報道各社は12日、勝利宣言したバイデン候補と菅総理による同日午前の電話会談で、「バイデン次期大統領から、日米安保条約5条の尖閣諸島への適用についてコミットメントする旨の表明があった」との菅総理の談話を報じた。
バイデン発言は、総理からの「日米同盟は、厳しさを増すわが国周辺地域、国際社会の平和と安定にとって不可欠で、一層の強化が必要だ」、「自由で開かれたインド太平洋実現に向け、日米で共に連携していきたい」との呼び掛けに答える中でのものという(12日の産経)。
大統領選の帰趨は措くとして、バイデンが大統領になった日の国際社会への影響、特にとかくの噂がある彼の対中国政策は、トランプのそれが厳しいものであるだけに注目だ。特に尖閣は香港→台湾に続くドミノの隣に位置する要所、総理談話はバイデンを縛る。
その香港では11日、香港政府が民主派立法会議員4名を失格にし、野党議員15名が抗議の辞職をする異常事態となった。米国は「香港の自由抑圧に関与した関係者を引き続き特定し、制裁を科す」と述べ、英国も制裁声明した。が、国際社会の非難をよそに既成事実を積み上げる共産中国の前に、自由香港はすでに危篤に陥ったとせざるを得ない状況か。
一方、台湾は意気軒高だ。12日の聯合報は、海軍司令部が、米海兵隊と台湾海軍が高雄の左営軍事区で強襲艦や高速艇を使った潜入作戦の訓練を9日から4週間行うことを確認したと報道した。記事には米軍のStars and Stripes紙が米国防総省はこの件を否定した、ともある。
10日のStars and Stripesでは確かに、国防総省の報道官が、台湾の米海兵隊に関する報告は「不正確」で「米国は引き続き一つの中国の政策にコミットしている」と述べている。が、米国が否定しようと中国が知らぬはずはなく、事実なら牽制になる。
第一次危機
そこでこの先の台湾だが、ビスマルクに「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」との言もあるので、過去の台湾海峡危機を駆け足で振り返ってみる。紙幅の都合で95年のミサイル危機は割愛する。
第一次危機は、53年5月の人民解放軍による温州沖島嶼部の蒋介石軍攻撃で始まり、54年9月の金門砲撃や11月の大陳島爆撃などあった。そして55年4月のアジア・アフリカ会議の後、周恩来とダレス国務長官が別々に米中協議を排除しない旨を声明、8月の米中大使級会議で収束する。
日本の敗戦で再燃した国共内戦は、49年10月の中華人民共和国成立と蒋の台湾敗走によって大勢が決した。が、北は浙江省寧波沖から南は福建省南部の東山島まで、つまり台湾島の南北二つ分に相当する沿岸島嶼部では依然として両軍が攻防していた。
力不足を自覚する蒋は、米国の支援で力を蓄える目論見からアイゼンハワー政権に米華相互防衛条約を求めた。だがダレスは「内戦中の国家との条約は適用範囲を定められない」と54年12月まで応じなかった。蒋の「大陸反攻」に巻き込まれたくなかったのだ。
この時期に毛沢東が大規模な台湾解放-金門・馬祖を除く島嶼の個別撃破に終わった-に出たのは、一義的には、53年10月に停戦になる朝鮮戦争が小康し、負担が減ったことに由るだろう。
だが筆者は、朝鮮戦争勃発後(50年10月)にトルーマンが宣言した「台湾海峡の中立化」-毛の「台湾解放」と蒋の「大陸反攻」を同時抑制策-を、53年1月に就任したアイゼンハワー大統領が「第七艦隊を共産中国の盾に使うもの」と非難して解除したことが、毛を刺激したと思う。
結局、毛が目指した「台湾解放」は、蒋に、多くの沿岸島嶼は失わせた代償として米華相互防衛条約と金門・馬祖への米軍駐留を与え、毛には「金門・馬祖解放」に収斂して残された。武力による解放が西側のみならずアジア・アフリカ諸国やソ連に不安を与えたことも毛の予想外だった。
詰まるところ、毛の「台湾解放」と蒋の「大陸反攻」が、共に「二つの中国」を拒否し「一つの中国」に固執したことが、この結末を生じさせたといえる。
第二次危機
第一次危機で、台湾は本島と澎湖と大陸沿岸の金門と馬祖に固まった。が、解放軍は8月23日、福建沿岸の450門から約3万発の砲弾を金門に浴びせ500名を死傷させた。毛は同夜、「我々の要求は米軍が台湾から、蒋軍が金門・馬祖から撤退すること。さもなければ攻撃する」と述べた。
57年後半から準備された砲撃だった。理由は「大躍進」政策を生んだ毛の国際情勢認識の変化だ。11月にモスクワ*で毛は「東風は西風を圧す」、「15年でソ連は米国を追い越し、中国は英国を追い越す」、「核戦争で世界の半数が死んでも、残り半数が社会主義化すれば元に戻る」などと演説、西側への対抗心を露わにした。(参考:習近平の共産中国は「本卦還りの三つ子」)
しかし毛は、米軍の介入を招く金門上陸には慎重だった。米国も依然「大陸反攻」に巻き込まれるのを嫌った。だが蒋は、毛の攻撃は米華相互防衛条約で「大陸反攻」を縛る「明らかに固有の自衛権の行使である緊急的性格をもった行動の場合を除き」には当たらない、とダレスに強調した。
ダレスは「金門・馬祖などを保護するために軍を使用する権限が米大統領に認められている」、「金門・馬祖の防衛と台湾の防衛は密接に結びついている」と声明した。これには毛も、米海軍の金門接近を防ぐことは決めたものの、「新たな外交闘争を配合させる」と日和った。
9月の米中大使級会談(毛のいう外交闘争)までに、ダレスも蒋に、金門・馬祖の占領を続ける代わりに同所を「大陸反攻」の拠点にしないとの妥協を提案した。アイゼンハワーの懸念通り、米国世論は中国沿岸の島々のことで米国が戦争に巻き込まれるのを望んでいなかったのだ。
ところがフルシチョフはアイゼンハワー宛の書簡で、中国に対する核の傘を保証すると威嚇、人民日報が全文を掲載した。そこでダレスは9月の国連総会で、中国がこの9年間、台湾も金門・馬祖も統治していない事実と、だのに中国が武力でこの地域を制圧しようとすることの不当を力説した。
米国は台湾支援を強化し、中国が封鎖する金門への補給も実っていった。またソ連の停戦勧告もあった。こうして中国は米国との交渉を模索、情勢は大使級会談へと向かう。金門・馬祖解放の棚上げがむしろ「二つの中国」論を遠ざけると考えた毛は、「世界上にはただ一つの中国しかなく、二つの中国はない」との「台湾同胞に告ぐ」を以て、砲撃をやめた。
この先
こうして見ると、相互防衛条約があっても台湾による領土の実効支配や米国世論の動向がどれほど大事か知れ、尖閣の教訓になる。台湾の目下の頼みは台湾関係法という米国内法に過ぎず、国連加盟もしていない。が、台湾人の自決の念はさらに強固であり、コロナ禍の米国の世論も反中意識が高い。
過去の危機では、朝鮮戦争参戦や大躍進政策による疲弊で中国の経済力や解放軍の力が削がれていたこともあるが、やはり米国の底力を前にした毛や周の賢明な自制やソ連の慎重さが大怪我を防いだと思われる。さもなければ米国に全面戦争で潰されていた可能性が高い。
毛沢東を超えようとしているらしい習近平には周恩来も共産ソ連もない上、毛の深謀遠慮や懐の深さ、賢明さを習が備えているようにも思えない分、懸念はある。が、米国にとって台湾が中国の抑えとして不可欠である以上、習も武力行使はしまいと歴史は語っている。