没後40年。今こそ学びたい大平首相の哲学と理念

今年は大平総理の没後40年

大平正芳(内閣広報室)

第68代内閣総理大臣を務めた大平正芳首相が1980年(昭和55年)6月12日に逝去され、間もなくちょうど40年の節目を迎えます。

その口癖や朴訥さから「あーうー宰相」、あるいは「讃岐の鈍牛」という異名を持ちながらも、書物をこよなく愛し、またみずからも全集になるほど数多くの著作を遺した文人でもありました。

洋の東西を問わず哲学に精通し、生涯にわたり政治のあるべき形を模索し続けた「哲人宰相」という姿が筆者にとっては一番の印象です。

大平首相を語るうえで真っ先に思い浮かぶのが、「永遠の今」や「田園都市国家」などのキーワードです。その中でも代表的なのは「楕円の哲学」と呼ばれる独特の政治理念で、与野党の立場を超えて共有し得る、むしろ今だからこそ共有いただきたい政治の在り方のひとつだと私は思います。

そもそも「楕円の哲学」とは

一橋大学の前身でもある東京商科大学を経て大蔵省(現在の財務省)に入省した大平青年は、27歳で横浜税務署長に赴任。1938年(昭和13年)の新年拝賀式で署員に次のような訓示を行なったといいます。

「行政には楕円形のように二つの中心があって、その二つの中心が均衡を保ちつつ緊張した関係にある場合に、その行政は立派な行政と言える。

例えばその当時支那事変の勃発とともにすべり出した統制経済も統制が一つの中心、他の中心は自由というもので、統制と自由とが緊張した均衡関係にある場合に、はじめて統制経済はうまくいくのであって、その何(いず)れに傾いてもいけない。

税務の仕事もそうであって、一方の中心は課税高権であり、他の中心は納税者である。権力万能の課税も、納税者に妥協しがちな課税もいけないので、何れにも傾かない中正の立場を貫く事が情理にかなった課税のやり方なのである。」

(服部龍二『増補版大平正芳 理念と外交』33頁。太字は筆者)」

こうした才覚がほどなくして、後に「所得倍増計画」で知られる池田勇人・大蔵大臣の目に留まり、大平は経世家としての道を歩み始めます。

行政といえば今も法務省はじめ検察庁の人事問題がくすぶり、すっきりしないまま尻すぼみで終わりそうです。税政と公務員人事の違いはあれども、一連の騒動にも同じことが言えるでしょう。いくつかの楕円が重なっている状態に置き換えられます。

ひとつは内閣と検察の楕円であり、もうひとつは為政者と有権者。さらには賛成意見と反対意見。まだあるかも知れません、楕円の数だけ求められる中心も増えます。

意見が割れるからこそ、楕円の中心を探る必要がある。それも丁寧に

そもそも法案をめぐる賛成の立場であれ反対の立場であれ100パーセントの正ではなく、逆に邪というわけでもありません。

法案自体に限っても決して完全無欠なものではなく、政と官の両方を満足できるとは限りません。
内閣と検察のどちらが絶対不可侵の存在となって暴走するのもご免ですが、少なくとも有権者の間接的な代表である国会議員、そして国会議員等から構成される内閣が官僚機構に影響を及ぼすことが出来ること。立法府と行政府の均衡が保たれることを前提条件に、私はあってしかるべきと思います。

かつて厚生労働省・村木厚子さんを貶めた一件は何だったのか。またファイル交換ソフト「Winny」を開発した不世出の天才プログラマー・金子勇さんの命を結果的に縮め、大きく国益を損ねたのはどこの組織だったのか。 城所岩生教授の寄稿を拝読し、改めて実感します。

法案に否定的な立場を示された方は、そうした不当逮捕の数々を無視してはいけません。

その一方で、今会期中の成立が見送りになったことについては、私自身も矛盾を抱えながら結果的に良かったのではと思います。仮に成立できたとしても、楕円の中心を見いだせない状態での強行採決は後味の悪さが残ったことでしょう。きれい事と思われても、やはりここは丁寧であってほしい。その部分のわだかまりを解きほぐし、合意形成に導くのが国会本来の役割である筈なのです。それができなければ、そもそも国会など要りません。

もうひとつ留めておきたい、大平首相の信条。「明日枯れる花にも水をやる」

大平首相を偲ぶ上では、もうひとつ記憶にとどめておきたい言葉があります。
あなたにとって、政治とは何か。私もときどき政治家の方に投げかける問いですが、その答えは次のようなものであったといいます。

政治とは「 明日枯れる花にも水をやること」だ。

国全体がコロナ禍で疲弊し、苦しい日々が続く今だからこそ。この言葉は沁みます。
政治を生業とするすべての政治家の方々にはぜひとも自問自答いただき、それぞれの政治観と向き合っていただきたいと願います。とりわけ、首相という重責に就かんとする方には。

遅かれ早かれ、現在の安倍総理の次は誰かがバトンを受け継ぐことになるでしょう。新たな首相の座を決定づけるのは党内力学か、それとも実力、あるいは世論か。さまざまな要素があると思いますが、私ならば大平さんの理念に敬意を払い、継承せんとする気概の持ち主にこそ後事を託したいと願います。そして自分自身の理念と言葉をもつ方にこそ、この国の将来を託したい。

哲人宰相の命日を前に、ふと想いを巡らせます。