刑事事件の真相解明と民事訴訟 ~ 藤井浩人元美濃加茂市長の「冤罪との戦い」は続く

全国最年少市長だった藤井浩人氏が、2014年6月、市議会議員時代に浄水設備業者の社長のNから、2回にわたって現金合計30万円を受け取った受託収賄、事前収賄、斡旋利得罪の容疑で逮捕・起訴された「美濃加茂市長事件」。

一貫して30万円の現金の授受を全面否定し、潔白を訴えた藤井氏は、公判での戦いを続けながら市長職を続け、名古屋地裁の一審では、贈賄供述の信用性を否定し、虚偽証言の動機を指摘する無罪判決を勝ち取ったが、二審の名古屋高裁では、まさかの「逆転有罪判決」。一審の贈賄証言を書面だけで「信用できる」とする不当判決に対して上告したものの、最高裁は、「適法な上告理由に当たらない」と三行半判決で棄却、刑事事件は有罪が確定した。

『青年市長は司法の闇と戦った 美濃加茂市長事件における驚愕の展開』

「三行半の例文」の上告棄却決定が届いたのを受け、藤井氏は、市長辞任の意向を表明したが、我々弁護団に対して、

市長は辞任しますが、私が現金を受け取った事実はないという真実を明らかにするため、今後も戦い続けます。とれる手段があるのならば、あらゆることをやっていきたい。

と述べて、自らの潔白、無実を明らかにするために戦い続けていくことを明確に宣言した。

その藤井氏は、冤罪を晴らすべく、贈賄供述者と、贈賄供述者に検察官が証言させたい一審証言が詳細に書かれた判決書を差し入れて控訴審での証人尋問を妨害した贈賄供述者の弁護人だった弁護士に対して損害賠償を請求する民事訴訟を、2018年3月に提起した(【美濃加茂市長事件の真相解明に向け、民事訴訟提訴】)。

このような裁判の経過や、各裁判所が示した判断を踏まえて、民事裁判で、主張立証が尽くされ、公正な審理が行われ、民事裁判官の判断が示されれば、贈賄証言が虚偽だという真実が明らかになる可能性は十分にあると考えて提訴したものだった。

「刑事裁判を受けた実感」すらない「闇打ち」による有罪

この事件のように、「控訴審逆転有罪判決」で被告人の有罪が確定した場合、その経過は、実質的に刑事裁判における「三審制」の原則が機能したとは言い難い不当なものとなる。

刑事裁判では、一審裁判所は、贈賄証言の信用性について、贈賄供述者の証人尋問や被告人質問を自ら直接行ったうえで、「贈賄証言は信用できない」として無罪を言い渡したが、控訴審裁判所は、証言や供述の書面上の記録だけで「贈賄供述は信用できる」と判断して一審判決を覆した。そして、上告審は、「上告理由に当たらない」として上告を棄却し、収賄の事実の有無についても、贈賄証言の信用性についても判断は示さなかった。

このように、「控訴審での逆転有罪」で被告人の有罪が確定した場合、その経過は、実質的に刑事裁判における「三審制」の原則が機能したとは凡そ言い難い不当なものとなる。

一審では、検察官と弁護人との間で攻撃防禦が行われ、裁判所が「アンパイア」として、争点の一つひとつについて判断し、そのうちの一つでも検察官の主張が認められない場合には、「犯罪の証明がない」として無罪となる。

それに対して、検察官が控訴した場合の審理の対象は「一審無罪判決」だ。控訴審は、一審判決を事後審査する裁判であり、控訴の理由について、検察官が控訴趣意書を提出するが、控訴審裁判所は、「検察官の主張を認めなかった一審判決」を独自に審理・判断する。検察官と弁護人の攻撃防禦という一審の構図とは異なる。

控訴審裁判所は、検察官の主張に制約されず、思う通りに一審判決を審査し、自由自在にその判断を覆すことができる。争点や裁判所の問題意識が明確化されることもない。それは、被告人・弁護人の立場からすると、「不意打ち」を超えて「闇討ち」に近いものだ。

一審では、犯罪の成否について複数の争点がある場合、そのうちの一つでも検察官の主張が認められないと、無罪となる。控訴審では、一審判決が検察官の主張を否定した争点について審理し、もし、控訴審裁判所が、その争点について一審の判断を覆した場合、一審判決では判断されなかった他の争点についてどのように判断するかは、控訴審裁判所の自由になってしまう。他の争点について弁護人側に反論の機会が全く与えられることなく、一方的に有罪方向の判断が行われ、「逆転有罪」に至ったのだ。

このような、控訴審裁判所の、ほとんど「闇討ち」のような一方的な認定・判断で有罪判決を受け、その反論・反証の機会が与えられなかった藤井氏にとって、冤罪を晴らすために「とれる手段があるのならば、あらゆることをやる」として取り組んだ第一歩が民事訴訟の提起だった。

民事訴訟一審判決が持ち出した「再審制度による制約」

民事訴訟は、2年近くにわたる審理で、昨年10月から12月にかけて、被告贈賄供述者、被告弁護士、原告の本人尋問、贈賄供述者の妻・妹等3人の証人尋問が行われて弁論は終結、今年4月に言い渡される予定だった判決が、コロナ禍で延期され、8月5日に、判決が言い渡された。
判決は、「請求棄却」であった。
判決は、贈賄供述者の被告に対する請求に関して、以下のような一般論を述べた上で、「本件での贈賄供述者の証言(供述)が虚偽であることが明白であるといえない」として、贈賄供述者に対する損害賠償請求を棄却した。

刑事裁判手続において有罪判決を受け、それが確定した被告人が、刑訴法の用意する再審制度を離れて、事実は無罪であるとして、当該手続において証人等として関与した者に対する(不法行為等に基づく)損害賠償請求を行うことを無制限に認めると、同法が再審制度を設けている趣旨を実質的に没却するおそれがあるから、当該被告人が上記のような関与者に対して上記のような損害賠償請求を行うことができるのは、当該関与者の行為について偽証罪等の有罪判決が確定したり、(そのような判決がなくとも)その者が故意に虚偽の証言等をしたりしたことが明白であるなど、公序良俗に反するような不正行為の存在が明白に認められ、かつ、当該不正行為によって被告人が有罪とされたといえるような場合に限られると解するのが相当である。

要するに、刑事事件が有罪で確定した被告人が、無罪だとして、証人として関与した者に対する損害賠償請求することできるのは、刑訴法の再審制度が設けられている趣旨との関係で、「偽証で有罪判決が確定している場合」、「故意に虚偽の証言等をしたことが『明白な』場合」という、「再審事由」と同等の場合に限られるというのだ。

しかし、藤井氏が提起した訴訟は、刑事事件手続の中での贈賄供述者等の不法行為について民事上の損害賠償を請求しているものだ。原告の有罪が確定している刑事事件において贈賄供述者が証言した内容について当該刑事事件で刑事裁判所が行った判断と、民事事件で原告が主張・立証した内容について、民事法による不法行為と損害賠償責任の存否について行う民事裁判所の証拠評価、事実認定とは、別個のものである。

今回の民事一審判決が、それ自体が、独立した制度として位置づけられるべき民事訴訟を、刑事の再審制度との関係で制約されるなどという「理屈」を持ち出したのはなぜか。

民事一審での審理の経過からは、予想し難かった結論

被告の側の訴訟対応は混乱を極め、立証段階では、相当な時間を費やして現被告の本人尋問に加え、3人の証人尋問も行われた。それらの供述・証言は、原告の請求を裏付けるものだった。

贈賄供述の信用性について、一審判決は、2回目の現金授受を先に供述し、その後に初回の現金授受を供述していること、同席者の有無についての供述が変遷していること等から、「自らの経験した事実を語っているのか否か疑問と言わざるを得ない」としたのに対して、控訴審では、「必ずしも不合理とは言えない」とし、見解が分かれたのであったが、この点について、心理学的分析の結果「実際の体験記憶に基づく供述ではない可能性が高い」とする認知心理学者の供述鑑定書が提出されている。

刑事の控訴審判決は、被告人にとっては全く「不意打ち」と言える多くの誤った認定・判断をしていたが、上告は「憲法違反、判例違反の上告理由に当たらない」として棄却されたので、控訴審の判断の誤りは、刑事訴訟では判断されていかなかった。民事訴訟では、そのような控訴審の判断の誤りを、さらに肉付けして主張・立証した。

それに対して、被告の贈賄供述者側は、控訴審判決の認定・判断を繰り返す以外に、反論は全くできていない。
こうした審理の内容に加え、裁判所からの補充尋問で精神的損害の内容についての質問があり、請求が認められる方向ではないかと期待をしていた。

しかし、結局、民事一審判決は、原告の訴訟提起を受け、民事訴訟の審理は十分に行ったのに、判決を出す段階に至って、刑事事件の確定判決と異なる判断を行うことに抵抗を覚え、「刑訴法の再審制度が設けられている趣旨との関係による制約」というあり得ない理屈を持ち出して、原告の請求を棄却してしまったのである。
当然のことながら、藤井氏は、この一審判決に対して、控訴を行った。

果てしない「冤罪との戦い」

謂れのない冤罪で、有罪判決を受けて処罰された者にとって、冤罪との戦いは、生涯にわたり、果てしなく続く。
藤井氏は、今年12月に懲役1年6月執行猶予3年の有罪判決確定から3年を経過し、公民権停止も終わる。選挙にも立候補できるようになり、政治家として復帰する日も遠くない。

「収賄事件のことはもう忘れた方がいい」と助言してくれる支援者もいる。しかし、藤井氏は、「私は冤罪との闘いを続けます」と明言している。

彼にとって「冤罪で逮捕・起訴された全国最年少市長」であることが、政治家としての原点とも言える。それを覆い隠して、市長職をめざすことはできない。ましてや、冤罪の司法判断を受け入れ、事実に反して収賄の罪を認め、「うわべだけの反省の弁」を述べることなどできるわけもない。冤罪との戦いは、政治家としての彼のアイデンティティだと言える。

藤井氏は、刑事事件の上告棄却を受けて市長辞任の意向を表明した際、弁護団に対して、「市長は辞任しますが、私が現金を受け取った事実はないという真実を明らかにするため、今後も戦い続けます。とれる手段があるのならば、あらゆることをやっていきたい。」と述べて、自らの潔白、無実を明らかにするために戦い続けていくことを明確に宣言していた。

有罪判決確定後の冤罪との戦いの第一歩が、贈賄供述者等に対する民事訴訟提起だった。

刑事事件の冤罪は、刑事訴訟制度の中で解決すべきという意見もあるだろう。
しかし、「控訴審逆転有罪判決」による有罪確定は、先進各国の中でも特異な「無罪判決に対する検察官上訴」を許容する制度によるものであり、

何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。

とする憲法39条の違反の疑いすらある。「三審制」の下での刑事裁判を受けたとは言い難い、最も理不尽な冤罪の構図によって有罪が確定したものだ。しかし、そのような経過であっても、一度、有罪が確定すれば、日本の刑事訴訟における再審のハードルは著しく高い。

そのような絶望的な状況の中で、民事訴訟という刑事訴訟とは独立した訴訟制度に救いを求めるのは、ある意味では、法的には最も正当なやり方と言えるだろう。その民事訴訟で、今回の民事一審判決は、刑事訴訟の再審事由と同等の要件が充たされなければ請求は認められないとして、その道を閉ざそうとしているのである。

藤井氏の冤罪との戦いは、東京高裁に舞台を移して、今後も、続く。引き続き、全力で彼をサポートしていきたい。