先日、恒例の「サラリーマン川柳」(第一生命)の優秀作品が公表されました。「会議数 減らせないかと 会議する」、「還暦は ゴールじゃなくて 通過点」、「AIに 引継ぎするのが 大仕事」など、サラリーマンの悲哀を皮肉まじりに描いた作品が多く、思わず苦笑してしまいます。
こうした作品も悪くないですが、福島には心温まる五・七・五がありますので、ご紹介します。(敬称略させていただきます)
「やきんのひ はたらく母を まつわたし」泉崎村立泉崎第一小学校1年 西巻凜(子)
「あと少し 母に戻れる 待っててね」西巻多恵子(母)
「父さんの 靴に手紙を 入れるぼく」いわき市立湯本第三小学校6年 遠藤夕騎(子)
「明け方の 車中で我が子の 想い知る」遠藤哲也(父)
これは福島県教育委員会が主催している「17字のふれあい」事業の作品からご紹介したものです(今年度最優秀受賞作)。ペアで五・七・五をつむぐのがルールで、親子や友人同士、祖父母と孫など、作品から豊かな人間関係が伝わってきます。震災の年も中止せず18年にわたって続いている事業であり、年ごとの子どもたちの17字を追っていくことで復興の歩みも見えてくるように思われます。
いくつかご紹介していきたいと思います。まずは、震災直後の2011年度の作品です。
「塩むすび にぎり続けた 手が赤い」相馬市立向陽中学校3年 荒章太郎(子)
「被災地で 心にしみる 塩むすび」荒雄一(父)
「重いけど 家族のために くんだ水」西郷村立熊倉小学校6年 鈴木未留(子)
「断水が 心届ける いのち水」鈴木良博(父)
荒さんの作品では、子どもがボランティアで自分ができることをしっかりやった経験と、それを誇らしく思うお父様の思いが伝わってきます。鈴木さんの作品では、普段はあたりまえの水が絶たれ、生活も復興も立ち行かないという苦しい局面で、責任ある対応をしたお子さんの頼もしさが伝わるとともに、水・命・心のつながりに気づかされます。
次に2016年度の作品です。
「五年たち 母の背たけに おいついて」会津坂下町立坂下南小学校6年 星杏奈(子)
「五年たち ふきもみょうがも 食卓へ」星博美(母)
「ぼくにはね ふるさとふたつ あるんだぞ」会津若松市立門田小学校1年 遠藤 陽介(子)
「浜育ち いまも想いは 波にゆれ」遠藤朋子(母)
星さんの作品は、お子さんの成長と復興の進捗が相まって、震災・原発事故から5年という時の流れを感じることができます。遠藤さんの作品は、浜通りから会津地方への避難生活について、ふるさとが2つと言えるすがすがしさと、揺れる内面の苦しさの両方が伝わってくる作品です。
そして、令和初となる今年度の作品から、いくつかご紹介します
「復興を 願う駅舎に 人の波」葉倉香織(母)
「福島と 未来へつながる 鉄の道」南相馬市立原町第一中学校3年 葉倉幹久(子)
「キックオフ Jヴィレッジ 再始動」猪苗代町立吾妻小学校4年 小野寺悠(子)
「待ちわびた 我が子が駆ける 初ピッチ」小野寺淳(母)
「しょっぱいな 八年ぶりの 波しぶき」南相馬市立鹿島小学校4年 大久奏音空(子)
「あの時は お座りしてた 砂の上」大久有加吏(母)
原発事故の影響でJR常磐線の一部区間が不通となっていましたが、本年3月14日にはいよいよ全線開通し、特急も走ることになります。さらに、原発事故の収束作業の前線基地となっていたJヴィレッジ(サッカーのナショナルトレーニングセンター)が、昨年4月に全面再開して、全力プレーする子どもたちの声が戻ってきました。さらに、この2年で相馬地方の3つの海水浴場が、震災後はじめて再開することができました。
作品はいずれも鮮やかなる復興の進捗を感じられるものが多いですが、現在でも4万人を超える県民が避難生活をしていること、廃炉には長い時間がかかること、根深い風評や風化との闘いがあることなど、復興に向けた課題は未だ山積していることも事実です。
原子力災害の被害の特徴は、線引きであり、いうならば「分断」であると思われます。道ひとつ隔てて避難指示が出されたり、賠償額が異なったりする。放射線への不安や考え方の違いによって、避難するかしないのか、帰還するかしないのか、同じ地域の住民の間で判断が割れる。目に見えない放射線は、差別や偏見も引き起こしました。
分断にさらされているのは福島だけのことではなく、貧困や格差の拡大が指摘される日本全体において、またはトランプ大統領の米国、EUを脱退する英国など世界中で進んでいる現象ともいえます。
現代の社会課題は、白黒つかないグラデーションやまだら模様であるにもかかわらず、国家行政は、定義を明確化し、線引きをし、線の内側の人々に対して義務や権利を付与することで統治してきました。こうしたガバナンスに無理が生じてきていることも、行政の一端を担う者として認めざるを得ません。
私は福島に赴任してから、ずっと復興とは何なのだろうかと考えてきましたが、その答えは見つかっていません。行政的な考え方に立てば、避難指示が解除され町づくりが進んだら、町に人が何割戻ったら、商店や農業が再開できたら、廃炉が成し遂げられたらなど、一定の線引きのもと復興を定義することは不可能ではないと思います。
しかしながら、福島の17字の作品で描かれる復興は、家族がまた一緒に暮らせたら、ふきやみょうがが食卓に並んだら、またあの場所でサッカーができたら、また海で遊べたらなど、「人それぞれの復興」の姿です。つまり復興とは、「被災した人それぞれが未来に向けて歩みを進めることによって、自らその実感を噛みしめ、立ち上がっていくこと」だと思うようになりました。
さて、天皇皇后両陛下は昨年の台風19号で被災した福島県を見舞い、その際に本宮高校で積極果敢にボランティアに取り組む生徒をねぎらってくださいました。皇后雅子さまは、今年の歌会始めで、美しい歌を詠んでいらっしゃいます。
「災(わざわ)ひより 立ち上がらむとする人に 若きらの力 希望もたらす」(皇后雅子さま)
福島の17字の中にみる子どもたちの成長は、令和の時代になっても続く、長き復興の道しるべになるのだと考えます。
(参考)ふくしまを十七字で奏でよう絆ふれあい支援事業:福島県