『365日でわかる世界史 ― 世界200カ国の歴史を「読む事典」』(清談社)には、「国歌は賛美歌風と行進曲風が多い」という項目があるし、個別の国の記述のなかにも国歌の話は出てくることもある。また、「インドネシアとモナコの国旗はほぼ同じ(国旗の話)」という項目もある。また、『日本人のための英仏独三国志 ― 世界史の「複雑怪奇なり」が氷解! 』(さくら舎)にもい国旗や国歌の話は出てくる。
そこで、今日はこれらをもとに国歌の歴史とあわせ君が代の話をしたい。
国歌と国旗はオランダが嚆矢という説が強い。もともとオランダを含むフランドルは、ブルゴーニュ公国領だったが、シャルル突進公が男子亡くして死んだあと、→マリー・ド・ブルゴーニュ→フィリップ美公→皇帝カール5世→スペイン王・フィリップ2世と相続されたのち、宗教改革の一環での独立戦争が起きた。
その過程で書かれた詩「ヴィルヘルムス・ファン・ナッソウエ」をフランスの軍歌の旋律に乗せて歌ったのがはじまりだそうだ。そして、19世紀になると各国でも国歌があるようになった。
ところで、私もそうだったし、多くの人が君が代は悪いわけでもないが、なんとなく陰気くさくて元気が出ないと思っている。どうしてそうかといえば、元気が出るのは行進曲チックな国歌なのだ。一方、行進曲と並ぶもうひとつの流れが賛美歌風のもので、これはみんなで歌うのに向いている。典型的には、イギリスやドイツのものだ。
フランス国歌は、フランス革命政府がオーストリアへ宣戦布告した1792年に工兵大尉ルージェ・ド・リールが出征する部隊を鼓舞するために作詞作曲し、マルセイユの市民兵がパリ入城したときに歌ったので「ラ・マルセイエーズ」という。1795年7月14日に国歌として採用された。
現在のフランス第5共和政憲法は、「国歌はラ・マルセイエーズである」と定めている。行進曲風の国歌の代表であり、歌唱は難しいし、歌詞は「暴君を倒せ、敵を血祭りに上げろ」と血なまぐさい。そのため国歌斉唱はほとんどされない。
イギリスの”God save the Queen”は、1745年にカトリック派のプリンスがハノーバー王朝のジョージ2世を倒そうと攻撃したが、そのときに、国王を守ろうという趣旨で歌われだし、19世紀になって国歌として定められた。
ドイツ国歌はハイドンが作曲した『神よ、皇帝フランツを守り給え』から旋律を拝借して19世紀に『世界に冠たるドイツ』という歌が作曲され、それがワイマール共和国の国歌とされた。戦後、西ドイツでは早い時期にこの国歌を復活させたが、歌詞は一番の「ドイツよ、ドイツよ、すべてのものの上にあれ」というものを使わす、三番の「統一と正義と自由を 父なる祖国ドイツの為に」を使用している。
ふたつとも、賛美歌風といってよい。
君が代は1869年に古今集に淵源があり、薩摩琵琶歌の「蓬莱山」のなかにもあった「君が代」を歌詞に英国人フェントンが作曲したのが始まりだが、1880年に雅楽調の現行の曲に差し替えられ、その後、国歌として使われたものだ。いうまでもなく賛美歌風であって斉唱には向くが元気は出ない。そういう意味では、行進曲風の第二国歌的なものもあってもいいかもしれない。君が代行進曲というのもあるが。
ところで歌詞のない国歌もある。スペインでは政治的対立で決められないでいる。
以下、YouTubeから世界各国の国歌などのリンクを。
フェントン作曲の初代君が代
近衛文麿編曲の君が代 雅楽や教会音楽のドリア調の感覚を採り入れて日本人の君が代のイメージに大きな影響を与えた 大太鼓の音が印象的
長野五輪開会式での雅楽器による君が代
愛国的な歌を歌わせてはナンバーワンといわれたミレイユ・マチューのラマルセイエーズ。筆者もナマで聴いたことあり。
映画カサブランカの『ラインの守り』vs『ラマルセイエーズ』
ソ連赤軍合唱団による勇ましいラマルセイエーズ
ついでに赤軍合唱団のロシア国歌
プロムスのフィナーレでのイギリス国歌(3分あたりから)
ウエストミンスター寺院での英国国歌
歌詞付きドイツ国歌 現在の歌詞は三番
ドイツ国歌の変遷
スカラ座ガラにおけるムーティー指揮イタリア国歌
メトロポリタン歌劇場の米国国歌