なぜセンター試験の選択肢は紛らわしいのか

物江 潤

難しい文章は出せないのに適切な平均点が求められるというジレンマ

選択肢が紛らわしくなる理由を突き詰めると「難しい文章は出せないのに受験生を選抜しなくてはならない」という一言に尽きます。まずは、次の文章をご覧ください。

選択肢をチェックする際、現時点では、まだ「◎」とも「×」とも判断できない箇所には「△」を付けます。「△」は、「びみょ~」といった、消極的な“保留”ではなく、「△」という積極的な“判断”だと認識してください。この「△」を使いこなすことが、9割超えの重要なポイントとなるのです。

その理由は……正解の選択肢が、いつでも「キレイな大正解◎!」とは限らないからです!正解の選択肢が、本文をソックリそのままコピペしたような文だったら、みんなが楽勝で正解できちゃうでしょ? それじゃあ困るということで、出題者は本文の内容を、×にならない程度に言い換えたり捻じ曲げたりしてきます。その結果、「◎とも言えないが…×とも言えない」=「△、だけど、正解」という悩ましい選択肢が誕生するのです。

(宮下善紀「最短10時間で9割とれる センター現代文のスゴ技」KADOKAWA、2014年)

同書には、紛らわしい選択肢のせいで読解できても正解できるとは限らないといった旨と、その具体例および正答を探るための方法が記載されています。センター国語を経験した方の多くは、こうした記述に共感するのではないでしょうか。

センター試験の問題冊子(Wikipediaより)

さて、「キレイな大正解◎!」ばかりだと、みんなが正解してしまい困るということですが、これは選択肢ではなく文章そのものを難しくすれば解決しそうなものです。国際基督教大学(ICU)の入試のように、難しい文章を読解さえできれば正しい選択肢にたどり着ける試験の方が本来あるべき姿でしょう。(参考:国際基督教大学 2019年度一般入試問題 人文・社会科学 試験問題 ※同試験は読解問題だけでなく人文・社会科学の知識を問うものも含まれます)

ところが、こうした難解な文章を出題できない理由があります。共通一次試験・センター試験は、同試験の導入以前に見られた難問・奇問を排することが目的でしたので、そもそも難問と見なされそうな難しい文章は、原理原則的に言えば出せないのです。

また、ここ数年、現役志願率(現役志願者数÷新規高卒者数)が40%を超える水準で推移しているように、センター試験は幅広い学力の生徒が受験するため、おいそれと難解な文章は出しにくいという事情もあります。同時に、各々の受験生の学力にとって、適切なレベルの文章を出すのが困難であることも分かります。

拙稿「『共通一次より現在のセンター試験の方が遥かに難しい』という意外な事実」でも指摘したように、センター試験が資格試験であれば、その試験の主旨に沿った難易度の問題を出題すればよく、受験生の平均点は基本的に無視して差し支えありません。

しかし、センター試験及び来年から実施される大学入学共通テストは、選抜試験としての機能(目的)を有しているため、どうしても適切な平均点が求められます。その結果、紛らわしい選択肢が出現するといった弊害が生じてしまうのです。

東京工業大学がヒントに

もし、大学入学共通テストを廃止せず存続させるのであれば、東京工業大学の入試が参考になると思います。同大学では、950点満点中600点をセンター試験で獲得すれば二次試験を受験することができ、しかもセンターの点数は一切持ち越さないという仕組みを取っています。

同大学に合格できる見込みのある生徒であれば楽にクリアーできる点数なので、センター試験で高得点を取るための勉強は不要となります。事実上、センター試験が(東京工業大学が求める)最低限の学力をチェックする資格試験として機能しているわけです。

各大学が実施する二次試験については、作問体制の強化が必要です。詳しくは拙著「だから、2020年大学入試改革は失敗する」に記しましたが、入試を攻略する側(学習塾・予備校)の戦力が作問側と比べ圧倒的に大きく、様々な弊害が生じているためです。

今日、最後のセンター試験が終わります。大学入学共通テストは改めて検証されるようですが、その前に現行試験を解き、どういった弊害が生じているかを確認してほしいと思います。

物江 潤  学習塾代表・著述家
1985年福島県喜多方市生まれ。早大理工学部、東北電力株式会社、松下政経塾を経て明志学習塾を開業。著書に「ネトウヨとパヨク(新潮新書)」、「だから、2020年大学入試改革は失敗する(共栄書房)」など。