眞子様に支払われる1億数千万円の論点を整理

八幡 和郎

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眞子様の結婚問題をめぐって「成人されているのだから好きなようにされたらいい」などと割り切る意見もあるが、いろいろ心配の種はある。

そうしたなかで、最近、多くの人が論じているのは、結婚に際して国庫から支払われる1億数千万円の一時金が適切かと言うことと、将来において、さらなる負担が皇室に生じるのでないかということだ。

明治になってから終戦までは、内親王の結婚相手は、宮様しかいなかったから、そう言う議論はする必要がなかったし、皇室自体が財産を十分にもっていたから、どうとでもなった。困窮華族がかなりの金額をいただくことだってあった。

しかし、戦後は旧華族も含めて民間人と結婚されるようになり、また、財産税で皇室財産はほとんどなくなり、手当が必要になった。そうしたなかで、皇室経済法第7条で、皇族の給与のようなものである皇族費の10倍を限度として一時金が払われるようになっている。

皇族費は、たとえば。高円宮妃のような宮家の長だと3000万円ほど、独身だが独立の家計を持っていると1500万円余りだから、1億数千万円が限度となるのである。

もちろん、結婚したとしても、両親の個人財産の続権を失うわけでないのであるが、さほどの財産が秋篠宮家にあるわけでない。

どちらにせよ、国や皇室との関係では、一時金を出すから、あとは自分で責任を持って元内親王としての品格を維持したり、皇室との親戚づきあいで庶民では考えにくい出費に充ててくださいという体系だ。これまで、それでよかったのは、それなりに経済力のある相手としか結婚されなかったし、離婚されることもなかったからである。

しかし、眞子様の相手が小室氏でなくとも、経済力がない相手との結婚を否定できまいし、元内親王は離婚すべきでないとも言えない。だから、私は問題が起きてから考えるのでなく、普通に起こりうる程度の問題には対処できるように制度改正をしておくべきだと言ってきたが、それができていないのは残念なことだ。

それでも、それは、たとえば、結婚相手が中流家庭出身のそこそこ安定したサラリーマンといったイメージを念頭にするものだった。

宮内庁サイトより

ところが、小室氏についていえば、横浜市職員で若くして自殺した父親の残したマンション、遺族年金、祖父からの相続で慎ましやかな生活をしておれば大丈夫だったのだろうが、かなり非常識な生活をしてきた。

たとえば、氏の学歴だけ見ても、インターナショナルスクール、たいへん学費が高い大学として知られるICU、いったん就職をしたメガバンクを辞めての一橋大学大学院、そしてフォーダム大学ロースクール、短期だが私費での語学留学、アナウンサー学校と並外れた贅沢を繰り返してきた。その結果として、問題になっている不規則な借金も生じたわけである。

そして、いまのところ無収入だし、留学から生じた借金を抱えている可能性も高いし(元の勤め先から借りているともされるが)、将来の見通しもまったく立っていない。さしたる財産もない。こういう状況をみれば、一時金が借金返済や生活費に短期間で消えてしまうことは、杞憂とはいえないわけである。

だからこそ、結婚されることは最終的にはご本人の意思の問題とはいえ、職業の目処が立ってからにしてはどうかとか、多額の借金はないのかなどを眞子様本人も、秋篠宮家も宮内庁もしっかり説明を受けるべきであろう。

また、制度的には、一時金制度から、年金制度のようなものに転換した方がいいのでないかと私は提案したい。全額でなく、たとえば、2割程度は先払いにするのがいいかもしれない。

一方、皇族が離婚したらどうなるかというのも制度があまりよく考えられていないのだが、かつての内親王や女王が離婚したらどうなるかも大問題だ。皇族に戻れないのは当然だ(戻れるようにするという考え方もあるが、その場合は一時金制度と両立しない)。

たとえば、名字はどうなるのか?結婚相手の名字をそのまま名乗り続けるなら問題ないが、それは嫌だとすれば、どうするか。家庭裁判所の許可で新たな名字にするしかないが、その場合に、「○○宮」のうち「宮」をとって「○○」としていいのか?

また、子供の親権を取り、その養育費を相手が払わなかったらどうするのかも難問だ。普通の富裕な家庭なら、祖父母が出すということになるかもしれないが、現在の皇室でそれは難しい。

マスコミ報道や、SNSでは、一時金を辞退されるのではという観測や意見もある。たしかに、一時金をもらわなければ、不測の事態が起きたときに、政府が手当を考えることについて二重取り議論が起きないというメリットはある。

しかし、そんなことより、小室氏と眞子様が、きちんとした生活設計ができることが結婚の前提だという社会人として当たり前の意識で行動していただければいいのだし、今回の延期はそういう考え方に基づくものであろうと推察するのである。