韓国「言論の自由」より「生命権」

韓国の国会本会議は14日、北朝鮮の体制を批判したビラを北側に向けて散布することを禁止する「南北関係発展に関する法律」改正案を可決した。韓国聨合ニュースによると、韓国統一部は15日、「ビラ散布する国境地域の国民の生命権は言論の自由より優先されるべきだからだ」と説明したという。

▲韓国の李仁栄統一相(韓国統一省公式サイトから)

この説明を読む限りでは、批判が出てくるのは当然かもしれない。北批判ビラ散布禁止は「言論の自由」を蹂躙するという批判が当然出てくるだろう。

それに対し、韓国統一部は「国民の『生命権』が『言論の自由』より優先する」と説明し、韓国の民間団体が2014年、北批判ビラを散布した直後、北側から襲撃を受けた例を挙げて、「境界地域の住民の生命、安全、財産などの権利が脅かされた」と指摘している。もっともらしい弁明を展開させている。

韓国統一部は、「対北批判ビラが北の独裁体制、人権蹂躙を厳しく批判すれば、北側の仕返しを受ける危険性が高まる。北を挑発するような言動は慎んだほうがいい」と主張しているわけだ。繰り返すが、北側が言っているのではなく、韓国政府がそのように述べているのだ。韓国政府は北の代弁者のように韓国の国民を説得しているのだ。

韓国統一部は「南北関係発展を阻害しないため」という名分を掲げて今回の法改正を弁解しているが、その内容は「韓国政府は今後、北の人権蹂躙に対して黙認する」と宣言しているのと同じだ。

冷戦時代、旧ソ連・東欧共産政権下で多くの知識人、学者、反体制派活動家が自身の生命を犠牲にしながら「言論の自由」のために戦った。それらの歩みの積み重ねは共産党政権の崩壊につながっていったことは歴史が示している。

旧チェコスロバキアの著名な反体制派活動家だったバーツラフ・ハベル氏は劇作家だったし、ブルガリアの初代民主選出大統領に就任したジェリュ・ジェレフ氏も学者だった。彼らは共産党政権の問題点、人権蹂躙をペンを通じて批判したために、刑務所生活を余儀なくされ、地方に追放された。ハベル氏は通算5年間牢獄生活を強いられた。

旧ソ連・東欧の反体制派らは今回の韓国統一部の説明をどう受け取るだろうか。「北を怒らせないために北批判ビラ散布を禁止する」と聞いたならば、驚くよりも、韓国政府の南北再統一への本気度を疑うだろう。それも「生命権」は「言論の自由」より優先するという屁理屈をきけば、笑い出すかもしれない。「生命より大切なものがあることを知らないのか」と指摘されるだろう。辛辣な人ならば、「韓国統一部の論理は唯物論的共産主義思想と同じだ」というかもしれない。

韓国の今回の決定は金正恩政権に体制の永遠存続を保証するようなものだ。それも生命を失うことを恐れるあまり、批判を抑えるというのだ。民族としての威信も名誉もない。独裁政権に対する敗北宣言だ。

国連人口基金(UNFPA)と韓国の人口保健福祉協会が7月1日に公表した2020年の「世界人口現況報告書」によると、北の国民の平均寿命が同胞の韓国国民のそれより11年短い。北の金王朝が国民の命を奪ってきたことを端的に実証している。

金日成、金正日、金正恩と3代続く金王朝は世襲独裁国家だ。国民の福祉、生活向上、自由の保障は民主主義国では当然の基本的な権利だが、北ではそれらはことごとく蹂躙されてきた。政治犯を強制収容所に送り、宗教者に対してはさまざまな弾圧を繰返してきた。迫害されるキリスト者救援組織「オープン・ドアーズ」(本部・米カリフォルニア州サンタアナ)によれば、北朝鮮は「最も宗教迫害がひどい国」という。

その国を批判するビラ散布を韓国政府が禁止するというのだ。韓国政府はどちら側をみているのだろうか。人権弁護士出身の文在寅大統領が北の独裁者の顔色を窺い、北の国民の苦境を意識的に無視しているのだ(「文在寅政権は北の国民を見捨てるな」2020年7月7日参考)。

ここで憤慨していても埒が明かない。そこで提案したい。文大統領とフランスのマクロン大統領が「言論の自由」について対談すればいいのではないか。マクロン大統領はイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を描いた週刊誌「シャルリー・エブド」の「言論の自由」を擁護し、「わが国は『言論の自由』があり、相手を冒涜する自由もある」と宣言した政治家だ。その結果、フランスは世界のイスラム教国から激しいバッシングを受けている。同時に、国内ではイスラム過激派テロ事件が多発している。

韓国統一部の論理からいえば、フランスは「言論の自由」を重視することで、フランス国民の命を脅かしているといえるわけだ。しかし、マクロン氏は自身の信念を変える気配を見せていない。一方、韓国政府の立場は先述したように「言論の自由」より「生命権」を優先する。前者のために犠牲を払うことに余り価値を見出していない。そこでマクロン大統領と文大統領が対談すれば興味深い討論が期待できるかもしれない。

最後に、対北批判ビラ散布問題に戻る。金正恩労働党委員長の実妹・金与正党第1副部長の厳しい批判を恐れるからではないが、当方は民間のビラ散布は慎んだほうがいいと考えている。法で禁止することには反対する。ただし、南北間の対話では必ず北の人権問題を議題とすべきだ。

政治家が交渉相手に好かれることを求めるあまり、相手の問題点に沈黙することは最悪の交渉スタイルだ。相手はそのような政治家を好むかもしれないが、尊敬はしないだろう。金正恩氏の文大統領への人物評価もそのようなものではないか。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年12月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。