世界は“痛みのグローバル化”で結束を

欧州では、新型コロナウイルス(covid-19)への対応で外出制限などの特別措置の早期解除を要求する声と、制限・封鎖の解除は感染の第2波を引き起こすと警戒する「慎重論」で意見が分かれている。例外もあるが、ウイルス専門家には後者が多く、経済活動の再開を主張する政治家には前者が多い。

▲TVで国民に語り掛けるドイツのシュタインマイアー大統領(2020年4月11日、ドイツ連邦大統領府公式サイトから)

また、ロックダウン(都市封鎖)が長期化することで国民経済がダメージを受け、失業者が増加すれば、社会の安定が損なわれ、将来を苦にして自殺する人も増加するという主張を聞く。過去の失業者と自殺件数の動向を見れば、両者には密接な関係がある。だから、経済活動を長期封鎖した場合、失業者が増え、同時に自殺者も増加する。その死者数は新型コロナの危険グループに入る高齢者のそれより多くなるだろうというのだ。

日本のように、新型コロナによる死者数が少ない場合、経済封鎖による失業者の増加、そして自殺者の数が新型コロナの死者数よりはるかに多くなる、という主張には説得力がある。そして「だから、新型コロナ対策で経済活動を封鎖することは間違いだ」という結論が出てくるわけだ。

それだけではない。新型コロナの場合、高齢者で持病持ちの人が犠牲となる危険性が高いが、失業を苦にして自殺する年代は働き盛りが多いことから、経済封鎖は余命少ない高齢者を救う一方、働き盛りの世代が犠牲となっていく、というかなり危険な結論が引き出されることになる。

統計は社会動向の歴史を示す。空論ではなく、過去の事実を土台とするから、統計が描く事実は説得力があり、パワーがある。ただし、統計はあくまでも過去の動向を分析したものだ。統計が示す結論を近未来に投影して「過去はこうだったから、近未来もその延長線上にある」という前提がある。

例えば、上述した失業者と自殺者の密接な関係の場合だ。2020年の自殺件数と失業率は果たして過去の統計動向を追認する展開となるかは現時点では分からない。新型コロナの犠牲となった失業者の数が増加すれば、それに応じて自殺件数も増加するという統計上の指摘に対して、当方は懐疑的だ。同時に、当方の主張は脆弱であり、説得力には乏しいことは分かっているが、少し説明を試みたい。

新型コロナに襲われた国は感染防止のために国民経済の活動を抑え、ロックダウンを実施した結果、失業者は増えている。外電では、失業を苦に自殺した例も報じられているが、20年度の自殺件数が失業者の急増に応じて増加するとはいえない。なぜならば、新型コロナの失業者を取り巻く環境は明らかに異なっているからだ。

過去の失業者とは異なり、新型コロナ時代の失業者の場合、1人ではない。就業年齢の多くが失業を余儀なくされている。大量の失業者が生まれている。失業者の周辺を見ても突然職を失った人が多く、コロナ時代の失業者は孤独ではない。失業者と自殺件数を考える上で、失業者が孤独を感じるか否かは大きなポイントとなる。

新型コロナが原因で失業した人は自分周辺の他の失業者へ連帯と結束を感じるだろう。過去の失業者とはこの点が異なっている。国は新型コロナで職を失った国民には可能な限りの経済支援を実施する。失業者は閉塞感を感じることが少なく、状況の改善を待つことが出来る。だから、失業者の急増が即自殺者の急増につながるとは考えられないのだ。

封鎖の長期化で失業者は増え、同時に自殺者も増える結果、新型コロナの死者数との比較で、自殺者の数のほうが多くなるから、新型コロナ対策での封鎖は意味がないばかりか、逆の結果を生み出すという主張は、20年度の失業者と自殺者の統計が過去と同じ動向を見せるという前提に基づく。

新型コロナは世界のグローバル化を巧みに利用し、短期間に感染を拡大し、人々に外出禁止、社会的コンタクトの縮小を要求し、コンサート、映画、劇場、スポーツのイベントなどをことごとく閉鎖に追い込んだ。一方、人は守勢に回ったが、これまで忘れていた連帯感、結束が生まれてきた。

新型コロナで仕事を失った人は社会、国家、そして国際社会レベルのグローバルな連帯、結束に困窮の打開を求めだすだろう。もはやイタリアの問題でも、フランスの問題でもなく、新型コロナの感染国全ての問題と受け取られる。欧州で見られる連帯感は2015年の中東・北アフリカから殺到した難民の対策では見られなかったものだ。当時はドイツ・ファースト、オーストリア・ファーストが求められたからだ。

小さな例だが、マスクの着用だ。マスクをつける文化がなかった欧州人も自分が感染しないためではなく、他者に感染を広めないためにマスクを着用するようになった。人々の間に効率的な利他主義が生まれてきた、というか、それ以外に新型コロナに打ち勝つ道がないことを理解してきた。

そして人は自分ひとりで生きているのではなく、相互助け合って共存していることを新型コロナ対策から学んできた。新型コロナの感染前、誰がスーパーの従業員に感謝の思いを持っただろうか。感染の危険を押しのけて患者のために働く医療関係者、地下鉄や市電を動かす関係者に感謝の念を持ったことがあっただろうか。欧州人は新型コロナ後、これまで感謝することを忘れて生きてきたことに気が付き出した。

統計は過去を記述し、人はそこから教訓を引き出す。一方、新型コロナのような想定外の災害に対して、人は統計には網羅できない内容を理解し、学ぶ。新型コロナ時代の失業者はその前までの失業者とは異なるだろう。換言すれば、経済・文化のグローバル化を利用して世界に感染を広めた新型コロナに対し、世界は“痛みのグローバル化”で結束しようとしてきているのだ。

ドイツのシュタインマイアー大統領は11日夜(現地時間)、不安に悩まされている国民に向かって、「新型コロナとの戦争ではない。私たちの人間性が試みられているのだ」と述べ、「連帯こそ私たちが日々の生活で証していかなければならないことだ。新型コロナ危機が過ぎた後、私たちの社会は全く異なっているだろう。不安や不信が支配する社会ではなく、信頼と配慮と確信のある社会だ」と訴えていた。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年5月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。