エディ・ヴァン・ヘイレンの思い出

常見 陽平

亡くなったエディ・ヴァン・ヘイレンさん(70年代撮影:Carl Lender/flickr)

エディ・ヴァン・ヘイレンが亡くなった。癌だった。Twitterのトレンドには、彼の名前だけでなく、数々の名曲のタイトル、ライトハンド奏法などが入っている。癌であることはかなり前に公表されていたが、まさか。

エディの死について、個別メッセージをくれたのは、皆、札幌市南区藤野出身の幼馴染だった。そう、私の地元だ。当時、ヴァン・ヘイレンの音源をダビングし、聴いていた仲間たちである。

北海道弁では、めちゃくちゃだとか、激しいとか、すごいとか、そういうことを表現する言葉で「わや」という言葉がある。今の若い人は使わないだろう。「新しいヴァン・ヘイレン、もう、わやだ」とよく仲間同士で言ったっけ。彼のライトハンド奏法はいちいち衝撃的だったし。一方でポップなセンスも最高だった。「なまらかっかえ」と興奮した。

バンド、ヴァン・ヘイレンとしてではない、客演もナイスで。なんせ、マイケル・ジャクソンの”Beat It”のギターがナイスで。さらに、当時ヴァン・ヘイレンのボーカルだったサミー・ヘイガーと一緒に楽曲提供したシルベスター・スタローンの映画『オーバー・ザ・トップ』の主題歌も忘れられない。10代前半のころに、文字通り、テープが擦り切れるほど聴いた。

なんせ、彼といえば、右手で指板を押さえて音を出すライトハンド奏法、タッピングだが。ただ、リフやハミングバードピッキングなどもナイスだった。アーミングも彼の魅力の一つだ。

彼の80年代までのトレードマーク、ストライプの改造ストラトも魅力的で。布袋寅泰のギターの模様同様、当時、仲間たちはノートの端にその模様を真似して書いていた。

さらに、彼の隠れた(?)功績で、90年代以降はギター、アンプなどオリジナルモデルの開発にも関わっており。アニーボール、ピーヴィーなどから発表された、ストラト、レスポール、さらにはフロイドローズアームつきのギターのいいとこ取りのような、彼のモデルはナイスで。B’zの松本孝弘は、個人のシグネチャーモデルがあるにも関わらず、いまだにステージなどでも活用している。アンプなどの開発にも関わっており。LUNA SEA、X JAPANのSUGIZOなどのステージにも登場していた。

最後の来日は2013年だったか。「いつか観ることができる」と思っていたら、逝ってしまった。今後も、いくらピークをすぎていても、観たいアーティストは来日したら必ず観るくらいの姿勢が大事だと思った次第だ。

Van Halen
Warner Bros / Wea
1986-01-20


ちょうど、最近、彼やヴァン・ヘイレンのことを思い出していたのは、虫の知らせだったか。そういえば、以前、クルマのナンバーを5150にしていた。彼のアルバム・タイトルであり。先日、購入した新しいクルマも5150にしようとしたが、そのもともとの意味を妻が知り。却下された(ググってね)。いや、私はあくまでヴァン・ヘイレンファンとして、この数字を選ぼうとしたのだけど。

Van Halen
Warner Bros / Wea
1994-10-26


初めて自分のお金で買ったのは、これだったな。思ったより最初はおとなしいアルバムだと思ったけど。

よく邪道だと言われるけど、サミー時代が好き。中川淳一郎もそうで。サミー、来日しないかなとずっと話題になっていた。

また、偉大なロックスターが天国に。上手いというよりは、凄いギタリストであり。なんせ、華もあった。

ありがとう。


編集部より:この記事は千葉商科大学准教授、常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2020年10月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。