ヘンリー王子夫妻の乱を賞賛する日本メディアの薄っぺらさ

宇山 卓栄

夫妻の王室離脱

2018年5月、夫妻の結婚からわずか1年8か月。「開かれた王室」「自由な王室」などということを言って、持て囃した結果がこれだ。ヘンリー王子夫妻の移住先のカナダも大迷惑である。メーガン妃は王室引退に関し、「ヘンリーにとって生涯最高の出来事」と話しているという。まったくおぞましい話だ。

ヘンリー王子夫妻インスタグラムより

メーガン妃が王室にふさわしい人間でないのは最初からわかっていた。加えて、ヘンリー王子の勝手気ままな行動も手に負えない。王室の品位を貶める夫妻を切り捨てる決断をしたエリザベス女王らイギリス王室はさすがである。まさか、これ程、迅速に切り捨ててしまうとは思わなかった。エリザベス女王ら王族たちの怒りと絶望、悲しみを感ぜずにはおれない。

ほんの一部の王族の勝手な振る舞いが王室をどん底に陥れる。長い歴史と伝統の営みが一瞬で破壊されてしまう。結局、王族一人一人の矜持が王室の権威や品性を保つのに大切なのであり、また、それを正しく厳しく評価する国民の視点や思慮も問われる。

王族の結婚相手がふさわしくないことが誰の目からも明らかであるにも関わらず、国民は浮かれ騒ぐのみで、自制を促す意見などは「人種差別」などとレッテルを貼られ、封じられてきた。

世界の王室にせよ、日本の皇室にせよ、それらは本来、「開かれた」ものにはなり得ない。それらは伝統・秩序・規律に拘束され、重苦しく・息苦しく・心苦しく、慎重に維持されるべきものであり、明るく「開かれた」イメージなどとはまったく程遠いものだ。国民にも王族や皇族にも、それほど、重々しいものを背負っているという自覚がなければ、到底、維持することはできない。

夫妻を賞賛する日本メディアの意図とは?

公務に縛られるのはイヤ。プライバシーを侵害されるのはイヤ。しかし、贅沢三昧はしたい。メーガン妃は「私達はどこにいても、何をしようと王族」と豪語している。メーガン妃にもヘンリー王子にも、王族が負うべき義務や責務という観念がまるでない。

そもそも、王族であるということ、日本ならば、皇族であるということは徹頭徹尾、義務そのものだ。人権も権利もない、一切の自由もない、過酷で耐え難い責務、ただ、それだけがある。また、本人だけでなく、生まれてくる子にも、その責務が強いられる。現代において、これほど過酷な責務を強いられる人間は他に存在しない。

だからこそ、日本人はそのような責務を女性に負わせるのではなく、男性が進んで負うべきだという自然倫理を育んできた。

日本のメディアの中には、メーガン妃の言動を、「王室に自由な気風を吹き込んだ」として、賞賛するものも少なくない。ヘンリー王子夫妻の新しい門出を祝福するものもある。自分の権利や自由を真正面から主張する夫妻は立派だという評価もある。日本の皇族もイギリスの自由で開かれたスタイルを見倣えと言わんばかりだ。日本のメディアは、日本皇室が後進的であるというレッテル貼りを行うために、効果的に夫妻の反乱を利用している。

夫妻の一連の出来事を見て、日本人の一人一人が立ち止まって考える契機にするのかどうか、そのことが問われている。

夫妻の離婚となれば一大事

ヘンリー王子は自らの勝手な振る舞いで、将来の王族に更なる負担を負わせることになったであろう。王族にとっての唯一の自由は伴侶を自ら選ぶことである。何の自由もない王族にとって、それだけが唯一の自分の意志を通すことのできる自由である。これは日本の皇族も同じだ。

ヘンリー王子がデタラメな伴侶を選んだおかげで、イギリス国民の眼は厳しくなり、今後の王族たちの伴侶選びは、もはや今までのように自由とはいかないだろう。ヘンリー王子のような次男は長男よりも特に自由であったが、必然的に制限される。たった一人の浅薄な行いが将来にも禍根を残し、また、過去の先人たちが積み上げた歴史を一瞬で貶めることにもなる、それが王族であり、皇族なのである。

さらに、ヘンリー王子夫妻の離婚ということも想定される。ワガママ夫妻が協力し、助け合っていけるのか、今後、夫妻を待ち受ける様々な試練に耐えられるかどうか、実に疑わしい。

仮に、離婚騒動となり、メーガン妃が訴訟を起こした場合、金銭的な問題等、法的にどうなるのか、今回の夫妻の王室離脱で、イギリス王室は関わらずに済むのかどうか(恐らく済まない)、あらゆるリスクを想定しておくべきだろう。日本も大いに参考にすべきだ。

宇山 卓栄   著作家
1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。大手予備校にて世界史の講師をつとめ、現在は著作家として活動。『「三国志」からリーダーの生き方を学ぶ』(三笠書房)、『世界一おもしろい世界史の授業』(KADOKAWA)、『世界史は99%、経済でつくられる』(扶桑社)、『民族で読み解く世界史』(日本実業出版社)などの著書がある。