日本ではヨーロッパのような厳しい外出制限もできないし、韓国のようなマイナンバーカードを使っての監視もできない。そうしたなかで、国民の自発的な善意に大きな期待をするしかないのだが、それならば、社会的に好ましくない行為をする人に対して社会的糾弾をしないとよく機能するはずがない。
たとえば、最近、マスクはかなり出回り始めていて、ネットでも出ているし、ドラッグストアでは開店時などに行列ができている。
そして、それを暇な人たちが自分で必要な量を超えて買い占めている。ドラッグストアに並んでいるのは、主に高齢者だ。老人クラブ的に情報交換しながら、早朝から互いに場所取りを助け合いながら日に数カ所を回り、「今日は何百枚ゲットした」などと言うのは、もはやゲーム感覚だ。ネットでも情報交換が盛んで、こちらもゲーム感覚だ。
そこで、政府は自治体やマスコミとも協力して、使い棄てマスクをどのくらい使っていいか目処を示すべきだ。感染している可能性があるという人は別だが、通勤する人は二日に一枚とかそれ以外は数日に一枚とかというべきだ。
また、買うのはその需要を満たす範囲にすべきだし、貯めるのは1か月分以内とか、買うのは1週間に1回だけとかいうべきだ。それを示したら、買い占めを自慢したり、行列にはしごして並んでおれば社会的に糾弾されるからかなり抑制できるはずだ。
それにしても、自分もそういう世代なので遠慮なく云えるが、日本の中高年齢層のモラルの低さや国や社会への甘えは目に余る。
六辻彰二さんという国際政治学者が、
ダイヤモンドプリンセスから下船してそのまま寿司屋に行った人、既に感染者が出ているなかで海外旅行に出かけ、帰国した後にジムやスナックに通っていた人、昼間からトイレットペーパーの買い溜めの行列に並ぶ人、挙句にドラッグストアの店員を恫喝したり、「コロナをうつしてやる」と騒いだ人
などと書いているが、ひどいものだ(参照:なぜ特に若者に外出自粛を呼びかけたか――行政とメディアの顧客びいき)。
なぜ中高年は権利意識ばかり強いのか
どうしてそんなことになったかと言えば、戦後教育の副作用なのであろう。私は戦後教育を否定しているわけでない。昭和30年代当たりまでは、まだまだ、戦前的な価値観も強固であり、社会的には義務が強調され権利意識が低かったのも事実だ。そんな中では、権利に目覚めることを教育するのは大事なことだった。
しかし、その副作用が残ってしまったのである。特に、高度成長期までは、経済が成長してもそれが生活の向上に反映されるのは、ワンテンポ遅れていたから、権利主張に一理あった。
ところが、オイルショック以降は逆だ。経済が成長していないのに生活水準が上がるということになっている。だから、財政赤字が増えても平気だ。年金なども経済が成長していたら払い込んだ分ともらう分とがアンバランスでもいいのだが、成長しないなら払った分しかもらえないのでないと成り立たない。
しかし、高度成長期の甘い仕組みだけは利権化し、しかも、成長をめざすことは悪いことだとかいって、果実だけを求める。
その結果が、立憲民主党的な権利意識だけ突出した政党への支持がこの世代だけ突出し、社会的な迷惑行為にも甘い現象に現れている。
だからといって保守支持層も誉めたものでない。立憲民主党の支持者のように、権利意識だけが突出しているわけでないが、財政赤字を積みましても大丈夫とか、減税したほうが増収になるから大丈夫とか言う、非常識なMMT理論などで、都合良く同じような甘い政策を求めているのだから、結果において似たもの同士だ。