コロナは「大事にするべき人」と「関わってはいけない人」を見える化してくれた

黒坂 岳央

こんにちは!黒坂岳央(くろさかたけを)です。
※Twitterアカウントはこちら→@takeokurosaka

コロナで世界の人が不安になる中、ピリピリしている人が増えていると感じる。筆者はリアルでは積極的に人と関わる生活をしていない。だが、ネットで記事を書いていると、それを読んだ人から送られてくるコメントやメッセージがトゲトゲしくなっている気がする。一方、その逆にいつも以上に暖かさを感じさせてくれる人もいる。

面白いことに、コロナ禍で「その人の本当の性格」を見える化してくれた気がするのだ。

余裕がない局面がその人の本性

平時の時はみんな仮面をつけて生きている。それを非難するつもりはない。誰しも仕事や生きていく上で波風立てず、面倒事を起こさないためにも大人しくすることには資本主義社会における生存戦略上の合理性がある。

だが、その仮面をつけていられるのは「その人の器のレベル」までだ。器を超えた揺さぶりによって、いきなり仮面は剥がれる。不安やストレスを仮面に受けることで、ダメージが蓄積していき一定量の攻撃を受けるといきなりその仮面が取れてしまうのである。仮面の耐久性はその人の器と取ることができるだろう。

beauty-box/写真AC:編集部

今のような有事の際は、多くの人がその人の持つ器が揺さぶられている。余裕がなくなってイライラをむき出しにして、他人を攻撃し始める人はたとえ今のコロナ禍が終わっても、何らかの原因で気持ちに余裕がなくなった時には同じように攻撃的な行動に出る。つまりはその人の本性が見えてしまっていると言えるのではないだろうか。 

余裕がない時に攻撃的になる人達

人の好みは十人十色、中には攻撃的な人間にも寛容なガンジーのような人物もいるだろう。こんなことをいうと、「余裕がない人の気持ちを理解し、受け入れる包容力がないなんて器が小さい人間だ」などと言われるかもしれない。だが、世の中にはそうでない人、つまりは「余裕がない時にも優しさを忘れない人」もいるのだ。付き合う人を選ぶなら、筆者は気持ちに余裕がなくなり、赤の他人を攻撃し始める人とは関わりたいと思えない。

すでに絆のある家族や親友なら「ああ、今日は疲れているんだろうな」と思うし、「気持ちを楽にするためになにかできることはあるだろうか」と手を差し伸べたくなる。まあ、どちらかといえば家族や親友は冷静で優しい人が多いのでそのようなことはないのだがw

コロナでイライラを撒き散らす人は、平時の時にはそのような振る舞いをやめても深く付き合って遠慮がなくなったり、コロナ以外で気持ちに余裕がなくなる局面では必ず同じように振る舞うだろう。なぜならその振る舞いこそが、その人の持つ攻撃的な本性だからだ。 

他人を攻撃するのは自分本位

人は理不尽な状況などに置かれると、「悲しみ」と「怒り」の感情の選択に迫られる。怒りは楽だ。他人にぶつければそのときだけは気持ちはスッとするのだから。だが、悲しみは違う。苦しい気持ちに耐え忍ぶ心の強さが求められる。そのため、気持ちが弱い人ほど、悲しみではなく怒りを選択する。以前「怒りは貧しい人の娯楽」に妙に納得感がある理由という記事を書いたことがあるが、怒りを選ぶのは自分が楽をしたいからであり、つまりは自分本位の姿勢にほかならない。

コロナはウイルスが広がってしまったことで、多くの人が理不尽な我慢を強いられている。確かに過去を振り返ればよりよい手段もあっただろう。だが、このウイルスの感染拡大は人為的な不手際というより天災的な側面が非常に大きい。つまり、特定の誰かを責めて事態の改善はありえないのだ。

それにも関わらず、始終誰かを責めずにはいられない人たちがいる。個人的に関わってはいけない人たちであり、彼らは自分たちの思考が可視化されており、ネットにデジタルタトゥーとして刻まれている事実を把握できていないだろう。

ずっと手放すべきでない大事な人達

その逆にコロナショックは「手放してはいけないいい人たち」も可視化してくれた。それは攻撃する代わりに応援のエールを送り、具体的な支援の行動にでる人たちである。

雰囲気イケメン/写真AC:編集部

筆者は先日、台湾が日本にマスクを200万枚寄贈すると申し出た記事を見た時にこれを感じた。台湾は東日本大震災の寄付金は米国に次いで2位であった。台湾は決して大国ではない。にもかかわらず、隣の国が困っている時にはすぐに立ち上がって、莫大な支援とエールを送ってくれているのである。

大震災の時は被害は日本だけだったが、今のコロナショックは台湾も被害を受けている。感染拡大を抑え込むことは出来ているものの、依然として油断できない状況だし、台湾だってマスクも国内に潤沢にあるわけではない。それにも関わらず、すぐに立ち上がって隣国を支援してくれる姿勢には、「ずっと大事にするべき相手」ということを見える化してくれた気がする。

また、個人レベルでも筆者はビジネスで多くの顧客に支えられていると感激するシーンがある。記事を書いたり、商品、サービスを提供すると「応援しています!」「コロナにかからず、元気で頑張ってくださいね!」などと暖かい言葉をかけてくれるお客さんは少なくない。自分たちも不安な状況に置かれているにも関わらず、他者を気遣う心の暖かさの持ち主はずっと大事にしていきたいと思わされるのだ。

コロナは忌むべき厄災であり、一刻も早く有効なワクチン開発などが待たれる。だが、同時に大事にするべき人と、関わってはいけない人を浮き彫りにする思わぬ副産物があった。そういう視点で見ると、意外な意義があったと感じるのである。

ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。