都知事選 荒唐無稽な公約のチェックは誰がするの?
「選挙公約」とは昔はとても重いものであった。昭和の国政では政権与党が掲げた選挙公約が達成できなかったり選挙後に方針転換があると、国会で「公約違反」と厳しく野党が追求して国会審議が紛糾したりと大問題になった。
そのうち与党自民党は「公約違反」を避けるために、公約の文言を曖昧な表現にしたり、実現に困難が伴う大胆な公約は避けるようになった。
結果、公約は現状継続の強い、改革性や具体性が感じられないものになり、すっかり魅力的でなくなってしまった。
そこに平成の後半くらいから民主党の「マニフェスト」が登場して、「公約改革」がおこなわれた。残念なことにある時期から「マニフェスト」は実現性は無いが有権者受けする政策を入れ込むようになり、公約の粉飾が発生した。政権交代に伴い「マニフェスト」の実現性が試されると、公約実現は不可能であるということが露呈して、国会の内外で批判にさらされ民主党は政権を失うこととなった。
一方、都知事選挙では前回も今回も実現性に乏しかったり、制度上そもそも不可能な「公約」が跋扈している。そもそも最初っからできないことを約束する、なんてことはあってはならないことだ。はっきり言うと「騙し」である。
全く論外の話なのだが、現実は粉飾公約・思いつき公約が主要候補から出されているのだから、なんとかしなければいけない。誰かが(せめて主要候補の)公約を、そもそも政治判断で実現可能なものと、制度やその他の理由で実現困難(もしくは不可能)に分ける検証作業をするべきだ。
新聞は表面上は「政策論議」を推奨するが、実際のところはデタラメ公約でも垂れ流すだけで、ほとんど公約に関する実現可能性の検証はしない。結局のところヒューマンドラマとしての「戦い」のほうが面白いのである。より簡単な「公約達成」の検証を数年後、事後的にはやることがあるが、肝心の選挙前に教えてくれなければ有権者は投票行動を変えられない。
地方行政の制度設計に詳しい国と地方の官僚は当然制度面から実現性が乏しいことは瞬時に理解しているだろう。しかし立場的に政治的発言は避けなくてはいけないので、とてもではないが公の場で「公約の検証」を発表することはできない。
マスコミも官僚も検証してくれないなら、誰が知事選の公約を「事前」に検証し有権者が選挙で判断を下す材料を提供することができるだろうか?
それは都議会議員であろう。彼らは地方行政の制度設計に詳しい(はず)で、かつ政治的発言も許される立場にあるわけだから、各候補者の公約事前検証に最適な立場にいる。もっとも党派性から「中立的な立場」からの検証は期待できない。党として応援している候補のデタラメ公約を暴いたりは絶対にしないであろう。それでも無いよりはマシである。対立候補の公約をそれぞれの陣営が厳しく検証すれば、それらの情報をまとめれば有権者としては各候補者の「公約の質」がある程度は理解できる。
議員による情報発信は色々と分かりにくいことが多いのだが、都議会各会派には是非とも正確な情報に基づく各候補者の公約の実現性に関する検証を選挙前に発表することを期待する。