コロナ後ぼくらは並ばなくちゃいけないのか

WIREDが「ウイルスと共存する時代、わたしたちが「列に並ぶ」ことは新しい日常になる」という記事を掲載している。
ソーシャル・ディスタンスの確保が求められ、店舗やオフィスでは人数制限による行列が常態化している。行列はニューノーマルだという。
かんべんしてくれ。
https://wired.jp/2020/06/24/cities-reopen-expect-wait-lines/

これまでの人生、さんざん並んできた。
通勤電車、バス、券売機、遊園地の入口、有名ラーメン店。
並びたくて並んできたんじゃねぇ。仕方なくそうしていたんだ。
コロナでもっと並べだと?冗談じゃない。

離れろ。距離を取れ。それがコロナの教えのはずだ。
では並んじゃいけないでしょう。
多少、距離を取ったところで、並んでちゃ危ないでしょう。
金輪際、並ばないで済むように、身の回りを設計しましょうよ。

いっそ並ぶのを禁止してくれ。
チケットはスマホで。食券もスマホで。店のオーダーもスマホで。電車は時差で。
並ばないでコトが済むように、がっつりデジタルシフトをお願いします。

というのも、ぼくはじじいだから。
昨年、東京ゲームショウの入口で炎天下1時間並んで待ちまして、もう並んじゃダメだ倒れる勝てない負ける、と痛感したんです。ただ一人ぼうっと並んでるじじいを憐れむ若者たちの視線が痛かったのです。

ゲームなんて新しい世界はキミたち世代に任せるけれど、じじいだって参加したい、けど並ぶ体力がもうありゃせんわい。
「東京ゲームショウ2019、のぞいてきた。」
https://news.yahoo.co.jp/byline/nakamura-ichiya/20190921-00143500/

コロナをエサに、どこより高齢化社会の日本を並ばせるのは、弱みにつけこんで体力を奪おうとする世界の謀略なのだ。

そうでなくてもコロナは日本の敗北を露呈しました。
競争力は30年で1位から34位まで落ちました。
ITの対応は、遠隔勤務も遠隔教育も遠隔医療も電子政府も途上国並み。
バブル後、ずっと負け続けました。平成はずっと負けました。
平成元年に30歳だったぼくから上の世代全員の負けです。
自覚せよ。

で、コロナ後、どうする。
オン・オフのハイブリッドでニューノーマル。
ハイカラな言葉が飛び交っています。
だけど、ずっとできなかった構造改革。ずっとできなかった規制緩和。ずっとできなかったIT革命。
ずっとできなかった30年。
ニューなことができる気がしません。

少なくとも、30年の負け組には無理でしょう。できない理由を叫んで死んでいくのでしょう。
ぼくたちにできることは、退場です。
東京ゲームショウ入口、炎天下に何時間も並べる連中に任せることです。
キミたちに、任せます。

もう一つぼくがすべきことは、ぼくから上の世代を黙らせること。
黙れ、じじい。
黙れじじい運動。
できない理由、変えない理由を叫ぶ上の世代にくってかかろうと思います。

いま気がついた。
コロナ後に並ばせる作戦は、そういうことだったのか。
これまでの人生、さんざん並んできた世代に、余生もずっと外で並んでろ、ということか。
危険に身を晒して立っておれ、と。
それなら、わかる。

そういえば、コロナ下、マスクやトイレットペーパーに行列していたのは50代~60代だったそうで、若年層は並んでいなかったそうな。
それはテレビ情弱とネット情強の格差だよね。
キミたちは正しい情報を手にして、黙って、シニアを並ばせていたわけだ。

まぁ、それでいいのか。
じじい共、ぼくと一緒に、並ぼう。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2020年9月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。