終戦から75年を迎えた昨日、靖国参拝やコロナ関連の報道に隠れて目立たなかったが、読売新聞の朝刊が福島ローカル発で、地元の大熊町の吉田淳町長と双葉町の伊沢史朗町長が同席して独占インタビューに応じ、処理水問題について国に決断を迫るという注目すべきコメントを述べたと特報した。
東京本社発行の全国版では要旨のみ第3社会面に掲載するという地味な扱いだったのが非常に残念だが、詳細版は福島版で大々的に掲載され、ネットでも数日間は読むことはできそうだ。
インタビューは11日に行われ、これまでの経緯を振り返っているが、焦点の処理水問題に対する両町長のコメントはこれだ(太字は筆者)。
処理水の扱いや処分方法については、2人は「我々が判断するべき問題ではない」とした上で、吉田町長は「トリチウムを含んだ水は世界中の原子力施設から排水されている。福島第一原発から出る処理水との差は何なのか、漁業にどう影響を与えるのか、与えないのかを理解してもらうことが重要だ」と指摘。伊沢町長は「海洋放出について何が風評で何が問題なのか具体的にわかってきている。問題をクリアできる判断を国が責任と覚悟を持って行うべきだ」と語った。さらに両町長はそろって「県も方向性を示してほしい」と注文をつけた。
処理水への海洋放出方法に関して「判断すべきでない」と慎重な物言いをしながらも、全体を読めば、処理水タンクの保管継続に反対するなど、国に決断を促しているのは明らかだ。4月に政府が業界団体・地元企業の代表者とともに、地元の市町村長9人に対して意見をヒアリングした際には、2人を含む自治体側は処分方法の是非について明言しておらず、そこからすれば踏み込んでいる。
県内の市町村議会で海洋放出反対の意見書を決議する動きが相次ぎ、東京新聞や毎日新聞などの左派系メディアは、そうした反対の意見ばかりをクローズアップしているが、メディアも結託する地元での同調圧力にめげず、原発立地自治体でもある2人の町長は一線を画し、決然とした思いを述べた格好だ。
そして、風評被害への懸念を強く示し、世論の動きを慎重に見極めていた2人の町長の動向を粘り強く追い続け、同席しての独占インタビューを企画・敢行した読売新聞福島支局の記者は、この問題に一石を投じるための熱意と覚悟があったのだと十二分に感じさせる。
冒頭にも書いたように、全国版での地味な扱いが非常に残念だが、コトと次第によっては処理水問題を今後大きく動かす可能性を秘める「大スクープ」になるかもしれない。その場合は、特ダネ記者に送られる賞も、編集局長賞ではなく、社長賞で報いるべきと言いたい。
余談ながら福島支局のいまの支局長がどなたかを調べてみたら、偶然にも私の社会部時代の尊敬する先輩だった。今回の記者もその薫陶を受けていたのだろう。世間の安易な空気におもねることなく、現場にあるリアルを見つめる。2人の町長が、地元世論との板挟みで苦悩し続けているところに、インタビューを説得し、その覚悟を引き出したであろうことは、福島には「もうひとつの世論」があることを可視化する上で非常に意義のあることだ。
この大スクープを生かすも殺すも、あとは安倍政権の決断次第だ。報道各社の支持率が軒並み低迷し、年内の衆院解散シナリオを含んでネガティヴな要素を打ち消したくなるところだが、2022年夏に処理水タンクの保管キャパシティは限界となり、仮に海洋放出をするにせよ、約2年の準備期間を考慮するとリミットに突入しつつある。
それにしても改めて思うのは、リアリストの中道右派メディアが、やはり不可欠なことだ。安倍政権の長期化に伴い、リベラルメディアの左傾化、反権力ありきのロジックに拍車がかかり、メディア業界の空洞化が進んだところから立て直さなければならない。近年、マスメディア化が進むネットメディアも同様になりつつあり、我が古巣はあまりデジタルに積極的ではないと言われる中で、今回の処理水を巡る特ダネは、非常に考えさせられ、個人的にも実に刺激になった。