黒人暴行死とアメリカ社会の特殊性

ミネアポリスはアメリカの地図で中央の上部に位置します。5月25日の夕刻、同地の警察に確保され、押さえられたジョージフロイドさんが警察の過剰な対応により死亡しました。これを受け、全米各地にデモが広がり、外出禁止令が出され、件の警察官らはこの手の事件としては異例の早さで逮捕されました。が、デモは収まらず、コロナからの緩和でようやくひと息つきはじめたアメリカ経済に再び水をかけるような事態となっています。

(写真AC:編集部)

(写真AC:編集部)

この事件をどう理解すべきでしょうか?たまたま黒人だったのでしょうか?あるいはたまたま警官がやり過ぎたのでしょうか?凶暴犯を銃殺することもしばしば起きるアメリカに於いて今回の事件をどこまで特別視するのか、世論を一方的に鵜呑みにもしにくいところがあります。

私どもで共同管理しているカナダ、バンクーバーの地下駐車場は車上荒らしや駐車場から建物への侵入者、更に駐車場内に不法に侵入し、夜を明かすホームレスといった問題に常に直面しています。(どこの駐車場も同じです。)今から数年前、なかなか捕まらない同一犯が繰り返し犯罪を犯す中、我々関係者と警察で捕まえるべく追っていました。

午前4時、その犯人2人が駐車場に侵入したのを建物のコンシェルジュがセキュリティカメラの画面越しに発見、警察に通報します。警察も今回ばかりは逃がさないと10人以上が数台のパトカーで集まり、全ての出入り口を封鎖、犯人を追い詰め、最後、入り口近くで取り押さえられます。

が、そのシーンを映し出したセキュリティカメラの画像は生々しいものでした。数人の警察官が犯人をぼこぼこにするのです。残ったのは犯人の血痕。この犯人グループは2人とも白人であり、その手荒い逮捕劇からすると人種の差別感よりも悪を力で抑え込み、二度とできないようにしてやるといううっぷん晴らしのようにも見えました。

ミネアポリスの事件も警察官が黒人だからという意識をどこまでしていたのかわかりません。北米の警官がなぜ、冬でも半袖の制服を着ている人が多いのか、それは強さを見せるための示威行為なのだろうと思います。筋肉が盛り上がる腕から強そうだというイメージを見せつける警察の独特のパフォーマンスが時として過剰な行為につながり、今回のような問題を引き起こします。

ただ、全米に広がりつつある暴動は扇動されていると思います。いくら何でもその警官の思想的背景のチェックもされてない時点で黒人だけが差別されていると考えるのにはやや違和感があります。

確かにアメリカには白人至上主義は根強く残っています。White Anglo-Saxon Protestant (WASP)と言いますが、この思想は黄色人種も弾き飛ばします。アメリカで未だに「リメンバー パールハーバー」が恨み節のように言い継がれているのはアメリカが黄色人種の日本に屈辱的なダメージを受けたからであります。時の大統領、ルーズベルトは日本人を黄色いサルといい、対日感情を過度に刺激し、のちに終戦に至るまでの日本はアメリカ軍の徹底した攻撃を受けることになるのです。

私はアメリカ人は白人至上主義というよりアメリカ至上主義ではないのかと思っています。トランプ大統領のG7やG20などでのふるまいは白人の欧州首脳すら困らせています。対中国の姿勢はあらゆる手段を使って息の根を止めるという意気込みを見て取れます。イランに対する姿勢もしかり。アメリカに歯向かうものは誰も許さないというのは一種の血統なのであります。

歴史的にカナダ人はアメリカ人を尊敬していません。口にこそしないものの冷たい姿勢と評価があります。ただ、経済的結びつきが強いためにそれをこらえているのです。同じことは欧州でも同じでしょう。そうみるとアメリカは一種独特の国家であり、上に立つ者の支配権をあらゆるシーンに適用している国だともいえます。企業ですらCEOの持つ権限は圧倒しています。警察は公権として上に立つのでしょう。銃規制ができないアメリカとは勝つか負けるかの勝負の中でそんな道具が自己保身のツールとして必要だともいえるのでしょう。

今回の問題を黒人への人種意識問題と捉える記事がほとんどですが、私はもう一歩踏み込んでみるとアメリカの特殊性が背景に潜んでいるように感じます。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年6月2日の記事より転載させていただきました。