「石破安全保障法制担当大臣」という「歴史のif」
自民党総裁選が決し菅義偉氏が党総裁、そして内閣総理大臣になる。
一部オールドメディアで「国民世論第1位」と紹介されていた石破茂氏は得票数がなんと最下位で終わった。まさに「政界は一寸先は闇」である。それにしても石破氏はどうしてここまで凋落してしまったのだろうか。「政治素人」の筆者に永田町の政治力学はわからない。
しかし、そんな筆者でも石破氏の「転機」を感じたのは集団的自衛権の限定行使を容認した、いわゆる安全保障法制を巡る氏の対応である。
石破氏は安倍首相から安全保障法制担当大臣の就任を要請されながらも、これを辞退した。
氏は安全保障政策に精通し国会答弁能力も高く、過去に防衛庁長官として有事法制の成立に尽力した。日本の安全保障政策は国会審議で停滞、混乱するのが常だから石破氏の国会答弁能力の高さは貴重である。
だから安倍首相による安全保障法制担当大臣への就任要請も政局的要素が皆無とは言えないがやはり石破氏の能力を評価しての話ではなかったか。
筆者も安全保障法制担当大臣には石破氏が就任するものと思っていた。「政治素人」の筆者ですらそう思ったのである。
周知のとおり安全保障法制の国会審議は大変、混乱した。混乱の直接的原因は自民党による参考人の人選ミスだが、これを差し引いても「石破安全保障法制担当大臣」ならば国会審議も大分落ちついただろうし、変わらず混乱したとしても石破氏の政治的威信は著しく高まっただろう。
そしてこの政治的威信を背景に自民党が大敗した2017年の都議選直後に安倍首相に辞任を迫ることもできただろうし、同年9月に起きた民進党の分裂騒動にも小さくない影響を与えることもできたのではないか。
この「石破安全保障法制担当大臣」という「歴史のif」は色々な想像を掻き立ててくれる。
「ただの軍事オタク」になった石破茂
石破氏の表す言葉として「軍事オタク」がある。否定的なニュアンスも含む言葉だと思うが氏はまんざらでもなかったように思える。
軍事オタクという言葉に動揺しない石破氏の姿は正真正銘の政治家である。「自分は知識をひけらかすだけで終わっていない」という自信がみえる。実際、氏は防衛庁長官として活躍した。
しかし、安全保障法制を巡る氏の対応はリスクを避け知識をひけらかすだけの軍事オタクだった。そして今なお軍事オタクの状態にある。
だから自民党総裁選に出馬した石破茂とは政治家ではなくただの軍事オタクである。ただの軍事オタクが政党代表、内閣総理大臣になれないのは当然だろう。
端的に言えば石破茂は勝負所を間違えた、彼にとって勝負所は総裁選ではなく安全保障法制だったのである。
石破は政治家にとって「決断」がいかに重要なのか身をもって証明したと言えよう。
もちろん、歴史に名は残らない。