対症療法と根治療法(Withコロナとゼロコロナ)

日本のコロナ感染症対策はモグラ叩きの様相を呈してきた。「Withコロナ」を掲げて、経済活性化と感染抑制と相反するものを追いかけようとしたが、「二兎を追う者は一兎をも得ず」のリスクが高まってきた。

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モグラを根絶する「ゼロコロナ対策」を標榜して、感染を強制的強権的に抑え込んだ中国では、経済活動が復活されつつある。感染を完全に抑え込んだあとで、経済活動を再開するアプローチもあったと思うのだが、欧米に倣って、それは選択されなかった。

昨日・一昨日・今日は8月のピークを上回る感染確認者が報告されているが、個人の努力に期待するだけで、行動制限は本当に限定的なものしか実施されていない。

「ゼロコロナ対策」によって徹底的に封じ込めたように見える中国と、欧米のような(数は一桁異なるが)感染の急拡大が認められている日本との大きな差は、濃厚接触者追跡体制とPCR検査体制だ。クラスター潰しのための「検査と隔離」という感染症の大原則を徹底した国と、当初からPCR検査を絞っていた国との差が歴然としてきたように感ずる。

ある方が「もっと徹底的に感染を封じ込めてから、経済活動を一気に再開した方が、最終的には経済ダメージが小さく済むのではないか」と言っていたが、私もそう思う。最悪の場合、医療崩壊につながると感染対策は言うに及ばず、経済も壊滅的になる。

東京では1日100-200人で2-3か月推移していたが、欧米で気温の低下とともに急速に感染拡大が起こっている状況を考えれば、Go To Eatキャンペーンなど外出を増やすことをすれば、今日のような状況を引き起こすことは簡単に想像できたはずだ。

ウイルスは低温で乾燥してくれば長時間生存していることなど、インフルエンザウイルスの例からも明らかなことだ。「暑くなれば消え去るだろう」というトランプ大統領の甘い期待を完璧に打ちのめす今回のコロナウイルスのしぶとさに対して、危機管理が十分なのかどうか懐疑的だ。

このブログでも再三指摘したが、最悪を予測して手を打ってこそ、危機管理だ。1か月前からの欧米での急速な再拡大から判断して対策を練るのが危機管理ではないのか?街中を見れば、明らかに気が緩んでいる。通勤電車で咳き込んでいるひとを見かけるようになった。感染確認者の年齢層も以前より高い。すなわち、重症化する患者数が増える可能性が高いのである。無責任なテレビのコメンテーターの発言は今も続いている。

今日もビートたけしさんの「RNAワクチンができても、ウイルスが変異すると聞かなくなるのでは?」という真っ当な質問に対して、まったく筋違いの返答をしていた某大学教授がいた。おそらく質問の意図が全く理解できなかったのだろう。RNAウイルスの変異速度は速いのです。たけしさんの質問の方が的を得ている。

さらに、「運搬する際にマイナス80度でなくで、もっと温度が低いとどうなのか?」という質問に対して「マイナス100度くらいなら大丈夫と思う」と根拠のない発言をしていた。テレビで発言するならもっと勉強すべきだ。たけしさんの「液体窒素に入れて運べば・・・」に対しては、フニャフニャと意味不明の答えだった。たけしさんの方がはるかに科学的だった。

そして、私が住んでいたシカゴでは、再び不要不急な外出を禁止する指示が出た。友人たちは悲鳴を上げている。「Withコロナ」という「二兎を追う」対策は、「言うは易く行うは難し」だ。


編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2020年11月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。