私の4月新刊の「365日でわかる世界史 世界200カ国の歴史を「読む事典」」(清談社)は発売前から品切れ状態だし、「日本人のための英仏独三国志 ―世界史の「複雑怪奇なり」が氷解!」(さくら舎)は5月に発売延期(注文は取っているが)。
外出自粛中は本を読む絶好のチャンスなのに馬鹿げた話だ。Amazon以外の通販サイトも問題が生じているが、オンライン書店 横断検索 というところに一覧と書物ごとの状況が出ているので使っていただきたい。もちろん、Amazonも入った注文は少し遅れてでも発送はしているので、注文だけはだしておけば順次、到着すると思う。
神武天皇にあたるのはノルマンディー公ウィリアム
ところで、英王室はあいかわらずヘンリー王子とメーガン妃のほとんど「非行」で大騒ぎだが、その王室はどこの国をルーツとする人たちなのか、といわれて正確に答えられる人は少ない。たしかなのは、イギリス土着ではないのではないかということくらいだろう。
そこで、「365日でわかる世界史 世界200カ国の歴史を「読む事典」」(清談社)にも書いてあるが、「日本人のための英仏独三国志 ―世界史の「複雑怪奇なり」が氷解!」(さくら舎)ではこれが中心テーマの一つなので、そこに書いたことを元に紹介してみたい。
イングランドはケルト人(ローマ人は彼らをブリトン人と呼んだ)、ローマ人についでアングロ・サクソン人の支配下となった。9世紀に統一王朝が成立したのち、デーン人の侵略もあり混乱が続いていたのが、ノルマン征服(1066年)で安定し、そののちは、フランスのノルマンディー公だったウィリアム一世(ギヨーム)の子孫が国王となっている。
女系相続を認めているので、男系の先祖や家名はいろいろ変わっているが、正統性のルーツはノルマンディー家の後継者であることにある。
ウィリアムはフランス国王の臣下であるノルマンディー公であり続け、その墓もフランスのカーンという町にいまもある。ただし、ノルマンディー公家は、バイキングの一派であるノルマン人の首領がフランス王から領地をもらって家臣になったものだから、ルーツはノルウェーだ。
そして、その男系子孫は、子の代で終わって、フランス西部アンジューの領主だったプランタジネット家のヘンリー二世(ウィリアムの曾孫)が王となって彼らは、フランス語で長く話していた。
しかも、このプランタジネット家は縁組みによってフランスの全土の半分近くの封建領主となった。しかも、フランス王家とも縁組みしたので、フランス王家で男系が途絶えそうになった時に王位継承権を要求したのが百年戦争(1339年~1453年)の起こりである。
プランタジネット家は、その後、内紛でランカスター家とヨーク家という分家同士が王位を巡って争ったが、これが、「薔薇戦争」である。
そして、結局は、ランカスター家の女系子孫であるテューダー家が王位を継いだ。ウェールズの貴族であるから系統的にはケルト人である。これが、ヘンリー五世の未亡人だったフランス王女キャサリンの秘書をしているうちに男女の仲となって結婚し、生まれたことどもの子孫がランカスター家の女性と結婚して、その関係で王位についたのがヘンリー七世だ。
チャールズ皇太子からはギリシャ王家分家が王位に
しかし、この王朝は孫のエリザベス一世で断絶し、ヘンリー七世の女系の子孫でスコットランド王だったステュアート家のジェームズ一世に代わった。ステュアート家の先祖はフランスのブルターニュのブリトン人(ケルト系)である。
しかし、これも曾孫のアン女王で終わり、ジェームズ一世の女系の曾孫であるドイツのハノーバー家のジョージ一世が迎えられた。ハノーバー家の先祖はヴェルフ家という神聖ローマ帝国皇帝も出した名門だ。
さらにこれも、ヴィクトリア女王を最後に男系は途絶え、その夫に迎えられたドイツのサックス・ゴバーグ・ゴータ家が現王家である。ただし、名称は第1次世界大戦中に敵国地名であることを嫌いウィンザー家と変更された。
しかし、これもエリザベス女王のあとはチャールズ皇太子から、エジンバラ公のマウントバッテン・ウィンザー家となる。エジンバラ公フィリップは、もともとギリシャ王家出身だが、イギリスへ帰化するときに母方のドイツ・ヘッセン大公家分家のバッテンベルク家を英語風にしたマウントバッテンに改姓している。
ただし、ギリシャ王家はデンマーク王家の分家であり、デンマーク王家は九世紀に遡るが男系で言うとドイツ北部のグリュックスブルク家である。