菅義偉・新首相の経歴について、野党系メディアは、「苦労人」というのは嘘であるというネガキャンペーンを繰り広げている。
「あの時代に秋田県の農村で高校に行ったのだから高校に行けた人を庶民とはいえない」「戦前に満鉄に務めていてお手伝いさんもいたのだから特権階級だ」「父親は町会議員だし姉は大学に行っている」とか言いたい放題だ。
しかし、庶民だというのは、歴代の首相のなかで相対的にということでいえばいえる。別格的存在の田中角栄以外では、もっとも庶民出身といってよい一人だというのは間違いあるまい。
それと並ぶ存在は、石材店主の子の広田弘毅、自衛隊員の子の野田佳彦、漁師の家の村山富市あたりだ。それ以外は、いずれも、士族や地方名望家の出身だ。
現在の政界でも閣僚になれるのは、首都圏の大学出身者にほぼ限られている。地元の一流国立大学に入れなかった場合に、東京の私大に躊躇なく行けるかどうかが庶民かどうかの境界線でないかと思うし、そういう意味では菅首相は「庶民」出身といっていいと思う。
しかし、本当のところ菅首相の青年時代はどうだったのか、国民も知りたいところだ。そうしたところ、今週発売の「週刊朝日」が10年ほど前に両親にインタビューした記事を載せている。
それによると、こういうことらしい。
菅首相は、高校時代、あまり勉強をしないで、東京に「集団就職」したと母親はいっている。「集団就職」という言葉は中学卒の場合に典型的に使われるので、「集団就職」というのは嘘だという人もいるが、それは勝手な解釈だ。
当時は、県が中心になって大都会での就職先を斡旋し、団体列車を仕立てて上野駅に送り届け、就職受け先が迎えに来て用意した住まいに案内するといったことが行われており、そういうやり方で菅義偉少年も東京に出てきたのではないか。
上京費用だって団体扱いでないと高価だったし、自分で上野駅から就職先にたどりつくのも不安だったはずだ。
ところが、菅義偉少年は1か月ほどで秋田に帰ってきたそうだ。そして、政治家か弁護士になりたいと北海道大学進学を目指すのだが、あまり勉強もしなかったので合格できなかったと記事はしている。
そして、父親からは馬鹿にされて、進学を諦めて農家を継げといわれ、本人はふてくされて鮎釣りばかりしていたという。そして、何も告げずに友人たちの前から消えて上京し、法政大学に入ったらしい。
そのとき法政大学の入学費用を誰がどのように出したのかは不明だが、常識的に自分でつくるのはかなり難しいだろうから、実家の誰かとか知人が工面してくれたのかもしれない。ただ、父親が納得しての話ではなかったのだろう。
たしかなことは、菅氏の実家が大学へ行く費用を出せなかったかどうかは別として、中途半端な大学へ行くくらいならやめて農業をやれという父親との葛藤があり、それを振り切るかたちで法政大学に入ったということだろう。
一部には夜間部という話もあったが、それは本人のいったことでない。ある席でそういう紹介を受けて、「夜間でないのですが」と述べたという話をその場に居合わせた人から聞いた。
学生時代には新宿騒乱事件のときにデモを見物にいったら巻き込まれて逮捕されて拘留された事件もあったようだ。
そして、生活はアルバイトをかなりしないと難しいなど、勉学に打ち込める環境でないまま卒業。普通のサラリーマンになったが、満ち足りないものがあって、政治家の秘書となり、そこで自分の進むべき方向を見つけ出し、そのあとは、フルスロットルで一直線ということらしい。
週刊朝日の記者は、両親などと会った後に本人とも会っているが、「親とはあまり話さない」「思い出したくない青春」「私は寄り道ばかりやってきた。寄り道が良かったんじゃないかな。いま思うと」というような言葉を聞いたという。
また、梶山静六氏を総裁選挙にかついだり、加藤の乱に与したり負け続けだった時期がある。安倍晋三氏を焚きつけて大勝負に出て官房長官になったのは何度目かの正直が実ったと言うことだ。
自民党が野党の時代には、大村秀章氏が愛知県知事に立候補したとき、党の決定に反して応援に駆けつけている。愛知トリエンナーレ事件で保守系からリコール運動に晒されている大村知事だが、菅首相とは盟友といってよいほどの関係だと永田町では言われている。
また、余計な理屈は嫌い、いきなり結論に行くようだ。そのあたりは、橋下徹氏とウマが合う由縁ではないか。