緊急事態宣言はそもそも必要だったのか、という議論がなされている。これについて一言述べてみたい。
私自身は、「緊急事態宣言の検証」という題名の文章を13回書き、その他の文章も書く中で、4月7日に宣言が発出された直後から「増加率の鈍化」が起こっていたことを指摘していた。その後、4月中旬からは、新規感染者数は減少に転じたことも指摘し続けた。単純に数字を見ればわかることだった。しかし、それを無視した言説ばかりがあふれていることに苛立ったこともあった。
5月の「延長」決定後に、ようやく専門家層の発言も変わり始めた。そして緊急事態宣言終了後の5月29日
「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」において、「新規感染の『感染時期』のピークについては、4月1日頃であったと考えられており、4月1日頃までには実効再生産数が1を下回ったことが確認されている」(15頁)
と記されたことにより、「ピーク」が緊急事態宣言発出前に過ぎていたことが公式見解として確立された。
そこで「もしピークが4月7日より前だったとしたら、本当に緊急事態宣言を発する必要があったのか?」という問いが出てきた、というわけである。
だがこれについては、5月29日の専門家会議記者会見で尾身茂・副座長が繰り返し説明していたことに尽きると思う。
結局、緊急事態宣言は、「医療崩壊を防ぐ」ために行われたのである。実は4月7日の緊急事態宣言発出にあたって安倍首相は、そのことを自らの会見の冒頭で強調した。なぜ誰もそのことを思い出さないのか、安倍首相の説明の仕方が悪かったのか、メディアが常に話題作りのことだけを考えて他人の話に耳を傾けないのが悪いのか、私にはわからない。
しかし安倍首相は4月7日の記者会見で、緊急事態宣言の目的が「医療崩壊を防ぐ」である点を、はっきり述べていた。
「医療崩壊を防ぐ」を政策目標とする考え方とは、つまり感染者(重症者)と医療提供体制との相関関係を重要な政策判断ポイントとする考え方である。「医療崩壊を防ぐ」という目標に照らして政策を評価するということは、常に医療提供体制と照らし合わせて、感染のピーク時期や増加スピードを評価するということである。
そこで他国との比較における日本の感染状況の評価などは、「医療崩壊を防ぐ」という目標にてらせば、無関係である。重要なのは、日本(の各地域)の感染状況と日本(の各地域)の医療提供体制との関係だけである。
4月7日の時点で「医療提供体制も逼迫してきていた」(『状況分析・提言』2頁)ことが事実であれば、緊急事態宣言は首尾一貫したものとして正当化できる。なぜならいずれにせよ「医療崩壊」を防ぐためには追加的な感染者数の減少化措置が望ましかったと言えるからである。
この評価は5月になって行われた「延長」に対しては、より微妙なものになる。なぜなら感染者数の減少がすでに顕著に進展し、医療提供体制も持ち直し始めていたからである。
その状況を見た吉村府知事が、「医療崩壊を防ぐ」ことが確認できれば自粛を解除すると定めた「大阪モデル」が注目され、歓迎されることになった。結果として、「大阪モデル」がけん引する形で、「日本モデル」の「医療崩壊を防ぐ」ための緊急事態宣言は早期に終了していった。
現在は、緊急事態宣言の再発出の恐れがないか、といったことが、感染者数の日々の増減に応じてささやかれてもいる。しかし再発出は、「医療崩壊を防ぐ」という目的にそって行われるのでなければ、論理一貫性がない。たとえば大阪ではICU病床数の拡充といった医療提供体制の充実を図っているということなので、こうした地域では将来の「医療崩壊を防ぐ」の敷居は上がることになる。
日々の新規感染者が前日より多いとか少ないとかだけで、緊急事態宣言を決定すべきではないのである。
「第一波」「第二波」といった言葉が独り歩きしている場合もあるが、現実の社会状況を見て「第二波」を言うのでなければ、机上の空論である。
なお5月29日の専門家会議記者会見では、相変わらず本旨に沿ったやり取りが少なく、質疑応答の大半が「議事録を公開しないのか」といった質問をめぐるやり取りにあてられていた。おなじみのような光景とはいえ、残念であった。
座長・副座長が、「とにかく『状況分析・提言』を読んでほしい」とどんなに訴えても、なお「専門家会議として議事録を出すように政府に訴えないのか」といったことだけを言い続ける記者たちがいた。
こんな記者たちに議事録を見せると、記者たちが『状況分析・提言』をますます読まなくなることは間違いないだろう。そして「何か政府批判になる種はないかな?」といった関心だけに引き寄せて議事録を渉猟し、混乱した話を盛り上げようとするに違いない。議事録は、残すべきだが、公開しなくていい。