1300以上の自治体は制定していない
今月、沖縄県石垣市で自治基本条例の廃止案を巡り市議会で審議があった。最終的に議会では廃止案は僅差で否決された。この自治基本条例の廃止運動に対して沖縄マスコミを中心に左派マスコミは批判的である。
(琉球新報)<社説>自治条例廃止を否決 自治の推進を貫くべきだ
ネットでこの問題を検索すると石垣市では何か民主主義にかかわる重大なことが起きていると感じている者も少なくない。
自治基本条例は一部関係者から「自治体の憲法」と呼ばれているから、それが廃止されると地方自治体の民主主義の根幹が否定される不安があるといったところだろうか。
この自治基本条例の制定を推進している団体のホームページによると現在までに390の地方自治体で同条例が制定されていると言う。
確かに少なくはない。しかし、この日本で地方自治体は市町村だけでも1724ある。だから1300以上の自治体が自治基本条例を制定していないことも忘れてならない。
1300以上の自治体は「自治体の憲法」がなく、何か民主主義上の重大な欠陥を抱えているのだろうか。そんなことあり得るだろうか。では、どうして1300以上の自治体が自治基本条例を制定していないのだろうか。
その理由は単純で必要がないからだ。少なくとも積極的に必要とする理由はない。
自治基本条例がなくても地方行政が停滞するわけでもない。仮に停滞したとしてもそれを自治基本条例の有無に求めるはずがない。自治基本条例がない自治体が「まちづくり」になんら理念がないというわけではない。条例ばかりが強調されるが議会の「決議」の次元で「まちづくり」の理念を示している自治体などいくらでもある。要するに自治基本条例はないが自治基本条例的なものはある。
「自治体の憲法」と呼ばれる自治基本条例だが話題になった石垣市が自治基本条例を制定したのは2009年である。では、石垣市は2009年以前は「自治体の憲法」がない何か民主主義上の重大な欠陥を抱えていた自治体だったのか。そんなわけないだろう。
この「自治体の憲法」という表現が強調されているが、この表現は単なるリップサービスで法的意味はない。国の憲法で国会は「国権の最高機関」と記されているが、これに法的意味がないのと同じである。
自治基本条例を巡る議論では「自治体の憲法」なる言葉を強調して議会の条例制定権(廃止を含む)を否定することは許されない。それこそ地方自治の否定である。
権力者に制定された「自治体の憲法」
憲法というと誰が制定したかで評価も変わる。日本国憲法には米国が制定したという意味で「押しつけ憲法」という評価があり、この評価が日本国憲法に否定的評価を与えていることは間違いない。憲法は最高法規であるから制定者の評価が憲法自体の評価に影響を与えることは不思議なことではない。
では、「自治体の憲法」たる自治基本条例は誰が制定したのだろうか。話題の石垣市はどうだったのだろうか。石垣市で「市民革命」でも起きて熱狂の中、市民の手で直接、自治基本条例が制定されたのだろうか。もちろん、そうではない。石垣市の自治基本条例は市長が市議会に条例案を提出し、議会で審議、可決されて成立したものである。
市議会の議事録を呼んでも時の市長の条例提案理由も実に丁寧であり、その熱情が窺える
また、自治基本条例の制定にかかわった行政関係者の話はネット上でも確認される(参照:琉球新報12月16日「「世界の恥」と市民に危機感 2年半かけて議論、策定した「自治体の憲法」の廃止)。
この「市長→議会」の制定構図をみて「議会が自治基本条例を制定した」という者はおるまい。筆者は現役の地方公務員だが市長の発案により制定された条例を「議会が制定した条例」とは普通、呼ばない。「議会が制定した条例」とは議員が発案したものである。
市長の発案により制定された条例は各自治体によって呼び名は色々あるだろうか「行政」意識した表現のはずである。これは非公務員の方もご理解いただけるのではないだろうか。
日本は国会に限らず地方議会も議員の立法活動は極めて低調なのである。
そして地方自治においてよく悪くも首長は絶大な権限を持つ。誤解を恐れずに言えば首長と議会は対等ではない。首長は突出した権限を持ち、それは地方自治法で保障されている。首長は大変な権力者であり「対議会」という次元では内閣総理大臣を上回る権力者である。石垣市の自治基本条例とはそんな人間によって制定されたものである。
今回の騒動では自治基本条例は「自治体の憲法」と呼ばれている。しかし、憲法とは本来、権力者の抑制を目指して発展したものである。だから権力者(首長)の発案によって制定された憲法など無理して守る必要はあるまい。必要性が乏しいなら尚更である。
左派が「自治体の憲法」にこだわる理由
自治基本条例を巡って左派は「自治体の憲法」という表現にこだわっている。どうして左派はこの表現にこだわるのか。それは「憲法」のフレーズを用いて他人より優位に立ち、自らの政治目的を達成したいからである。左派は我々日本人の順法意識の高さを逆手に取っているのである。
左派にとって「憲法」とは「支配の道具」である。憲法の条文を根拠に自らの反対派を攻撃する。石垣市の騒動もこの視点が重要である。
現在、石垣市は自衛隊配備を巡って良くも悪くも市政が議論百出状態であることを忘れてはならない。
憲法を「支配の道具」とする左派の手法はあいちトリエンナーレでも確認された。日本の左派とは立憲主義に最も反する勢力である。だから左派に自治基本条例が語らせると地方自治は全く発展しない。それどころか地方自治は住民同士が深刻な分裂を抱える危険すらある。
その危険を回避するために今後とも左派の地方自治論に注意を払う必要がある。
高山 貴男(たかやま たかお)地方公務員