このところ、いきなりステーキのペッパーフードサービス社の話題が多い気がします。同社の両輪の一つである「ペッパーランチ」を第三者に売却し、いきなりステーキの一本足となる道を選んだからです。厳密にいえば同社は他にも事業はありますが、規模からすると微々たるものでステーキに望みを託したように見えます。
ところでステーキは多くの方にとって日常食でしょうか?北米ではよく日曜日にステーキを食べたりするのですが、それは英国のSunday Roastからきているものと思われ、日曜日に教会に行った後にビックミールを食べるという流れだと認識しています。またステーキはレッドミート(赤身の肉の意)ともいわれ、血をイメージし、血が滴るような肉(実際は血ではなく、色素たんぱく質です)を食べるのは男が狩猟に行くときに元気をつけて送り出すという半ば人間の行動の本質的な言い伝えが背景にあったと理解しています。
日本人は農耕民族ですからそもそも狩猟とか血が滴るなんて言うのは食文化の歴史にないのです。勿論、明治以降様々な西欧の食文化が取り込まれ、日本風にアレンジされてきた中でカレー、ハンバーガー、パスタは日本にも文化として定着しましたが、ステーキはまだ日常食にならない気がするのです。
もう一つはステーキ文化が仮に日本に根付いたとすればわざわざ食べに行く必要もないと思うのです。スーパーでよい肉を買ってきて焼けば一応ステーキになります。勿論、店のような味にはなかなかならないのですが十分近いものであるはずですし、ちょっとした改善をすればかなり簡単においしく作れるのです。実はこれが今日のテーマの一つです。「Youはなにしに外食へ」です。
先日堀江貴文さんが面白いことをYouTubeで発言していました。「店員のいない店」。彼も際どい点をつくのですが、下手な居酒屋に行けば配合を間違えたのではないかと思うような炭酸水ばかりのハイボールや氷ばかりのサワーが出てきます。それなら一流メーカーが開発した缶入りアルコールの方がはるかにうまいというわけです。なるほど。一理あります。そこで堀江さんいわく、酒の自販機がたくさん並ぶ中、それをみんなで飲むスペースがあればいいというわけです。
ならば更にアレンジして肉屋がそこにあってステーキ肉買ってきて焼き肉屋のようなテーブルに鉄板があるなら自分で焼くというのはどうでしょう?若い人もサラリーマンも大満足だと思います。店のサーバーさんは基本いなくて全部セルフ。最後の片づけだけは店の人がやる、という感じなら一人7-800円で腹いっぱいステーキ食べてあと発泡酒2-3本飲んで1000円です。これぞほんとの千ベロでしょう。
日本のキャンプ場などでお手軽BBQが流行っていると理解しています。つまり全部セットされていてあとは焼くだけというものです。これは食文化の本質を突いているのです。縁日で焼きそばとかトウモロコシを食べたとき、奇妙なうまさを感じると思います。あれは食材やテクニックというより雰囲気に飲まれるのだと思います。つまり、みんなで同じものを食べる、あるいは食を取り囲む環境がおいしいと思わせるのです。自然の中のBBQや祭りで盛り上がる中の焼きそばがうまいのは人間の心理がそうさせる部分が大きいのです。
私は日本で時折、焼き鳥屋の店先で焼いている焼き鳥を家に持ち帰って食べるのですが、それはそれでうまいけれど焼き鳥屋のカウンター越しとは味が違う気がするのは焼き鳥はこうやって食べるものという先入観と雰囲気が期待値を変えているのかもしれません。
食に対する染みついたイメージはなかなか消えないものでステーキを立ち食いで食べるのは私にとってはアラームが鳴ってしまうのです。温めた白いプレート、美しい添え野菜、品の良いフォークとナイフ、横にはバスケットに入ったバゲット、この設定があれば安い肉でもうまく感じます。
新しい時代の飲食店は何を提供すべきかとなれば堀江さんのいうようなセルフの店にしてしまうか、きちんとしたテーマを持たせてこれは家庭では作れないというものにするかどちらかでよいと思います。私は肉屋のコロッケとメンチを一つずつ買ってあとご飯と漬物があれば全然セルフでOKです。でもこういう店も場所もほとんどお見掛けしませんよね。下手な飲食店は無くなってもらって結構。この世界も変わっていくべきだと思います。
私の希望としては住宅街に作るセルフサーブの店。そうすれば近隣同士の関係も生まれるし、良いことづくめだと思いますが。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年7月10日の記事より転載させていただきました。