8月15日は、日本には敗戦の日だが、韓国にとっては「光復節(解放記念日)」だ。誰から解放されたかといえば、それは日本からだし、どのように解放されたかといえば、米軍が日本軍を負かしたからだ。元い、中国国民党軍は30年代から、ソ連赤軍もポツダム宣言(7月26日)の2週間後(8月8日)からほんの僅かばかり日本と戦ったから連合国(United Nations)軍というべきか。
その前日の14日、韓国の文在寅大統領は忠清南道の国立墓地で開かれた「日本軍慰安婦被害者の日」に送った祝辞映像で、「政府はおばあさんたちが『これでいい』と言う時まで、おばあさんたちが納得できる解決方法を探す」とし、「問題解決の最も重要な原則は『被害者中心主義』」だと述べた(参照:中央日報)。
記事によれば、8月14日は91年に金学順が慰安婦だったと証言した日。文政権は17年12月にこの日を国家記念日にした。だが、金学順には、自分は母親に妓生に売られ、養父とされる者に慰安所に連れていかれた、と当初に証言した事実がある。金学順も故人だし、「おばあさんたち」も近い将来に「これでいい」と言えなくなる高齢者だ。文の言は、未来永劫この問題は生き続けるとの宣言とも聞こえる。
今や慰安婦問題は、その発端となった吉田清治の済州島慰安婦狩りがほら話だったことや、吉田証言を利用した朝日新聞の執拗な反日報道の欺瞞性を、朝日自身が認めて既に久しい。また先頃は、トランプに抱き着いた元慰安婦の大御所が、この問題を針小棒大化した正義連(旧挺対協)の欺瞞や不正を暴露し、与党の国会議員であるその頭目が取り調べを受ける憂き目に遭っている。
それもあってか、14日の中央日報は斯く述べる文在寅の援護射撃をするかのように「『朝鮮人慰安婦30人、4000人が強姦』旧日本軍の供述を公開」との見出し記事を掲載した。公開したのは、「韓民族の古代史を奪おうとする中国の「東北工程」に積極的に対応し、日本の歴史歪曲と独島領有権主張に対抗するため」06年に政府教育部傘下の公共機関として設立された「東北アジア歴史財団」。
その「供述」は、終戦で中国の捕虜になった「旧日本軍人が書いた自筆供述書」の一部で、中国の中央档案館(公文書館)が出版した資料集にあった。中国に捕われた日本兵の供述と聞くだけで、大方の日本人はそれが強迫や拷問による死の恐怖の下でなされた、およそ事実とかけ離れたものと解する。が、「青瓦台が任命する理事長は閣僚級」で「博士級の研究員だけでも46人を保有する組織」である同財団は以下のようなお粗末な内容にすら、そう思わないようだ。
1941年関東軍司令部の命令を受けて軍慰安所を設置する時、中国人家屋を略奪して軍慰安所にした。その時、朝鮮人女性30人を旧日本軍の「慰安婦」として強制的に営業させ、旧日本軍部隊軍人4000人の強姦・殴打暴行の対象にして性病で苦しませただけでなく借金まで加重させた。(慰安婦を)奴隷のように虐待し、慰安所設立以来1942年10月まで50回にわたって性暴行した。
この短い記述だけでも明らかにおかしな点がいくつもある。最たるものは「(慰安婦を)性病で苦しませた」との記述。日本軍が民間業者に慰安所を開かせた目的は、民間女性への強姦と兵士の性病蔓延を防ぐためだ。特に第一次大戦で強姦の限りを尽くした独軍やソ連軍には、部隊を組めなくなるほど性病が蔓延した(勿論、被害女性にも)。そこで第二次大戦の独軍や日本軍は「戦場の飾り窓」たる慰安所を設けさせて性病を予防した。
次に「(慰安婦を)強姦・殴打暴行の対象にして」との記述。性病罹患もだが、慰安婦に「殴打暴行」して怪我でもさせた日には、そも慰安所が成り立たない。そんな一文の得にもならないことをするはずないのは、普通の思考ができる者なら解ること。日本兵は極めて律儀であり、慰安婦を大事にもした。米軍がビルマで保護した朝鮮人慰安婦の証言に、兵士とのピクニックや恋愛感情の芽生え、高額な貯金を国に送金した話などがあったのは知られた事実だ。
最後は逆の意味でおかしい話。まず慰安所にする家屋を軍が接収するのは当たり前のこととして、その開設が41年とすれば、42年10月までの1年か1年半の間に「50回」というのは、むしろ少な過ぎるのではないかということ。済州島にまで出向いて吉田証言のウソを暴いた秦郁彦に「慰安婦と戦場の性」(新潮選書)という労作がある。
その390頁に、(慰安婦に対して)「本人の意思に反する強制」があったと主張する吉見義彦が、「国内では一日数人ぐらいの接客なのに、一日に二十人、三十人が珍しくなかった」と述べ、その過酷さは「まさに軍要請奴隷というほかない」と結論付けているが、本当だろうか、と秦が疑問を呈する記述がある。吉見の主張に基づけば、「50回」などほんの2~3日のことになり、これでは稼げないとむしろ慰安婦から苦情が出るのではなかろうか。
先の中央日報によれば、「東北アジア歴史財団」は当初こそ支持を得たが、今では「組織の活力が落ち、研究が惰性で行われている」との批判がある。特に「日本と中国の歴史歪曲を厳しく指摘する論理の開発が十分でないと学界に叱咤」され、例えば、「日本が植民地支配を正当化するために捏造した任那日本府説に痛烈に反論できなかった」ことなどに、「在野の史学者が、国民の税金で運営される財団が植民史観の本拠地、と直撃弾を飛ばした」そうだ。
そこで今回、この中国の中央档案館の資料集に飛びついたのだろう。が、筆者の如き在野の素人研究家にすら容易く論破されるようでは、文在寅を援護射撃するどころか、むしろ後ろから政権を撃つ某国与党の某総裁候補の体だ。この財団は青瓦台の獅子身中の虫と言われかねまい。
その中央日報に12日、鳩山由紀夫は「元首相・東アジア共同体研究所理事長」の肩書で寄稿し、次のように述べている。彼もまた日本の獅子身中の虫の一人と言えよう。
私は、日本には韓国を植民地支配したという歴史的・道義的な責任があると信じ、様々に発言してきた。その思いは今も変わらない。しかし、植民地支配が終わってから75年が経過し、日韓双方で新しい世代が育っていることもまた事実である。このまま日韓関係を悪化させ、それを「もう一つの歴史」として日韓の新しい世代に引き継ぐような愚は、決して犯してはならない。それは日韓双方に等しく科せられた責任だ。