朝日が500万部割れ間近…新聞危機で書き手の育成危うく

新田 哲史

東京・築地の朝日新聞東京本社(Lazaro Lazo/flickr)

日本ABC協会が算出した6月の新聞各社の部数によると、朝日新聞が505万部と1966年以来の水準に落ち込んだそうだ。私がライバル紙の新聞記者として社会人生活をスタートした2000年ごろは800万部だったことを考えると隔世の感だ。しかも、つい4年前の8月には645万部あったことを考えると、短期間で500万割れも見えてきた減り方に同社関係者の戦慄は想像するに難くない。

「朝日ザマー」では済まない構造的な問題

ただし、ネトウヨが「朝日ザマー」「早く潰れろ」と喜ぶような論調の問題ではない。6月の数字を見ると、毎日(217万部)と産経(130万部)が歴代最低を更新、日経(206万)も電子版が堅調とはいえ大台を割り込む寸前。かつては世界一の1000万部を誇った業界トップの読売(757万)も1977年の水準に落ち込んだというから、まさに「総崩れ」だ。コロナ禍を機に販売の現場崩壊も取り沙汰されており、未曾有の試練はここから本番といえる。

「(紙の)新聞崩壊」の要因はネットの普及が最大の原因だが、打開策を有効に打てなかった経営体制の面も大きい。

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実はあす発売の「月刊Hanada」9月号に、アゴラで紹介してきた朝日新聞の“脱法ガバナンス”をはじめ、左派各紙の問題点を経営視点から論じた長文コラム(約7200字)を寄稿した。

詳しくはそちらをお読みいただきたいが、一般企業と異なる株主と経営陣の特殊な関係と、それを許容する、時代遅れの法制度を改革しないと、外部の資本や人材を活用して経営を再建するのが難しいことを憂慮している。これは社説が右とか左とか論調の問題ではない。

「Hanada」では経営側の問題を論じたので、今回は報道の現場に与える影響について触れたい。ここ最近、全国紙から地方紙の関係者まで話を聞いていると、経営悪化に伴う経費節減を通り越し、人員削減、取材体制の縮小に歯止めが効かなくなっている。

全国紙の記者が夜回りでハイヤーを使い放題にして、ときには張り込みのふりをして車を銀座の路傍に待たせ、同僚や取材先と飲み食いに興じていたなどという話は昔日の伝説になりつつある。これは読売や朝日より経営の苦しい毎日や産経ではかなり前からのことだったが、だからこそ賭けマージャンをしていた産経の記者が、黒川前検事長をハイヤーで送っていたことは、いかに「VIP扱い」であり、上層部が黙認していたのではという疑念を残すわけだ。

ただ、そうした「特権」剥奪は、新聞記者が普通のサラリーマンに回帰するだけでよい話だが、今後さらなるリストラ、あるいは倒産となると、次代の報道を担う新人・若手の育成基盤が先細りする問題がますます現実のものとなる。

徒弟制度的な記者の育成基盤が維持できず…

ニュースをかぎつけ、人の懐に飛び込み、口の重い関係者から話を聞き出す。雑多な情報の中から必要なものを取捨選択し、読者が理解しやすく、また時代性をとらえた文脈で記事を紡ぐ。裏付けを重ねファクトを追求、それでも時にはトラブルに見舞われ、運悪ければ訴訟沙汰になる……こうした取材や編集の経験やスキルは一朝一夕に身につくものではない。しかも「徒弟制度」的な世界だ。

ある意味、日銭を稼ぐことを叩き込まれる一般的なビジネスの世界の市場原理と離れて「純粋培養」されることで身につくという見方もでき、新聞社が右肩上がりだった時代には、そうした育成基盤を可能にしていたわけだが、それがいま揺らぎ始めている。弱体化が進めば、地方ではアメリカで起きた「ニュースの砂漠」問題が現実のものとなり、チェック役不在の自治体で汚職が横行するなどの社会的弊害も増えるだろう。

同じことは出版業界がすでに直面して久しい。雑誌の廃刊が相次ぎ、「徒弟制度」そのものがなくなってしまって、社員になるか運良く師匠筋をみつけるのでなければ、一人前の筆力・取材力を身に付けられる環境そのものが見つからないことになった。

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ネットメディアは書き手を育てられるか?

それでもネットメディアに活路を求めるライターの志望の若者もいるし、ネットメディアもこの5年ほどで社会的な存在感を上げているが、こと報道系についていえば、編集幹部やエースライターとして主力になっているのは元々既存メディアで鍛えられてきた即戦力人材だ。未経験の新卒をゼロから組織として取材現場で鍛え上げる体制が新聞ほど構築されているところは寡聞にして知らない。

たまにネット媒体で書き続けてきたという若手ライターの原稿をアゴラでも何人か見てきたが、正直なところ、新聞社の5年目クラスと比べ、記事のクオリティの差は(人によるが)あると認めざるを得ない。新聞社伝統のパワハラ的な育成はよくないと思うが、徒弟的に厳しく鍛えられる環境に一定期間、身を置いた場合との差は歴然としている。

野球と同じく「裾野」を広げる必要

もちろんブログ論壇が興隆して20年近く、既存メディアの記者経験なぞなくても際立った存在感を放つ書き手はあまた出ているし、アゴラでは何人も載せている。ただ、そうした人たちで、マスコミ系のメディアでも活躍していくのは、本業や学業で培った確かな専門的見識、あるいは際立った趣味など驚異的な才覚がある「異能者」「天才」が多い。

しかし世の中の多数派はゼネラリスト、凡人だ。野球が国民的スポーツなのは少年野球から大人の草野球まで裾野が広いから成り立っているのと同じで、書き手の裾野を広げ、幅広く才能をさがし、あるいは育て、後身を地道に育てていくこともまたメディアのベテランたちの責務に思う。

6月から副業からプロをめざすライタースクール(2か月クール)を個人的に開講したのはそうした思いからだったが、1期生7人がまもなく卒業し、8月からの2期目を前に、新聞各社の危機的な部数減を聞くにつれ、コロナによるメディア界の転機到来を肌で感じている。