新型肺炎は金正恩氏を哲学者にする

中国湖北省武漢市から発生した新型コロナウイルスは発生11週間が過ぎた今日、世界保健機関(WHO)が恐れていた世界的流行(パンデミック)の兆候が出てきた。「中国のシカゴ」といわれてきた工業都市の武漢市は先月23日後、外部世界から隔離され、中国の国民経済を支えてきた都市としての輝きを完全に失ってしまった。

(金正恩、朝鮮中央通信から:編集部)

オーストリア日刊紙クローネ日曜版(2月23日付)は武漢市の市民とビデオ・インタビューしたが、市民は隔離され、2カ月前まで大都市の活気ある社会は突然襲ってきたウイルスの侵入に怯え、困窮下で生きている。「自分の母親が感染したとして、アパートの窓から助けを求める若い女性の声がガランとした市内の路上に響き渡っていた」という。

中国からの経済支援で生き延びてきた隣国・北朝鮮は感染拡大の一報が伝わると対中国境や鉄道など陸路、そして空路を素早く閉鎖した。金正恩朝鮮労働党委員長の危機管理は中国の習近平国家主席も学ばなければならない点がある。日頃お世話になっている大国・中国との接触を断つという決断は北側にとって大きな打撃であることは間違いないが、それを即実行する一方、習近平主席宛てに書簡を送り、その労を癒す内容のメッセージを伝えているのだ。

金正恩氏は感染の国内侵入を恐れ、父親金正日総書記の生誕日の2月16日も公的な記念行事を控え、平壌マラソンも早々と中止を決めるなど、可能な対策は果敢にとっている。朝鮮中央放送によると、24日現在、北では新型肺炎の感染者が出ていない。

韓国の文在寅大統領や日本の安倍晋三首相が中国への配慮を優先して、対中国境閉鎖や中国人の入国禁止などの措置を躊躇した結果、国内で多数の感染者が出たのとは好対照だ。独裁国家は災害対策ではトップダウンで決断できるメリットがある。36歳の金正恩氏の決断力は評価すべきだろう。

さて、新型肺炎は長期戦となる様相を深めてきた。北は迅速な危機管理に乗り出したが、中国からの物品が途絶える一方、医療品不足などが深刻さを深めてきた。国際社会から制裁下にある北朝鮮は中国の支援がなければ国家存亡の危機を迎える。国民には自給自足を訴え、叱咤激励しているが、それもいつまでも続かない。限界はくる。

以下は、当方の勝手な推測だが、金正恩氏は今、父親に倣い「先軍政治」を推進し、核兵器、弾道ミサイルの開発に専心、一応成果は出たが、それは何のためだったのか、というかなり哲学的な問いかけに直面しているのではないか。核兵器、大陸間弾道ミサイルの開発は国民経済、発展には何も寄与していないという事実を目の当たりにしているはずだ。「使用できない大量破壊兵器」(コリン・パウエル米元国務長官)を大量に抱えた結果、国際社会から制裁を受け、孤立化した。国民の生活は改善されるどころか、日々、悪化している。

そして世界は今、武漢発の新型コロナウイルスを恐れ、国境を次々と閉鎖してきた。グロバリゼーションといった掛け声は静まり、ウイルスだけがそのグロバリゼーションを利用して世界に広がっている。

北が頼る中国の習近平主席はウイルス対策で守勢を強いられ、「一帯一路」や「中国製品2025」といった掛け声が空しく響く。中国は米国の軍事力を恐れているのではなく、100nm(ナノメートル)に過ぎないウイルスの拡大に怯え、国民はマスクを買い漁っている。

中国の現状を目撃し、金正恩氏は哲学的にならざるを得ないだろう。なぜ、国際社会から圧力を受けながらも核兵器を製造し、大陸間弾道ミサイルの開発に狂気のように乗り出してきたのか。中国は270個以上の核兵器を保有し、米国やロシアと並んで軍事大国となったが、その中国が新型コロナウイルスの侵攻に翻弄されているのだ。

金正恩氏は、「核兵器も弾道ミサイルもわが国の存続を保証するものではないとすれば、何をすべきか」とハムレットのように悩み苦しみ出したのではないか。独裁者は「核兵器を使用したならば、世界からバッシングを受け、戦争犯罪国としてあらゆる制裁を受けるだろう。持つだけで使用できない核兵器に意味があるのか、相手を威圧できても、相手も使用できないことを知っているので、その威圧にも限界が伴う」といった思索に苦しむ。

金日成主席、金正日総書記、そして3代目の金王朝の主人、金正恩氏は祖父や父親が直面したこともない難問に対峙しているわけだ。「わが国の生き残る道はどこにあるのか」。正恩氏は新型コロナウイルスの侵攻を恐れ、平壌の3階書記室(官邸)に閉じこもりながら、考え続けている。

人は価値のないことに命を賭けたくはない。一度しかない命を価値あるもののために投入したい、誰でも一度は考えるこのテーマに金正恩氏は取り組みだしているはずだ。直径100nm(ナノメートル)に過ぎない新型コロナウイルスは北の若き独裁者、金正恩氏を否応なしに哲学者にする。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年2月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。