでも良いようにしておかねばならない、と考えています。人間は必ず死すべきものであり、また、いつ死ぬかは分からない存在です。それは全て、天命です。仮に平均寿命まで生きることを前提とするならば、a.その自分の人生の中でどういう自分をつくるのか、b.自分の天命とは一体何なのか、c.その天命を果たすべく此の世でどのような努力をして行ったら良いか、等々を深く考えて生きて行かねばならないと考えています。

は此の世に生まれた人間としての役割、他の動物にはない「人間性」というものを天から受けています。之は人間には人間としての生き方や役割があるということで、即ち天が人間に使命(ミッション)を負わせ此の世に送り出したということです。全ての人間は此の世を良き方に向かわせるべく存在し、此の世の進歩発展を永続化するための遺産を残さなければなりません。換言すれば、世のため人のために生きるよう天意を受けているのだと思います。

使命とは文字通り「命(いのち)を使う」ことでありますが、では「何のために命を使うか」と言えば、それは自らに与えられた天命を明らかにし、その天命を果たすためです。人間みな生まれた時から棺桶に向かって走っており、そして人生は二度ないのです。一たび過ぎ去った時間は二度と取り戻し得ない、大変貴重なものであります。私は、一時一時を大切にし寸暇を惜しみ自らの天命を果たすべく一生懸命に全力投球して行く、ということが大事だと思っています。

冒頭「死ぬ瞬間の5つの後悔」に平均寿命まで生きた人がさいなまれるとすれば、その人達は確固たる死生観を持たず何も考えてこなかったのではないかと言わざるを得ないでしょう。人間各々のミッション、即ち命(めい)に応じて、此の世で果たすべき役割があります。「人間において棄人、棄てる人間なんているものではない」と安岡正篤先生も述べておられる通り、「天に棄物なし」全ての人の「人生に無駄なし」です。此の世に生ある限り世のため人のためとなるように志を立て、その志を遂げるべく夫々の人が夫々の形で粉骨砕身生き行くべきだと私は思います。そうでなければ棺桶に入る時、何らかの後悔の念が生じるのではないでしょうか。

今年一年、小生の拙いブログを御愛顧頂いた皆様には厚く御礼を申し上げます。
来年が皆様方にとって良い年になりますよう、心より祈念致します。

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