「おかねのけいさんできません」障害に対する理解を!

田中 紀子

7/31、自治会に強要されて自分の障害について書かされた男性が自殺し、遺族が提訴したという衝撃的なニュースが飛び込んできました。

記事によると、大阪の市営住宅の自治会の班長を決めるにあたって、知的・精神障害がある男性が、障害を理由に班長の選考から外して欲しいと求めた所、「特別扱いはできない」とのことで聞き入れられなかったとのこと。その後の話し合いで、自分の障害について書面に書けと言われ、それを他の住民に見せて説明するとのことでした。

男性は、自治会の指示に嫌とは言えず、両親が公開した書面によると(一部抜粋)

しょうがいか(が)あります
○2500えんは ふうとうにいれれます
×おかねのけいさんはできません
○1たい1ではおはなしできます
×ひとがたくさんいるとこわくてにげたくなります

などとできることには○、できないことには×をつけて書きだしたようです。そして「言いたくないことまで根掘り葉掘り聞かれた。さらしものにされる」と落胆していたとのことなのです。

この記事がUPされると、SNSで著名人も意見を発信されました。

ALS嘱託殺人もそうですが、障害がありできないことがある人に対して、そうではない人が上から憐れんだり、さげすんだり、甘えだと批判したり、平等ではないと憤ったり、そんな無理解がいまだに解消されないことに暗澹たる気持ちになります。

社会の中には色々な人が内包され共存していくべきで、ある価値観の人からは無価値に思えるものでも、別の角度からみたらそれは凄く価値のあるものだったりするわけです。だから役職にあったり、お金があったり、権力があったりといった力を持った人から見える側面だけで、なんでも決められたら困るわけですよね。

しかもそうやって社会からこぼれおちるような仕組みを作れば、逆に社会保障費は増大するし、生き伸びることができなくて自殺者が増えれば、人口は減少し、傷つく人が増え、結局は自分たちのクビをしめていく。

例えば私なんかは、依存症や精神疾患や、発達障害などを抱えている人たちが、仲間として沢山繋がっているので、こういう仲間達といると実に勇気づけられたり、元気が出たり、また創意工夫しながら助け合っていくことも、自分の居場所として安心できるんですよね。

ALSも発達障害も精神疾患も依存症も当事者からは実に言いにくいという現実があります。そのため余計理解がされにくい。どう対応して良いのかわからないし、人権への配慮もされない。生きていくことで精一杯で、お金もないし、発信力もない。

この自治会の人達も、自分たちの対応がまずかったなどと思ってもみないのかも知れません。むしろ自分たちは良かれと思ってやったのだと。知識さえあれば全く別の対応ができたのかもしれません。

今回の事件が一過性のひどい人達のひどい所業で終わらされることなく、障害や病気を抱えた人達への理解や、サポートが進むような予算や政策がとられることを望みます。

安楽死の法案を整備するよりも、病気や障害を抱えた人が「死にたい」「死しか解決策がない」と思うような社会を変えることが先だと思うのです。

良かれと思って、人を自殺にまで追い込むようなことのないよう、国民に知識の底上げをして欲しいと心から願います。