イラン革命防衛隊コッズ部隊のソレイマニ司令官の殺害は中東に激震をもたらす大事件だ。もっとも、事件の理解のためには、国際法上の論点の整理も必要だと思われる。
立憲民主党の枝野党首は、「この行為が国際法上正当化できるのかどうか疑問があります」と述べるにとどめたが、社民党は、「予防的な自衛権の行使は違法」と主張している(参照:社民党HP声明・談話)。
今回の行動が2003年イラク戦争と同じ先制的自衛権行使にあたるので明白に違法だという主張は、他のコメンテーターにも見られる(参照;ヤフーニュース個人「高まる米・イラン緊張とトランプ政権の国際法違反。最悪の結果を回避するために。」)。
しかし、明白な脅威が存在する場合に、その脅威を自衛権行使で除去することは必ずしも違法ではない。脅威の認定には、一連の事態の流れを把握しておくことが必要である。
今回のアメリカの作戦が国際法上の合法性があるか否かは、きちんと現代国際法規範の筋道にそって議論するべきだ。
今回の事件に先立って、年末からバグダッドの米国大使館が暴徒に襲われるという事件が起きていた。大使館に暴徒が侵入するのが極めて深刻な事態であることは、言うまでもない。この群衆が、イランが支援するシーア派民兵組織「カタイブ・ヒズボラ」の旗を掲げていたことがポイントである(参照:ブルームバーグ)。
この群衆は、アメリカによる「カタイブ・ヒズボラ」の拠点に対する空爆に抗議していたのだが、アメリカからすれば、その空爆はイラク北部キルキーク近くで米国人の犠牲者が出たことに対抗するものであった。今回、ソレイマニ司令官は、この「カタイブ・ヒズボラ」の指導者のアブ・マフディ・ムハンディス氏とイラクのバグダッド空港でおちあったところを、アメリカによって攻撃された。
ちなみにソレイマニ司令官殺害後の1月4日、同じバグダッドのアメリカ大使館の付近に、ミサイルが2発撃ち込まれている。
一連の事件は、一続きの流れの中で起きている。さらなる米国人と米国施設に対する被害を防ぐために自衛権を行使した、というアメリカ政府の主張は、必ずしも破綻しているとまでは言えない。
もちろんソレイマニ司令官が一連の事件の意思決定部分に属していたかどうかを論証する義務は、アメリカ政府にあると考えるべきだろう。また自衛権行使にあたって、アメリカの行動が必要性と均衡性の審査に耐えられるかも、大きな論点になる。
また、大使館の保護は、当該国政府の責務だが、アメリカは、一連の事件をもって、イラク政府にアメリカ大使館を保護する能力または意思の深刻な欠落があることが明白になっていた、と主張するだろう。この主張の審査も、論点になる。これらの審査に通らなければ、国連憲章2条4項の武力行使の一般的禁止にそって、アメリカの行動は違法である。
事件後、ロシアや中国が、イランに同調して、アメリカによる「武力の乱用」を理由にした国際法違反を指摘しているのは、上記の審査にアメリカの行動は耐えられないという判断によるものだと思われる(参照:WoW!Korea)。非常に厳しい事例だ。こうした主張が出てくること自体は、奇異ではない。他方、イギリスはアメリカの立場に理解を示した(参照:NHKニュース)。
気になるのは、日本での議論だ。自衛権は自国の領域内でないと行使できないとか、国外では個別的自衛権は行使できないなどといったガラパゴスな俗説まで出回っている。
日本の憲法学「通説」が、国際法に対する憲法「学」優位説を唱え、「専守防衛」(という法的根拠のない謎の概念)を振り回してきたことの弊害だろう。
海外にいる自国民や自国施設への脅威に自衛権を行使して対抗できないとしたら、どうなるか。日本には在日米軍の巨大なプレゼンスがあり、約5万人の米国兵士が駐留している。これらの施設に対する攻撃がなされた場合、アメリカは個別的自衛権を持って対抗できなければならない。
日本は、つい最近まで、集団的自衛権は違憲だと強弁し、日本はアメリカを守らないと主張していた。その国が、アメリカは在日米軍施設が攻撃されてもアメリカの領土外だからアメリカは自衛権行使で対抗してはいけない、などと言うのだとしたら、法律だけでなく、常識にも反しているだろう。
現代国際法は、19世紀ドイツ国法学者や日本の憲法学者のような擬人法的な発想方法を採用していない。刑法上の正当防衛は、ある人間の物理的身体への攻撃に対する反撃だけに限られるだろう。確かに、人間の物理的存在に身体を離れたものはない。財産への侵害に対する対抗措置は、民法上の問題とされる。
しかし、国家は、そのようなものではない。自衛権行使は、自国領土への攻撃の場合だけに限られないのだ。国際法に刑法も民法もない。そもそも刑法の前提となる世界警察権力が存在していない。
国際法上の自衛権は、国内刑法上の正当防衛とは、違うのである。
極めて当然のことである。だが、日本ではなぜか憲法学者が19世紀ドイツ国法学を振り回して「国内的類推」を振り回し、マスコミがイデオロギー的な理由でそれに追随しているために、国際法上の自衛権と国内刑法上の正当防衛は違う、というシンプルな認識が受け入れられていない。それどころか、憲法学者が自衛権の専門家であるかのような根本的に間違った考え方が社会に広まってしまっている。
非常に残念なことだ。 憲法学「通説」が世界を支配しているわけではない。憲法学「通説」の国際法理解は、単に極東の島国の法律家共同体を支配しているだけだ。その点だけは、間違えることのないようにしておきたい。
篠田 英朗(しのだ ひであき)東京外国語大学総合国際学研究院教授
1968年生まれ。専門は国際関係論。早稲田大学卒業後、