ソレイマニ司令官の殺害は大事件だ。だが、おそらく事件前にソレイマニ氏のことを全く知らなかっただろう日本の人々が、「イランの国民的英雄」といった言葉に、「第三次世界大戦」といった無責任な言葉を付け加えて、意味不明なお祭りをしている様子には、茫然とさせられた。
ソレイマニ司令官は、イラン革命防衛隊の特殊作戦部隊の司令官を20年近く務めている超重要人物であったが、要するに秘密裏の海外軍事行動を通じて「シーア派の孤」を作り上げ、他国の混乱を助長していた人物である。国内のデモ隊の苛烈な鎮圧もしている。言葉の普通の意味で、怪しい危険な人物であり、そこが特殊業界での彼のカリスマ性の源泉であった。
アメリカによるソレイマニ司令官殺害作戦は、大胆な作戦だったが、論理的に破綻しているわけではない。国際法の観点から見ても、私に言わせれば、少なくとも2003年イラク戦争の場合などよりは相当に自衛権の論理に合致したところがあり、少なくとも検証に値する事例である(関連拙稿:ソレイマニ司令官殺害と国際法上の自衛権)。
政治的に見ても、彼の殺害作戦にはリスクもあっただけで、リターンもある。ソレイマニと同じ役割を完璧に果たせる人物がすぐに生まれないはずだ(関連拙稿:緊迫の中東海域へ:自衛隊の「調査・研究」能力は十分か?)。
ソレイマニの死は信奉者にとっては悲劇的な死であったかもしれないが、ソレイマニが数万の無名の人々の死に責任を持つ人物であったこともまた事実である。
イランの外交政策に、誰も制御できないソレイマニの行動が影響を与え続けていた構造も、極めて不健康であった。
トランプ大統領は、ソレイマニ殺害作戦後、「戦争を避けるためにソレイマニを除去する作戦を行った」と説明した。これを日本のマスコミは、全く支離滅裂な狂人の戯言のように扱った。
しかし、イランによるイラク領内アメリカ空軍基地への計算された報復攻撃と、その後のアメリカの自重を見れば、ソレイマニの除去には、確かにイランとアメリカの間での外交的な計算を成り立たせやすくする一面があったこともわかる。
ソレイマニを除去した上で、「イランは対決姿勢を後退させつつある」とシグナルを送るトランプ大統領の姿勢は、日本のマスコミにとっては拍子抜けするものだったかもしれない。だが一貫性が認められる。「イラン国民や指導者に告ぐ、われわれはあなた方の偉大な未来を望んでいる」と述べたところは、「取引」好き大統領の面目躍如だった。
トランプ氏、軍事力行使望まず 対イラン追加制裁表明(日本経済新聞)
また、アメリカはエネルギー自立性を持っており、中東の戦略的重要性はむしろ低下している、NATOがもっと関与すべきだ、という発言は、イラン国民に向けられているだけでなく、同盟国に対して発せられている。そのことを、日本人ももう少し真剣に受け止めるべきではないだろうか。
少しでも武力を使うと、世界大戦だ、と騒ぎだす。同じ人物が別の機会に武力を使わないと、豹変した、などと騒ぎだす。政策的判断による軍事力行使の方法を全く認めない。日本のマスコミの悪弊である。
日本の話になると、もっとひどい。少しでも自衛隊を動かすと、戦争を求めている!と騒ぎだすという風習である。
ソレイマニ司令官殺害のニュースが国際的に大きく取り扱われているのを見て、浮足立った日本の野党勢力が、「自衛隊の派遣をやめろ」、と言い出した。その他の野党系のコメンテーターの言葉を見ていると、「第三次世界大戦が始まろうとしているのに自衛隊を派遣するなんて安倍首相は狂っている」といった勇ましい論調が多々見られる。
冷静になってほしい。
ホルムズ海峡ですら、民間船舶が行き来しているのだ。危ないところに自衛隊を送るな、と叫ぶだけでは、政策論になっていない。少なくとも真面目な情勢分析を提示したうえで、どのような政策論の中で自衛隊派遣の中止を訴えるのか、国民の知的レベルをバカにすることなく、真剣に説明するべきだ。
「ソレイマニはイランの国民的英雄だった、狂気のトランプが思いつきで暗殺した、第三次世界大戦が来る!」という物語を振り回して、ただ安倍内閣の支持率の低下だけを生きる目標にしているような態度は、世界の笑い者だ。
あわせて「自衛隊の中東派遣に「反対」 憲法学者125人が声明を発表」という記事も見た。
いったい憲法のどの条項のどういう解釈に自衛隊派遣が違反しているという憲法論なのか?と思えば、「平和主義にとっても民主主義にとってもきわめて危険」といった極度に抽象的なイデオロギー空中戦をしているだけの記事だった。こういう声明を紹介するのに、いちいち「憲法学者」とか無関係なことを見出しにするべきなのだろうか。
たまたま同じ政治イデオロギーを持っている大工さんだか会社員だかが集まって自衛隊派遣の中止を訴えたとしても、「大工さんと会社員125名が声明を発表」などといった見出しにはしなくていい。
同じように、法律家としての憲法論を提示しない人々を、あえて憲法学者と紹介する必要はないように思う。
篠田 英朗(しのだ ひであき)東京外国語大学総合国際学研究院教授
1968年生まれ。専門は国際関係論。早稲田大学卒業後、