大坂なおみ選手の「抗議マスク」の是非

長谷川 良

プロテニスの全米オープン大会は当方にとって最高の結果で幕を閉じた。男子シングル決勝最終日の13日、オーストリアのドミニク・ティームがフルセットの末、ドイツのアレクサンダー・ズべレフに逆転し、4大メジャー大会を初制覇した。

それだけではない。それに先立ち、女子シングル決勝で12日、大坂なおみがベラルーシのビクトリア・アザレンカを2対1で破って2年ぶり、2回目の優勝を果たしたからだ。当方が長年居住するオーストリアのテニス選手が勝ち、当方の母国・日本の女性選手が勝ったのだ。男女とも贔屓の選手が優勝するなど人生ではめったにないことが起きたのだ。いずれにしても、ドミニク・ティーム選手と大坂選手には 心からおめでとうをいいたい。

ここで書きたいテーマは少々厄介な問題だ。プロのスポーツ選手は競技場、ピッチ、グランドに一歩、足を踏み入れた瞬間、トレーニングで鍛えたその技を遺憾なく発揮することに集中し、勝利を目指す。その試合を見に来たファンにとっても同じだろう。そのスポーツ選手が人種差別に抗議して、人種差別で犠牲となった黒人の名前を記したマスクを着けてアピールした場合、問題はないだろうか。ズバリ、大坂選手の黒人差別への抗議マスクの着用だ。

(大坂なおみ選手Twitterから:編集部)

大坂選手が優勝した大会は全米オープン大会だ。米ミネソタ州のミネアポリス近郊で5月25日、警察官に窒息死させられたアフリカ系米人、ジョージ・フロイドさん(46)の事件をきっかけに、全米各地で黒人差別に抗議するデモが行われ、一部の抗議デモは暴動化し、新たに黒人が犠牲となる事件が起きている。

そこで大坂選手は全米オープン大会中、黒人差別で犠牲となった犠牲者の名前を記したマスクをして登場。世界が注目する全米オープン大会で人種差別に抗議する姿勢をアピールしたわけだ。その動機は素晴らしいが、果たしてテニス大会で人種差別に抗議する必要があるだろうかだ。黒人差別に抗議する狙いから犠牲者名を記したマスクを着用することで自身のファイテイング・スピリットを一層駆りたたせることは出来るかもしれないが、スポーツの試合に政治的な言動を披露することはスポーツの世界では本来、認められていない。

大坂選手の試合を見に来たファンは、活躍する選手の姿とそのプレーを見るために高いチケットを払ってきたのだ。人種差別に抗議する大坂選手を見にきたわけではないだろう。人種差別に抗議するのが目的ならば、抗議デモ集会やさまざまなイベントが開催されている場でアピールすればいいだろうし、インタビューに応じてその場で自分の考えを訴えることが出来る。

大坂選手の黒人差別への抗議は全米オープン大会だから大きな批判を受けることなく、好意的に受け取られたのだろう。ウインブルドン大会だったら、それだけで出場停止を受けていただろう。ウインブルドンではユニフォーム(白色)からシューズまで全て主催者側によって決められている。選手が勝手に自分のスポンサーの宣伝が記されたユニフォームを着ることは出来ない。もちろん、スポーツとは関係がない政治的言動は許されていない。

▲1968年メキシコシティ五輪大会で表彰台でブラックパワー・サリュートをするスミス(金)、カーロス選手(銅)

スポーツの祭典、五輪大会の憲章には政治的、宗教的、人種的な意思表明を禁じている。1968年メキシコシティ五輪大会で200m競走の覇者トミー・スミスと3位のジョン・カーロスがメダル授与の表彰台でブラックパワー・サリュート(拳を高く掲げ黒人差別の抗議する示威行為)をしたことは有名だ。両選手はその直後、処罰を受けている。

プロ・サッカーの世界でも同じだ。ピッチでイスラム教徒の選手がゴールした時、アラーに感謝する仕草が見られたが、ピッチ上では本来、宗教的言動は禁止されている。キリスト教徒の選手でも同様だ。ブラジルのナショナルチームが勝利した時、多くの選手が十字架を切り、天を仰いて祈りを捧げる姿が過去、多く見られた。政治だけではなく、宗教的な言動も禁止されている。

大坂選手の黒人差別抗議への行為は、ささやかな行為だが厳密にいえば、違法行為だ。メディアが批判しないのは、TVやニュースで黒人が警官の暴力によって、殺されるシーンやそれに抗議するデモが巻き起ている地元の米国で開催されたからだ。主催者側ばかりか、ファン側にも黒人差別と違法な警官の暴力は頭に焼き付いているから、大坂選手の言動に理解と応援があったのだろう。

もう少し穿った見方をすれば、黒人差別に抗議する大坂選手を批判すれば、「なぜ批判するのか」と多くの米国人から反論されるのが目に見えているからだろう。米国では人種差別抗議に関連する言動には神経質な人が多いだけに、大坂選手の今回の言動を批判できない、といった雰囲気があったはずだ。

人間は限りなく政治的であり、宗教的な存在だから、どのような状況でもそれらが飛び出すことはあり得るが、規則である限り、やはりスポーツの場ではそれらを恣意的にアピールすることは避けるべきだろう。

大坂なおみ選手の優勝を喜ぶ一方、同選手のようにスポーツの世界で政治的なアピールをする選手が出てくるのではないか、と懸念する。その意味で、大坂選手の今回の黒人差別抗議に関する言動の是非をもう一度明確にする必要があるのではないか。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年9月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。