Winny事件の担当弁護士・壇 俊光氏による『Winny 天才プログラマー金子勇との7年半』が出版された。
筆者は壇氏が今年1月に政策研究大学院大学で講演した時の模様を「『ウィニー事件』弁護人の話に思う、平成日本の敗因」で紹介した。内容の重複もあるが、著書の文章を引用しながら5回にわたって連載する。
栄光無き天才(「帯文」より)
帯文は「栄光無き天才 金子勇の無罪までの道のり」である。その「栄光無き天才」ぶりについて筆者は昨年の投稿「『平成の敗北』と重なるWinny開発者金子勇氏の悲劇」(以下、「金子勇の悲劇」)で金子氏とのやりとりを以下のように紹介した。
2012年4月、幕張メッセで金子氏の講演を聴いた私は、質問の冒頭で、「金子さんは日本人に生まれて不幸だったかもしれない。なぜなら欧米版Winnyを開発した北欧の技術者は、金子さんのように後ろ向きの裁判に7年半も空費させられることなく、その後、無料インターネット電話のスカイプを開発して、億万長者になったからである」と述べた。その時は、まだ若いので、これから十分取り戻せると思っていたが、1年後に42歳の若さで急逝した。
「金子勇の悲劇」で紹介したとおり、欧米版WinnyはKazaa である。そのKazaaについて日本のインターネットの父とよばれる村井純慶応大教授は「Kazaa っていうボロ Winny ですら Skype を生んだんだ 」と酷評している(「23.ミスターインターネット」より、Kindle版のためページ番号が表示されないが、節が通し番号になっているので、以下、節の番号―ここでは23―を記す)。そのボロ Winny開発者を欧米は億万長者にしたのに対し、日本は本物のWinny開発者を潰したわけである。
電器屋で作ったゲームの回りに人だかり(「1 . 金子勇あらわる」より)
プログラムを覚えた小学生の頃、マイコンが出始めたが、買う金がなかったので、当時の男の子同様、電器 屋の店頭でプログラムのスキルを養っていたと指摘した後、以下の文章が続く。
彼も電器屋でプログラミングをしてゲームを作っていた。ただ、 作ったゲームのクオリティがあまりに高いので、 お店の方からデモで使わせて欲しいと頼まれる程だった 。 彼の回りには いつも人だかりである 。
「金子勇の悲劇」でも紹介したネットスケープ・コミュニケーションズの創立者、マーク・アンドリーセン氏。同氏も高校時代に地元の図書館からプログラミングの本を借りて、その日のうちにプログラムを書いた。イリノイ大在学中に最初のインターネットのブラウザー(閲覧ソフト)モザイクを共同開発。卒業後、シリコンバレーに移住し、1994年に事業家のジム・クラーク博士とネットスケープ・コミュニケーションズを設立。モザイクを改良したネットスケープ・ナビゲーター(現在のファイヤーフォックス)を開発して、設立からわずか1年半で同社の株式公開に漕ぎつけた。
24歳でタイム誌の表紙を飾り、マスコミに次のビル・ゲイツやスティーブ・ジョッブスかと報じられるなど時代の寵児となった後、ベンチャーキャピタリストに転じ、ツイッター、フェイスブック、スカイプなどの有望企業を見出して、投資した。
プログラミングは才能という結論になるが、ここでも稀有の才能を開花させた欧米と蕾のまま摘みとった日本との差が浮き彫りになる。
ありえないと思った刑事訴追(「3. あの一言 が 全ての始まりだった」より)
(前略)
このような P2Pの商用化の流れもあり、 民事事件であればともかく、 刑事事件となることはありえないと私は思っていた。 将来、 巨大な利益を生む可能性のあるプログラムを警察の判断で潰すようなことはないだろうと。
(中略)
そんな 甘い気分は 2004年5月10日にぶっ 飛んだ。金子勇が逮捕 されたというニュースが飛び込んできたのである。
「金子勇の悲劇」では、Winnyが採用するP2P技術を開発、その技術を使ってファイル交換ソフト、ナップスターを開発した二人のアメリカ人技術者も億万長者になったと紹介、以下のように続けた。
欧米の技術者は開発したソフトで金儲けしようとしたのに対して、金子氏はソフトを開発しただけだった。にもかかわらず刑事訴追され、一審では有罪とされた。しかもナプスターやカザーは民事訴訟で、ウィニーのような刑事訴訟ではない。米国の著作権法にも刑事罰はある。ナップスターは会社側の発表によれば、ピーク時には7千万のユーザー数を誇るほど猛威を振るった。それでも起訴には踏み切らなかった。
壇氏が刑事事件になることはありえないと思っていたのも十分うなずける。にもかかわらず、日本の警察は後述するとおり、「将来、 巨大 な利益を生む可能性を秘めたプログラム」を自らの判断で潰しにかかったわけである。