僕の2人の娘は、小学校5年生と幼稚園年長です。3月7日に休校になって以来、もちろん学校・幼稚園には行っていません。学校からは、早々に5月末までは授業をしないと連絡が来ました。緊急事態宣言の延長となれば更に続くことになります。
一体、いつまで続くのか、子供たちが、このままの状態で放置されることが、「コロナだからしかたない」で片づけられることなのか、僕は教育行政や教育現場による「人災」と受け取っています。
もちろん、子供の最終的な権者は家庭(保護者)にあることは承知しています。こうした事態になった時に、家庭で何を学ばせ、何を身に着けさせるべきか、家族会議で話し合って方針を定め、実行しなくてはいけません。
問題は、どの家庭でも対応可能なのか?という点です。在宅ワークが可能な職種、そうでない職種、家のつくりや状況、お金の有り無し、結局、学べる環境に差が出てしまうのです。
例えば、本を読ませたくても学校図書館や公立図書館も閉鎖となり、本を借りることすら出来ません。こうしたことが、教育格差につながり、将来の所得格差にも連動してくることになるのです。
子供が学ぶ権利を大人が奪っているのです。子供は教育を受ける権利があり、大人は教育を受けさせる義務があります。このまま緊急事態宣言が延長されれば約3か月、教育を受ける権利が奪われます。子供にとっての学ぶべき3か月は、大人にとっての1年に匹敵するのではないかと思います。
この3か月をどうやって取り戻せるのでしょうか。夏休みを短くしようが、春休みを無くそうが、取り戻せるとは思いません。オンライン授業を受けているわけでもない。ようやく課題がペーパーで送られてくる程度なのです。これまで、オンライン授業やインターネットを使った課題解決、オンラインクラスルーム等、デジタルとの付き合いが皆無であった学校に、急に対応を迫っても中途半端なものになり、完成度の低い「学び」を提供されることになるはずです。学校の先生方も完成度の低い学びを提供したいと考えていないはずです。
だから、9月から始業して、1年間、普通の授業を受けさせるべきです。国際社会の標準に合わせるとか、留学しやすいとか、留学生が来やすいとか、地域による受験格差の解消とか、そもそもの9月入学におけるメリットの議論ではないのです。今、学ぶことが出来ない子供たちに1年間の学びを返してあげるべきだという議論なのです。
国会でも9月入学の議論が取り上げられ始めました。もちろん、賛否はあるし、メリット、デメリットもあります。問題は誰のデメリットなのかという点です。
公的セクターの会計年度が異なってしまう。桜の季節に始業する日本の伝統文化が壊れてしまう。大学を卒業して入社まで半年間、働く機会が失われる。早急な対応で学校現場が混乱する。全て大人の理屈でしかありません。
結局、何も言えない義務教育下の子供たち、つまり、一番弱い立場の人に被害がいくのです。子供ファーストではないということです。会計年度、桜の文化、新社会人、学校の先生、皆、いい大人なんだから、9月入学を前提に自ら対応策を考え、行動すれば良いだけではないですか。
義務教育下の子供たちは、対応出来ないし、望むことも出来ません。今回から、9月始業にすべき。それが結果的にこれまで言われていた、9月始業のメリットを享受することに繋がります。社会全体の変革を迫られている今こそ、実現すべきであり、今回で出来なければ2度と出来ないと思います。その場合は、時間の無駄になるので、2度と議論すらして欲しくないです。
教育行政も学校現場も、今後の方針がはっきりしないと何を優先して準備すべきか混乱が生じます。9月始業を明確にして、それまでの間、緊急事態におけるデジタルシフトした教育の在り方、GIGAスクール構想でのPCやタブレットを使用した新たな教育の在り方、生徒のID化・クラウド化による個別教育システム構築等の議論、そして実証を生徒を交えて行ったら良いと思います。
未来を見れずに新型コロナウイルスで亡くなられた方々に、日本がこれからどう進化していくのかをお見せする義務が僕らにはあるはずです。
9月始業、結果的に社会全体を大きく変える事なので、総理の決断で突き進んでいってもらいたいと思います。利害関係者の調整で解決できることではないですから…。
編集部より:この記事は多摩大学ルール形成戦略研究所客員教授、福田峰之氏(元内閣府副大臣、前衆議院議員)のブログ 2020年5月1日の記事を転載しました。オリジナル記事をお読みになりたい方は、福田峰之オフィシャルブログ「政治の時間」をご覧ください。