日本共産党は批判にどう「反応」したのか?
世間には「日本共産党論」が溢れている。その内容はやはり民主集中制と自衛隊・天皇制度の廃止を論ずるものが多い。
最近では京都市長選における日本共産党を批判するポスターへの同党の姿勢が話題となった。日本共産党に言わせると「共産党の市長はNo」という表現は「ヘイト」にあたるらしい。
ヘイトの定義を根本的に変えると思うのだがどうだろうか。
このように日本共産党論は多々あるが、その中でも特に注目すべきものがある。
それはジャーナリストの立花隆氏が著した「日本共産党の研究」に関するもので、より正確に言えば同著に対する日本共産党の「反応」である。
自由社会が「批判」「異論」に寛容であることを前提としていることを考えれば日本共産党が自らへの批判者に見せた「反応」を検証することは同党を語るうえで最も重要なことと言えよう。
批判者を「犬」扱い
「日本共産党の研究」は「文芸春秋」1976年新年号から77年12月号まで2年間にわたり連載されたもので、その内容は文字通り日本共産党に関するものである。同著は一ジャーナリストの単なる憶測を集めたものではなく、歴史学者で東京大学名誉教授の伊藤隆氏は「日本共産党を神でも悪魔でもない一個の政治集団として歴史的客観的にこれを分析している。」と評したほどであり(1)今なお日本共産党研究の「金字塔」と呼ぶべきものである。
そんな著書の記述で日本共産党が特に反発したのが発表当時、日本共産党委員長だった宮本顕治氏(2007年没)が小畑達夫氏(日本共産党中央委員1933年没)を査問した事件に関する部分であり、その内容は宮本氏の「治安維持法と特高警察の被害者」の評価を覆すものであった。
日本共産党は俄然、立花氏に反論した。政党にも一応、反論権はあるが問題なのはその表現である。
日本共産党による立花隆批判の論文の題名には「犬は吠えても、歴史は進む」(2)がある。これは遊牧民のことわざの「犬は吠えても、キャラバンは進む」をもじったものだが、立花氏を「犬」扱いしていると言われても仕方がない。その他にも「反共的虚構の集積」(3)「反共デマをくり返す『大衆愚弄主義』」(4)「特高史観の醜悪な再現者」(5)という驚くような表現が目立つ。およそ政党が一民間人に放つ表現ではない。
立花隆批判を見る限り日本共産党は「批判」「異論」に寛容な政党とはとても言えない。
歴史を重視する日本共産党
もちろん「日本共産党の研究」は40年以上前の話である。そんな昔の話をとりあげるのは「難癖」ではないかという指摘もあるだろう。
とはいえ前日本共産党議長で今なお同党に絶大な影響力を保持していると言われる不破哲三氏がこの立花隆氏批判に関与していないとは考えられず、また、現日本共産党委員長たる志位和夫氏が立花隆批判を知らないことも考えられない。
なぜならば日本共産党にとって「組織防衛」はどの政党よりも重視されており、そのため分派活動も厳禁である。日本共産党では自民党のような「派閥」の存在は許されないのである。
そんな政党の幹部が自党の歴史を書き換える可能性のある著書を知らないはずがない。
何よりも日本共産党は極めて「歴史」を重視する政党である。日本共産党にとって「戦前の壊滅」から現代に至るまではある種の「物語」であり、この「物語」に欠かせないのが「治安維持法と特高警察の被害者」という歴史観であり、これが欠けたら「日本共産党史」は成立しなくなる。
仮に日本共産党員に「治安維持法と特高警察は最悪だったが、だからと言っても戦前の日本共産党は肯定されない。戦前の日本共産党は日本転覆を目指す革命政党だったではないか」と問うても決して受け入れないはずである。「被害者」の地位は日本共産党にとって最大の政治資産であり「日本革命」が夢想となった現在、その価値は増すばかりである。
このように日本共産党は100年近く前まで遡る歴史が現在の行動基準になっている。だから45年程度前の立花隆批判も「日本共産党史」の立派な構成要素と評価し、これを根拠に同党を論じても問題はないだろう。
それにしても軍隊に類する上意下達組織に攻撃されるとはどんな気分だろうか。立花氏だからこそ耐えられたが筆者ならすぐに参ってしまいそうである。
参考文献
(1)「昭和期の政治」 伊藤隆 1983年 山川出版社 370頁
(2)「特高史観と歴史の偽造 立花隆『日本共産党の研究』批判」 日本共産党中央委員会出版局 1978年 14頁
(3) 同 上 217頁
(4) 同 上 287頁
(5) 同 上 308頁