都知事選をテキトーに語って米重さんからツッコマれる
音喜多君の記事で先日、都知事選に関する自分のツイッターが引用されたのだが、いま名前が挙がっている有力候補たちがどれくらい取るか、仕事の合間にふと「こんなものだろう」と呟いたところ、選挙データ分析のプロである米重さんから容赦無くツッコミが入った。
あくまで調査前の段階だが、選挙のプロであれば現段階で小池氏が400万票、堀江氏が60〜70万票がベースラインという米重さんの見立ては、全くもって妥当である。
そもそも現職は強い。石原氏のときは2期目が308万票、3期目が281万票だった。
小池氏は自民党が分裂選挙、野党候補が著名人であった前回ですら291万票、得票率44%の圧勝だった。そして今回、告示まで1か月を切った段階で、野党側からは候補者の名前が挙がっておらず、前回は小池氏の敵側に回り、70〜80万票を持つ公明党が早々と小池氏支持を決めている。
コロナ緊急事態での知事の露出増加を勘案せずとも、普通に足し算すれば400万は優に超え、猪瀬氏が2012年都知事選で叩き出した史上最高得票(433万票)超えも見えてしまう。
それがなぜ、たかだか200万票などと適当にツイートしたのか。穴があったら入りたいほどの失態だが、あえて言い訳をしよう。スキマ時間に思うがままのガチの感覚値でついつい言ってしまった。せめて300万とでも言っておけばよかった(苦笑)。米重さんはまさにプロ中のプロ、数字の天才だから実数を見る前でも、長年の票読みの経験値もあるから、同じ感覚値でも雲泥の差だ。
恥を忍んで反省点を挙げる
なぜ私がこんなポカをやらかしたのか。反省すべきは2点。
まずは単純に計算をサボっていただけだ。私も選挙の仕事はやってきたが、世論調査の設計はその筋のプロに任せている。私のような数字が苦手な凡人はきちんと過去のデータを付き合わせ、電卓を叩いてからでないと話が始まらない。なのにスキマ時間で都知事選のことが頭をよぎり、つい何か言いたくなってしまった。感情に負けた。
もうひとつはバイアスだろう。私は小池都政を支持していない。豊洲市場のから騒ぎに始まって、今度は「選挙まで長引かせるのが目的では」と邪推させるほど悠長な出口戦略。都民ファーストの会にも険悪な関係の都議がいる。ここでも感情に負けた。2連敗。
スキマ時間にふと思いつくまま、そうしたバイアスが入るわけだから、200万などという数字は全くもって感情で勘定しただけの空虚な願望にすぎない。日頃、選挙を語る時、「選挙は感情ではなく数字でやるもの」とまで言っておきながら、全くもってお恥ずかしい限りだ。
往々にして、疲れていたり、気を許していたりするとこの手のミスはある。あるいは「小池知事が嫌いだ」「中身のないSTAY HOMEにゲンナリ」といった好きだ嫌いコンチクショーの感情に取り憑かれた状態だと、たとえ手持ちの数字やファクトがしっかりしたものであっても、脳内変換されて出てくるものは歪な出来損ないのコンテンツでしかない。
アゴラでは私が編集長になってから、政治家や経営者など実務家の記事を多く掲載するようになったこともあって、当然のことながら、当事者発信につきもののポジショントークが日々繰り広げられている。
いや、ポジショントークは大いに結構。プレイヤーが生々しい現場感覚から綴る記事は、第三者の記者たちが書くものとは違う専門性や迫真性に富んでいる。賢明なアゴラの読者は、執筆者のポジショントークを見抜くこともまた楽しみなのだろう。
ただし、以前も書いたが、「管理人」の立場としては、それぞれの執筆者の根底にあるポジションや感情が強すぎて、ファクトや数字があまりにも歪められたり、切り取りが過ぎたりして、大きなミスリード、あるいは事実に反する中身にならないか、注視していなければならない。論争させるためにあえて見逃すものもあるが、粗さが露骨すぎるものには執筆者本人に伝えて書き直してもらうことも何度かあった。
若手ライターやブロガーに伝えたかった教訓
今度、自分の会社(ソーシャルラボ)で副業でプロのライターをめざす人たちに講座を開くことになった。
世の中に提起したい、発信したいことの情熱は基礎としては大事だが、実際に発信するとなると、論評は自由でも、ファクトに忠実であり、感情で勘定してしまうと足元をすくわれることを伝えるつもりだったが、くしくもまさにプレスリリースを出した日に主宰者が身を以てやってしまうのだから、教材用の新たなネタができたというべきなのか…。
ちなみに講座は政治からビジネスまで幅広い方が対象。どんなポジションでも変わらぬ作法やテクニックを伝えるのが目的だ。だから小池さんがスキでもキライでも、そもそも政治に興味ない方でも歓迎している。
講座を開くことを決めたのは、ここ数年、アゴラに売り込んでくる若手ライターやブロガーの原稿をみていると、やり直しの効かない紙媒体を経験している先輩たちとのスキルの差のようなものも見えてきて気になったことがあったためだ。若手の育成基盤となっていた雑誌の休刊・廃刊が相次ぐ一方で、ネット媒体はその役割をはたし切れていないのではないか、そんな問題意識が年々強くなっていった。
とはいえ、ここまで書いてきたように、私もミスはよくやらかす。新聞社時代の10年、そしてネットで書くようになってから8年が経つが、成功と失敗が入り乱れた年月だった。今年で40代も折り返しとあって、そろそろ若手に自らのささやかな経験を伝えていく時期かと思っている。