かつら疑惑を指摘され、考えたこと

先日、MXテレビの超絶良番組「田村淳の訊きたい放題!」に出演した際に、Twitterで私の頭髪についてかつら疑惑を指摘する声を発見した。その場でメンションし、否定したところ、ツイートはすぐに削除されたのだが。

ただ、この「かつら疑惑」の破壊力と、指摘を受けた際のこの上ない不愉快な感情について色々考えた。「あいつは、かつらだ(より具体的にかつらの社名や、かつらではなくても、薄毛をごまかす手段をあげる手法もあるが)」という言葉が威力を持つのは、髪型についてのスタンダードのようなものがあったり、それがコンプレックスになり得ることを物語っている。

一方、指摘された側も戸惑う。「この上ない屈辱」と思う人もいるだろうし、ぶっちゃけ私もそう思ったが、「違う!」と主張すると、薄毛の友人・知人を傷つけることになるのではないかと無駄に配慮をし、いい人を演じてしまいそうになる。

なんせ、証明する方法が限られている。SNS上の匿名の誰かに対して証明するのはパワーがかかる。友人・知人・家族や、お世話になってもらっている人に証言してもらう手もあるが、これもまた嘘の証言を疑われる。まいった。まぁ、ヘアサロンでカットやカラーをする様子もアップしているし、髪型もけっこうな頻度で変わっているので、わかると思うのだけど。

「黒髪が正しい」「それが日本人らしい」なんて言ってる時代じゃない。常見陽平さんと“ファッションの自由”(ハフポスト)

ちなみに、私の髪型に関する想いはこのインタビューにまとまっているので、ぜひ。しかし、この薄毛の指摘が破壊力を持ってしまうことも含めて、髪型の不自由を感じる今日このごろ。


編集部より:この記事は千葉商科大学准教授、常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2020年11月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。