コロナでステージが変わったデジタル教育

中村 伊知哉

超党派の教育ICT議連総会が開催されました。
国会議員・政府関係者はリアル参加、ぼくを含む民間アドバイザーとマスコミの総勢40名はウェブ参加。
「教育ICT化」から「超教育」へ。
学校に通い、教科書で、先生が教えてくれる。
その前提が成立しないアフターコロナ教育を考えよう。
という議論でした。

デジタル教科書の整備、PC1人1台化をぼくらが主張して10年。教科書はようやく2年前に制度化が達成されたものの、学校PCは5人に1台、OECD最低レベルのままでした。
この議連が策定し昨年施行された「教育情報化推進法」がテコとなり、昨年末からコトが大きく動きました。

昨年末の補正予算で1人1台に向けた措置がなされ、今回の緊急経済対策で一気に1人1台を達成します。
遠隔教育の著作権利用が許諾なしにできるようにする措置も今回盛り込まれました。
10年来の課題がいっぺんに解決しそうで、半年前までの状況から見ると夢のようです。

冒頭、遠藤利明会長が「日本を教育ICT大国にしたい」と挨拶しました。
後進国から大国へ。
コロナという危機を、希望に変えよう。
こうした言葉がリアリティーを持つようになりました。

議員たちの議論で注目すべきは、まずフェーズが学校から家庭へと移ること。
「持ち帰り可能な1人1台端末を前提とすべき」、「ホームスクーリングを中心とした学びとすべき」との指摘が相次ぎました。
そして問題は「家庭の通信費」であるとも。

学校のデジタル教科書やICT環境の整備は、家庭の環境を整備することに比べうんと安上がりです。
数千億円単位で済む。それくらい国として安い投資だ。
とぼくらは主張してきました。
それはいよいよ実現します。
でも全国の家庭となると、政策の規模が一変します。

中川正春元文科大臣が省庁の役割分担にもコメントしました。
「本来は、ハードが総務省・経産省、コンテンツは文科省であるはずが、現状では逆になっている。」
経産省が全体をリードしているのはどうなのか、という問題提起です。

教育情報化は文科省メイン・総務省サブで人事交換などもしながら進めたものの遅々としていたところ、この数年、経産省が本腰を入れ、官邸との近さもあって一気に政策が進んだ。
文科省もスイッチが入った。
ぼくはその動きを評価します。これからも連携のほどを。

ここで存在感が薄いのが総務省。
古巣の役所に対しぼくはずっと騒いできた。
昔これを一層進めるためにぼくは役所を出て旗を振ってきたのですが、今は文科・経産の2トップに見えます。
コトが学校から家庭に移れば本来、総務省の出番なのですが。大丈夫かなあ。

馳浩元文科大臣がさらに議論を進めます。
「教科書は要るのか?毎年450億円かけて配る必要はあるのか?デジタルだったら1人1台に全て入る。学年を越えて、教科を越えて教材は開発できる。学力テストも毎年50億円使う必要があるのか?」

教科書、学習指導要領、試験という日本の教育体系を根本から問い直す。
元文科大臣の発言は重たい。
そしてそれは、教育ICT化が次のステージ、ぼくらが言う「超教育」の段階に進んだことを意味しています。

ぼくが専務理事を務める超教育協会は、キャッチアップである教育ICT化=インフラ整備と先端改革の両方を推進すべきと主張してきました。
先端改革は「超教育」の構築であり、それはまさに議論にあったアフターコロナ教育です。

コロナのレガシーは、教育ICTの進展、しかも学校のICT化から家庭のICT化にステージが移ることと想定していましたが、もっと先に進める気配も漂ってきました。
日本を教育ICT大国、いや超教育大国にできればと願います。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2020年5月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。